4
さて、廃墟マニアなどに惜しまれ2014年に解体されてしまった建物に、なぜ私がこだわっているのかって・・・・。それは、立原道造や堀辰雄がこの地にかつて来たことがあるということ。私自身の勤め先が、この廃墟の傍らにあったということによるのです。そして、いつからか人生の悲哀を思うようになった私ですが、今は消えてしまい過去のものとなってしまったものにも光をあてていいのではと思うようになったのです。
この廃墟の北側には活火山の浅間山があり、少し北に向かって歩いて行くと目の前にぐっとその雄大な姿を見せてくれるのでした。
私のそこでの2002年・平成14年から10年ほどの勤務でしたが、その間に、数回ちょっとした小規模の噴火がありました。2009年2月の噴火ですが、噴煙は南東方向に流れ、埼玉、東京、神奈川など関東南部の各地でも降灰を確認したのです。そして、私の記憶になまなましく残っているのは、2004年・平成16年9月の噴火です。気象庁のそのときの記事の紹介です。活動経過・被害状況等として。
火砕物降下。噴火場所は釜山火口。
7 月下旬から噴煙活動活発。微弱火映。火口底温度上昇。火山ガスにより山腹の樹木変色。8 月31 日夜より地震多発。9 月1 日20:02 に21年ぶりに爆発して活動を再開。9 月1 日の爆発は、大きい爆発音と空振(205 パスカル:軽井沢町追分)を伴い、噴石を飛散、山頂の北東6kmまで最大3cm の火山礫が降下、北東方向の群馬県・福島県(最も遠いところは相馬市)の一部で降灰。9 月14~18 日小規模噴火がしばしば発生、特に16 日未明~ 17 日夕方はほぼ連続的に発生。南東の軽井沢町には多量の降灰があり、群馬県・埼玉県・東京都・神奈川県・千葉県(最も遠いところは勝浦市)の一部でも降灰。この頃火口底に新しい溶岩が出現。9 月23 日19:44 爆発。中程度の爆発音と空振が発生。爆発地震により御代田町御代田で震度1。山頂の北北東4km に最大3cm の火山礫が降下、北北東方向の群馬県・新潟県・山形県(最も遠いところは東根市)の一部で降灰。9 月29 日12:17 爆発。弱い爆発音と空振が発生。
爆発地震により軽井沢町追分・御代田町御代田で震度1 を観測。山頂の北4km に最大4cm の火山礫が降下、北から北北東方向の群馬県嬬恋村・長野原町・草津町等の一部で降灰。11 月14 日20:59 爆発。大きい爆発音と中程度の空振を伴い、山頂の東4km に直径4~ 5cm 火山礫(最大は7.5cm)が降下、長野県、群馬県、栃木県の一部で降灰。
私は、生れてはじめてサラサラと舞ってくる火山灰を目にしたのです。その噴火を契機に、立原道造の詩を、改めて近しいものと感じた私です。
立原道造詩集『萱草に寄す』より。
はじめてのものに
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった
その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた
……人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた
いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた
道造の詩の降りしきる灰は、1934~ 37・昭和9~12年にあった浅間山の噴火に関してなのだろう。道造が見たように、私も追分の空に降ってくる灰を見たということで、道造を近しい人のように勝手ながら思ったのです。最も、道造は24歳の若さでこの世を去っていて、私が追分の地で、浅間山の噴火に出会ったのはその倍の48歳の時でした。人生、半分を過ぎた自分ですが、なぜか、気持ちは若く第二の青春という感じでした。
挫折や失敗、失業などを経験して・・・、大人であるからこそ知る純粋さが第二の青春を夢見たのでしよう・・・。
・続きは次回に・・・・。