第六十七章 三宝(三つの宝)
天下皆、我を大にして不肖に似たりと謂う。
夫れ、唯大なり。故に不肖に似たり。
肖なるものの若きは久し。其の細(くわ)しければなり。
夫れ、我に三宝有り、持して之を 宝 とす。
二に曰く、倹。
三に曰く、敢えて天下の先と為らず。
慈あり、故に能く勇なり。倹あり、故に能く広し。
敢えて天下の先と為らず、故に能く成器(せいき)の 長 たり。
今、慈を舎てて且だ勇に、倹を舎てて且(た)だ広く、
後を舎てて且だ先んずれば、死せん。
夫れ、慈以て戦えば 則 ち勝ち、仁以て守れば 則 ち固し。
天将に之を救わんとして、慈を以て之を衛(まも)る。
我には三宝があって、宝としてこれを守っているのである。その一は慈である。他の一は倹である。もう一つの他のものは、敢て天下の先とならない、ということである。
慈は柔和であるが、勇を生ずるものである。
女は柔和であるが、母となって子をいつくしみ育てるようになると、自分のことを思わないようになり、無私になるので、おそろしいものがなくなり、勇気のある強いものとなるのである。無私無欲となったものより強いものはないわけであるが、慈は、無私無欲となるから強くなり、勇を生ずるようになるのである。
慈は、常に幼き者、弱きものをかばい育てよう、憐み、いつくしもうとする心をいう。
倹は、慈の心を広く万物の上に押しひろげた心をいうのである。総てのものが命を有するものであるように大切にし、物の価値を充分に尊重し、徒費をせぬように経済的に、合理的につかうことである。
広は、多方面にわたることを指す。