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『チャタレイ夫人の恋人』 を読みながら。
ディヴィド・ハーバート・ローレンス著『チャタレイ夫人の恋人』は、戦争で下半身麻痺となってしまった、クリフォド・チャタレイと結婚し、チャタレイ夫人となったコニイに関する物語です。コニイは二十三歳で、クリフォドは二十九歳でした。
解説として、『チャタレイ夫人の恋人』にしても、性描写は一部で、他に人間と社会の根本的問題がいろいろ取り上げられている。ローレンスは、一生を賭けて「自然」の探求を続けた詩人であり、同時に現代社会の病弊を敏感に見通し、人間性の新しい回復を唱導すると共に、偽善的な俗物との闘いにひるまなかった、予言的思想家だったのである。彼の思想は、「不死鳥」のようにいくたびも蘇って、いつの時代にも、われわれが自身を省みるよすがになるであろう。と。
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『チャタレイ夫人の恋人』を読む前に、恋愛経験がほとんどない私ですので、私なりの思いを書いてみました。
私が異性を意識するようになったのは遅いほうだったかも知れません。人間とは程度の差こそあれ、皆、孤独なものであり、本質的にはさびしいものなのだと言います。そう。創世記に、神は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。と。
だから、人はこの世に生まれたからには、必然的に男は女に、女は男に引き寄せられるのでしょう。
私は自分のこともよくわからなかった高校生の頃でした。時々、洋画の恋愛物語を見ていたのです。映画「ロミオとジュリエット」「ひまわり」「男と女」・・・・など。思い出せるのは、ちょっとした抱擁シーンで、恋愛のなかみはまったく理解していなかったのです。もっとも、映画のなかに流れてくる音楽はあまりに有名ですが・・・・。
あの頃から少しは成長した自分かな・・・。では、『チャタレイ夫人の恋人』の紹介です。
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(現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受け入れたがらないのである。大災害はすでに襲来した。われわれは廃墟の真っただなかにあって、新しいささやかな棲息地を作り、新しいささやかな希望をいだこうとしている。それはかなり困難な仕事である。未来に向かって進むなだらかな道は一つもない。しかしわれわれは、遠まわりをしたり、障害物を越えて這いあがったりする。いかなる災害がふりかかろうともわれわれは生きなければならないのだ。
これがだいたいにおいてコンスタンス・チャタレイの境遇であった。ヨーロッパ大戦は、彼女の頭上にあった屋根を崩壊させてしまったのだ。その結果として彼女は、人間には生きて識らなければならぬものがあることを悟ったのである。
一九一七年に彼女はクリフォド・チャタレイと結婚した。)
続きは次回に・・・・。