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『すわる裸婦』 1917年
解説より。
ルーマニア出身の彫刻家ブランクーショに出会ったモディリアーニは、その手ほどきで、石のじか彫りに取り組み、シンプルな美しさのある彫刻作品をかなり作った。絵においても、この経験はいかされており、彼の人体の形のつかみ方は簡素で、強い。 『すわる裸婦』も、背中までよく描けている、といっていいような存在感を備えている。
モディリアーニが、彫刻に関わったのは、1909年から1915年頃で、資金不足と健康の悪化による体力不足などの理由により、途中で断念せざるを得なかったと。
そう、モディリアーニのプリミティブな彫刻ですが、その細長い顔のフォルムは、まさしく、モディリアーニのその後の絵画作品の特徴ともなっています。この彫刻の経験がなければ、フォルムの単純化としてのモディリアーニの絵画は成り立たなかったのですね。
『ジャンヌ・エビュテルヌ』 1918年
ジャンヌ・エビュテルヌ(1898年4月6日 – 1920年1月25日 )は、穏やかで内気で無口で繊細な女性でモディリアーニのお気に入りのモデルであり、内縁の妻でありました。1918年11月29日にエビュテルヌは長女ジャンヌを出産し、1920年、モディリアーニの死の翌日、後を追って自宅のあるアパルトマンから飛び降り自殺したのが21歳という若さでした。
『青い服を着た少女』 1918年
この『青い服を着た少女』 は誰を描いたのだろう。
この子供の肖像画ですが、制作の同年に生まれた初めての娘ジャンヌと妻ジャンヌへの思いが描かせたと考えてもいいのではないかと思うのです。この凛とした青い服を着た少女の瞳には、見ている私の心が見透かされそうです。
解説に、「この肖像画には生命と若者の純潔が埋め込まれている。」と、ありました。この言葉は、作者モディリアーニ自身にも当てはまり、モディリアーニの絵画に向き合う私たちにも呼応するのですね・・・・。
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私は中学生の頃見た『黒いネクタイの女』の瞳がはっきりと描かれていないことに、どこか怖さを覚えたのですが、 『すわる裸婦』や『ジャンヌ・エビュテルヌ』 などには、ちゃんと黒っぽい生き生きとした瞳が描かれていることにほっとしました。特に、モディリアーニが愛したジャンヌの凛とした瞳には、引き込まれる私です・・・・。
画家が一枚の絵を描くということは、まさしく、この世をこの世の生を愛するということにほかならないのですね・・・・。
・これからも、時々、気になった画家について、何か書いていけたらな・・・・。