不思議活性

幻想的写実主義の画家  アントワーヌ・ヴィールツ

 幻想的写実主義の画家、アントワーヌ・ヴィールツ。1806年2月22日。ベルギー・ディナンに生まれる。ヴィールツは子供の頃から好んで彫刻、絵画、版画などを手掛け、14歳のとき富豪の保護者M.ド・メーブの援助で芸術学校に入学。デッサンと音楽を学ぶ。1820年、アンヴェルスの美術学校に通う。昼間は油絵を描き、夜はデッサンをするというように、刻苦勉励する。1832年、ローマ賞コンクールに参加、首尾よく賞を得て、ローマに赴く。このローマ時代が彼の生涯での最も実り豊か時期となる。
 ローマ滞在ののちブリュッセルに戻り、非常な名声を得る。1865年6月8日、ブリュッセルで没。59歳。



 『墓のキリスト』 1839年

 解説より。
 
 彼の表現上の武器は写実主義であり、それも、見るものを欺くほど真実の世界と一致するような技巧をもった、職業的な、アカデミックな写実主義であった。そのヴィールツの写実主義ですが、ロマン派的な原理に基づいて生活のなかからドラマを拾い出し、そのドラマに表面的な外観を越えた内容、神秘的意味・「別の」本質を見いだそうとしたと。
 
 まさしく、アントワーヌ・ヴィールツの絵画は写実的であるがゆえの、現実の内部の深奥の、その暗く恐ろしい姿を見せているのでしょう。



 『小説を読む女』1853年



 『早すぎた埋葬』 1854年


 『麗しのロジーヌ』 1847年

 中世末期以降、美ははかなく若さもはかないもの、生命もまた無常であるという「ヴァニタス」、または「死と乙女」の主題は、多くの画家によってしばしば取り上げられてきました。そんな中で、人は永遠の生、キリスト教信仰にこそ生きるべきであるという教訓として、絵画の中には死を意味する骸骨、うぬぼれを示す鏡、「光陰矢のごとし」を表す砂時計などが描き込まれるようになりました。
 この作品の中の官能的な美女「ロジーヌ」もまた、ヒョロリと立つ骸骨と対峙しています。しかし、彼女は恐れるふうでもなく、理科の実験室にでもありそうな骸骨を、神秘的な笑いを含んでじっと見つめています。彼女の髪に飾られた美しい花もまた、生命のはかなさのシンボルなのです。
 意味深なこの場面には、しかし、なぜか不思議なおかしみが漂います。それは、骸骨のこめかみにペッタリと貼られた一枚の紙きれのせいかもしれません。ここには、実は骸骨こそが、タイトルの「うるわしのロジーヌ」本人であることが明かされているのです。使用前・使用後というわけでもないのでしょうが、そうわかって改めて見ると、二人の間には実に親密で、まったりとした空気が流れているように感じられます。

 プライドが高く、ベルギー政府に古代の神殿さながらの大きなアトリエまで造らせ、自らをミケランジェロ以上の画家と信じたヴィールツの評価が、死後はこの「うるわしのロジーヌ」ほかの何作かでのみ語られるというのも皮肉なものです。しかし、それこそ諸行無常であり、骸骨のこめかみを美女の花さながらに飾る紙きれの持つ真実そのものなのかもしれません。
 アントワーヌ・ヴィールツ自身が意識したわけではないのでしょうが、画面には、なんともしゃれたブラック・ユーモアさえ込められているように感じられるのです。

・『幻想的写実主義の画家 アントワーヌ・ヴィールツ』実際に原画を見たことはなく印刷物を見ての感想ですが、実際に原画を見ればその迫真性には驚くでしよう。でも、印刷された画集であっても、それなりに想像力は羽ばたいて、ひととき幻想の世界に引き込まれる私です。
 これからも、時々、気になった画家について、何か書いていけたらな・・・・。

                         一枚の絵画と詩


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