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『橄欖山のキリスト』
解説より。
天使によってもたらされた非常な決定と運命を告げる聖餐杯を前にして、キリストが最後の祈りを捧げる物語はこうだ。
キリストは目をさまして祈りつづけ、使徒たちは深い眠りについている。そのときキリストの前に現われた天使は、眠りこける人たちをからだのような格好をした自分の体内にくるみ込んでいるようにもみえる。こうして、夢とうつつとが一つのもの、一つの現実となる。三人の眠る人物たちは独立したリズムのなかに包まれ収められているわけだが、このリズムは発光する装飾的な岩山のリズムに連続する。そして、波は波を呼びながら、キリスト像は末広がりにひろがって行く。キリストの大きくひろげた腕、大きくひろがる衣紋の襞。こうして波は波を呼びつつ、大きなひとつのうねりとなって行く。
ところで、明るく、充実し、至近距離にあるこの不思議な現実の背後から、黙示録をおもわせる青ざめた月明の彼方に不気味な兵卒たちの影が浮ぶもうひとつの夢の現実がそっと忍び寄ってくる。これによりグレコの自由な心はいささかも動じないが、世人一般はそうはゆかない。
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キリスト教徒でない自分が、グレコ描く宗教画に魅かれるのは、おそらくエル・グレコの絵画は当時のトレードにおいては、「アヴァンギャルド(前衛)」であったに違い。とあるように、斬新さにあるのかも・・・・。
左上方の天使と画面中央のキリスト、眠る使徒、右後方の兵士たち、それぞれが螺旋の渦のなかに描かれた劇的な表現に圧倒されます。
でも、このオリブ山でのキリストを思うとき、このグレコ描く『橄欖山のキリスト』に、キリスト教徒でない自分ですが、なんと表現していいのか胸騒ぎを覚えるのです・・・・。
・続きは次回に・・・・。