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1985年度 詩誌『月刊近文』より紹介です。
『町工場の屋根の上に』 後山光行
来年が来ると
ハレー彗星が見える
もうすっかり星のなくなった都市の
小さな町工場で
工場労働者として生きていると
残業を終えて
時にほっとして
闇の中から空を見あげることもある
やはり今日も星はない
冬空の凛凛としている夜も
夏空のむしあつい風のない夜も
せめて星でも輝いていればいい
人間は遠い原始の時代に
火をおこすことを覚えてから
長い間 輝くものにあこがれてきた
山深くまよい込んで
疲れてしまった時に
例えきつね火であったとしても
遠くで輝いていたらほっとするという
町工場の労働者に
ハレー彗星の接近など
まったく関係ないことだけども
星のなくなった都市の空に
彗星が輝いていたら美しいにちがいない
来年になって
やはり同じように
残業を終えて彗星が輝いていたら
空になった弁当箱に
そっと彗星の輝きを満たして帰ろう
『別離』 山下俊子
おもわず
あかるい陽の射しこむ
雑木林に駆けこみ
横に伸びた ひと枝に飛びかかり
小鳥のように鳴いてみた
風が頬をかすめて
めじろが一羽
藪のなかへ消えていった
秋の日は
まもなく山の端に別れを告げ
帰りの道を見失った わたしは
雑木林の枝に腰かけたまま
母や父や子供たちが騒ぐ
暖かい家を思い出していた
たわわに熟れた秋の実たちが
大地に旅立つように
巣立ってゆく子供たち
また
わたしも ひとりの旅人
残照に浮かびあがる道を旅に出る
『流れるままに』 山下俊子
時のたつのを忘れて仕事をする
腕に痛みを覚え
窓の外をみる
カッと照りつける青空に入道雲が伸びている
又、黙々と机に向って仕事する
背中に痛みを覚え
窓の外をみる
張りつめた冷気のなか曇天から細かい雪が落ちている
又、黙々と机に向って仕事をする
鉢植の沈丁花の花の香りが窓から流れこんで
顔をあげると
ものうげな ぼんやりした空が拡がっていて
上の子が中学校へ入学
下の子が幼稚園へ
中の子が五年生へ
いつの間にか
永い時間がすぎ去り
気づくと
友も同じように年を取っていた
『林檎』 当間万子
林檎の花を見たことはないけれど
白い花だという
歩いてきた道のいろんな花を
摘んできたけれど
色も形も定かでないものばかり
摘んできたように思う
私のいちばん愛しいひとが
林檎の花を見に連れて行ってくれるという
白い花が咲くころ
わたしの生活は続いているだろうか
五月の空の碧さに堪能しているだろうか
突然逝った父のように
人の死は予告がない
だから見に行っても行かなくてもいいけれど
香り豊かな果物の
実をつけるときを想うだけで
心が弾む
大ぶりの林檎を
食卓の上に転がして
『水をたっぷり含んで』 当間万子
雨が降ると
身体が傾いていく
キラッと光るでもなく
溶けるでもなく
濡れている
傾いているときのこころを
覗いてみるときがある
生きてきたことの
いろんな想いを抱いているのだが
考えることも
視つめ直すことも
億劫になる
好きであった
<らしさ>という言葉
まっとうな人間らしさ
まっとうな人間てなんだろう
沢山のはみ出た部分を抱えて
叫びたい
ひたすら歩いてきたこと
たとえ歪な乳房であれ
大事にしてきたこと
雨の中で
小宇宙をつくる
さまざまな形で咲いている
わたしの愛
水をたっぷり含んでそよいでいる
・続きは次回に・・・・。