『太陽の画家 フィンセント・ファン・ゴッホ』
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そう、ゴッホと言えば、黄色い家でのゴーガンとの出会いと別れは、忘れられません。
アルルで「黄色い家」を借りたゴッホは、画家たちの共同体を作ることを夢見ました。この黄色い家は、一階が、台所と食堂、二階は、寝室にあてられていました。
よく知られる「アルルの寝室」は、この二階の一室を描いたのです。
しかし、現実にやってきたのは、ゴーガン一人であり、強烈な個性の二人が共同生活を送るには、最初からその破綻が予測されていたのでは・・・。わずか二ヵ月後、1888年、12月24日、結局共同生活はうまくいかず、あの有名な 「耳切り事件」が起こったのです。
ゴッホは、最初の精神異常を起こし、病院に収容されたのです。この精神異常について私は、何も述べることは出来ません。世の中に起こる様々な不条理に、愕然とする自分があるばかりです・・・。
「耳切り事件」の後のゴッホの人生の終焉は、死神の手にあったのでしょうか。
明るい明日を夢見たゴッホの安息の場所である「アルルの寝室」1888年の絵が、つかの間の幸せを黙して語っているようです。その部屋に置かれた、小さな机ひとつと、ふたつの椅子と大きなベッド。それらは、それらであることを主張し、ゴッホの分身であるようです。アルルを去ってサン・レミの療養院に入ったゴッホは、この絵の複製を2点描きました。
思えば、残された幾点かの「アルルの寝室」の絵ですが、良く見ると、壁にかかっている絵の場面がそれぞれ少し違っていたり、床板の区切りなどが違っていますが、ゴッホは同じモチーフを幾つか繰り返して描くということがわかって、少し面白いです。
さてその後、耳を繃帯した自画像を描いたゴッホですが、ゴーガンとの恐ろしい事件のあと、病院から帰ってまもなく描いたという、一枚の静物画です。画板の上のお皿と四つの玉ねぎや蝋燭立てなどが、整然と描かれているのを見ます。いつ発作に襲われるかという不安にさいなまれながら、ときには、澄みきった気分になったというか、絵を描くことによって気持ちが落ち着いたのだろうか。アルル時代の、ほっとする「静物画」です。
・続きは次回に・・・・。