『宗教と超心理と』 2
『死後の世界について』本山博(宗教と超心理 1984年)より、抜粋です。
先ず、チベットの『死者の書』とエジプトの『死者の書』について、お話している本山博先生です。その二つの『死者の書』の対比ですが、
〇霊界の構造について
まず、カルマの世界の中では、チベットでいうバルドーの世界というのは、エジプトの審判前のヌウの世界と大体同じものですね。それからチベットの地獄とか餓鬼の世界は、エジプトの凶霊の国、つまり悪の世界と対応している。
次にカルマを超えた世界では、チベットで言う菩薩とか仏陀、それから空の世界があるわけだが、菩薩に当るのは、いわゆるオシリスとかイシスとかいうふうな霊界の全体を支配する神々が菩薩のようなものでしょうか。
ところが、エジプトの宗教の世界には、仏教でいうような空とか空性とかいう「絶対」というものがないんですね。
〇審判について
審判という項目について言うと、どっちもカルマによるという点では一致するわけです。
エジプトの場合は審判によって凶霊の国か霊界か、どっちかきっぱりとそこで分けられてしまって、悪い霊は心臓を取られたままワニの神に心臓を食われたら、凶霊の国へほっぽり出されて他界へ入ってしまうわけですが、チベットの場合は、審判によって地獄へ入るかどこに入るか分けられても、その後で守護神に瞑想したり、あるいは融合したりして、それから逃れることができる。必ずしも審判通りにはならない。
キリスト教の場合は、エジプトの宗教の影響が非常に強いように思うのです。非常にはっきり天国か地獄かというふうに分れてしまうように思います。
〇再生について
再生の場合は、チベットの死者の書では、どこへ生まれるかは、やはりカルマが最も大きく働くわけですね。
エジプトの場合は、因果応報というのはあまり考えられていない。これは多分、エジプト人というのは非常に楽天的な人間じゃないかと思うんですね。しかし実際的にみると、エジプトの死者の書での再生の自由ということは、これは間違いだと思うのです。実際は、カルマの法則からは逃れられないと思うのです。
〇空と、物・心
チベットの仏教で足りないと思われるのは、「物」という事についてあまり書いてないのですね。物の世界とは何か。物に接触したら心の働きが限定されるというが、物の世界は一体どうしてできたのか、物の世界はどういうものかということはあまりはっきりしない。どうも「三界はただ心の所見」というふうに、心の方を強調しすぎている点が非常に大きいように思います。
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お話は、昭和59年2月26日、IARP東京支部での講演でしたが、その時の、質疑応答での、本山博先生のお話です。
微細身の次元で自分がどういうカルマを持っているかによって、どの家に生まれるかとか、いつの時代に生まれるかとか決まって、妊娠した瞬間にもう再生しているわけです。だから本当の再生は、受精した瞬間に起きているわけです。本当にお腹から出てくるのは第二の再生で、二次的なものだと思うのです。初めの受精の瞬間にすでにもう微細身がその中に入って、精子と卵子の結合をコントロールするんです。だから生物学的な意味でみれば、最初の瞬間から、受精の瞬間にはもうすでに再生しているわけです。
どいう性格で、どういう家に生まれてくるかというのは、個人のカルマと家のカルマ、それがかなり強い要因となって、生まれるか、生まれないかを決める。それら家が絶えるようなカルマを持っている家には決して生まれてこない。
死んだ状態、アストラルの状態というのは、想念の世界だとさっきも話したように、自分の体も自分のまわりのものも思った通りになる。という事は、ある事に非常にとらわれた状態だと、自分の廻りのことも、廻りの霊のこともわからなくて、自分だけにおちている場合がある。肺がんで苦しんで死ぬと、肺がんなんかもうないのに、痛い痛いと思うことによって自分で肺がんを作り出して苦しんでいるわけです。
そういう時は、子孫がその先祖のためにお祈りをしてあげる、あるいはどこかお寺で供養を頼む、あるいはその霊を救える人に頼んでお祈りをしてもらうと、そういうのが非常に大きい契機になって、その人を苦しみから救い出すことができる。先祖の霊が救われると、今度は逆に今まで憑依をして、いろいろ災いをしていた霊が、これからは反対に人を導いてくれるようになって、非常に家の者も子孫も助かると思うんですね。
先祖供養は両方の意味で、非常に大事だな。だから先祖供養は、ぜひした方がいいと思いますよ。
・以上、『死後の世界について』の本山博先生のお話でしたが、1984年、もう40年も前のことです。その頃の自分と何ら変わりない自分を見るにつけ、人生、人の一生って長いようで短いものだなと思うのです。
でも、この世に、こうして本山博先生と出会えたこと、さまざまな、青春時代の人との出会い。そして、これからの人との出会い。それら、人との出会いと別れ。これからも、一日一日、素敵な出会いでありますようにと・・・・。