『太陽の画家 フィンセント・ファン・ゴッホ』
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私は思います。ゴッホは修道僧の魂と画家としての魂、そのふたつの魂を持っていたのでは・・・・。
1877年24歳のゴッホは、牧師となるための勉強をはじめたが、まもなく勉強を放棄し、1878年8月ブリュセルの短期牧師養成所へはいり、みずから志願してボリナージュに赴き、ゴッホはまったく自分を犠牲にして奉仕しました。が、それが伝道委員会の気にいらず、1879年7月免職となりました。
牧師になろうとした修道僧の魂と画家としての魂、そのふたつの思いに生涯動かされていたゴッホは、北方の地ボリナージュで、牧師として極限まで魂を燃やしたかと思うと、南方の地アルルで、画家として極限まで命を燃やしたのでは・・・・。
しかし、実際のゴッホは、画家としての人生を生きることによって、一生活者としての幸せから遠く離れ、名づけようのない孤独とともにあったのかも・・・・。
そのような思いのなかでゴッホの初期オランダ時代を代表する傑作『馬鈴薯を食べる人々』の絵を見てみましょう。
「ランプの灯りの下で馬鈴薯を食べる人たちは、皿を取るその同じ手で土を掘ったのだ。つまりこの絵は手仕事というものを語っているのだ。彼等が正直に食を稼ぎ取ったと語っているのだよ」
ゴッホの初期オランダ時代を代表する本作は、多くの習作を素描や油彩で重ねて、1885年32歳の時に完成させたものです。一見して暗い部屋のなかの家族の肖像のようです。画面左の男女は、働き盛りの若夫婦であろう。画面右側では、祖母らしき女に、コーヒーのお代わりを求める祖父だろうか。そして、前景で背中を見せる子どもは若夫婦の娘であろう。少女の頬は、馬鈴薯のあたたかな湯気に包まれているようです。
薄暗い室内の情景ですが、そこにゴッホは、農民の姿を描くことによって、労働の尊さと家族というものの尊さを表現したのでは。自らあたたかな家庭というものを持つことのなかったゴッホですが・・・・。
そう、ゴッホが絵を描くという行為は、初期のころから、人間存在にたいするあたたかな愛の眼差しだったのではと思う私です。
『色彩への開眼・・・・』
ゴッホが
アルルの太陽に
出会うまでに
さまざまな
暗い出来事がありました
ボリナージュでの
伝道者としての苦行
その修道僧としての目が
いつしかあるががままに見る
画家としての目になり
生きることの
生命を描くことだと
ミレーの種まく人を
飽くことなく
模写しました
ハーグでの悲しい
女との出会いと別れ
に ゴッホは
疲れ果て
肉体も残酷なまでに
衰えさせました
そんな頃の傑作
馬鈴薯を食べる人びとです
その暗い色調のなかに
色彩画家 ゴッホの
スタートがあったのです
アムステルダムでの
ミレーやレンブラントの
絵との出合い
その 互いに響きあい
底知れぬ
明暗のリズムの中から
不思議な生命の鼓動を
伝える 色彩の魔力
やがて
パリやアルルでの
ゴッホの
色彩への開眼です。
暗い色調のゴッホの絵は、いつしかアルルの風景のように豊穣な色彩になっていくのですが、『じゃがいもを食べる人びと』の絵があるように、激しい北方の気候風土のなか、自然の摂理に従って生きる農民たちの姿を描いたり、自然の鼓動にくいこんだ情感がふかぶかと息づいている『日没』などの絵を描いたゴッホであるがゆえ、色彩画家ゴッホがいっそう輝いてみえるのでしょう。
・続きは次回に・・・・。