
私は先日、ひょんなことから、『歌集 滑走路』を手にしました。作者萩原慎一郎さんは、1984年生まれで2017年に自死とあり驚きました。その原因として、いじめを受けてきたことに起因すると・・・・。私は、リタイアして青春時代は遠い昔であるのですが、若者の自死には言葉もありません。
私の小学校・中学校・高校のときは、いじめなんかなかったように思います。「いじめ」という言葉を耳にするようになったのはいつ頃からか、調べてみました。
<学校でのいじめですが、日本で言う「いじめ」は特に1985年(昭和60年)ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い。日本では1980年代ごろから教育現場で顕著になっていたが、1990年代になって深刻な社会問題としてとらえられるようになった。また、「いじめ」は何歳頃がピークなのか。 実はあまり知られていない事実ですが、文部科学省の調査によればいじめは「小学2年生」が最多とされています。 実際に、令和元年度・2年度・3年度の3年間のデータを見てみると、小1~高3の中でいじめの認知件数が最も多いのが「小2」であることがわかります。>と。
私はどうして、こんな「いじめ」という言葉が氾濫する世の中になってしまったのか?世の中の流れとも大いに関係しているのではないかと思いました。
物にたいする執着というか、お金がなければ暮らして行けないのが世の中です。
1970~1984年頃に生まれた就職氷河期世代は、ロスジェネ世代(失われた世代)とも呼ばれています。バブルが崩壊後、景気の悪化により就職が難しくなった時期に就職活動を行った世代です。1991年、バブルは崩壊し、日本経済は長期の経済停滞に陥り、雇用情勢は悪化を続けることとなり、その後21世紀に入り、バブル崩壊後3回目の景気循環にして、ようやく本格的な景気回復 を迎えたということですが、私自身結婚してからは生活に追われ、年金生活となった昨今ですが、あいかわらずのつましい生活ではあります。
話は戻り、就職氷河期とは、1993年から2005年頃までを指し、1970年から1984年生まれの人が該当し、その人たちは、正社員として安定した雇用環境になかったので必然的に収入が低くなっていますから、その他の世代に比べ生涯年収も低い見込みの人が多く、また年金を収めてこられなかった人の割合も高く、老後の生活に不安を抱えています。
その大変な生活環境で働く大人たちの心がなかなか他人への思いやりを持ちにくくなり、そのようであれば、その子供たちまでもが他人に対する思いやりや弱者に対するいたわりといった豊かな心が育まれなくなってしまったのでしょうか。
皆、同じ時代を生きる同じ仲間なのに。そんな、トゲトゲしい世の中での萩原慎一郎さんの『歌集 滑走路』を読むと、前向きに生きようとする姿とともに、他人に対する思いやりや弱者に対するいたわりといった心があたたかく表現されています。
いつか手が触れると信じつつ いつも眼が捉えたる光源のあり
『歌集 滑走路』より