結構前に組んだものですが,ようやく日の目を見ることに・・・。
海軍零式艦上戦闘機52型(A6M5)。
所謂ゼロ戦の最終量産型です。
一応,その後には54型と62型が有るのですが,数ではこの52型が最終と言って良いかもしれません。
零戦というと三菱重工製というイメージがあるのですが,戦闘機王国と言われた中島飛行機(現富士重工業=スバル)でも併行して作られていたことはあまり知られていないかもしれません。
翼端が縮まったせいか,寸詰まりな印象。童遊社1/100の最新作。
大戦初期,F2A,F4F(米海軍),P36,P38,P39,P40(同陸軍),スピットファイアMk.I(英空軍)といった連合軍機に対して,圧倒的な性能アドバンテージを持っていた零戦ですが,2000馬力を大馬力を越える大馬力にものを言わせたF6F,F4U-1D(米海軍),P47D,P51B/D(同陸軍)といった米軍機の開発により,大戦末期にはさすがに歯が立たなくなっていました。
52型は前作である22型よりも翼端を短くすることでスピードを稼いだのですが,大馬力にものを言わせて上昇した後に高速で降下するという一撃離脱戦法を旨とする米軍機には敵わなくなっていました。
勿論,零戦最大の武器は小回りを生かした空戦性能の良さですが,高速で振り切られたのではどうにもなりません。
単純比較は乱暴ではありますが,零戦52型と当時の米陸軍航空隊の主力であるP51Dマスタングの最高速度を比較すると,零戦が約590km/hなのに対して,マスタングは704km/hとなります。
勿論,戦闘機の性能は上記の通りドッグファイト時の格闘性能も重要ですが,振り切って逃げられたのではどうにもなりませんし,頭を押さえられた時点で負けです・・・。
サイドビュー。垂直安定板がやや大きいか・・・。
そういうことで,我々日本人としては,何とも苦い思いの機体となります。
零戦を終戦まで引っ張り続けたのは,物資の不足などによる次期主力艦上戦闘機烈風や局地戦闘機震電の開発の遅れが大きかったのでしょう。
英空軍の主力たるスピットファイアがMk.IからMk.22まで改良を重ねて高速高々度戦闘機として独機と互角に渡り合ったのとは対照的です・・・。
しかし我々は,国の守りとして最後まで死力を尽くして戦った最後の零戦を,決して忘れてはならないと思います・・・。
戦後既に60余年。
二度と戦火の空を飛ぶ飛行機の無いことと平和の希求を込めて・・・。
主翼前縁汚しすぎ・・・。塗装の剥がれ・・・と思って銀とグレーを薄く入れたが失敗・・・
楽しませていただきました。
後継機の開発の遅れから終戦まで使い続けた零戦はやはり不運でした。
結局当時の日本には大馬力の発動機の開発がうまくいかなかった故のことでしょうか。
烈風や震電が登場していれば,いま少しマシな戦いができたでしょうか。否、やはり国力の差は如何ともし難いですよね。
私はPS1提督の決断3で,烈風や震電を開発し,F6FやF4Uなどに対抗し,富嶽を開発して米本土を攻撃するなどということをしていましたが,まさに絵空事。憂さ晴らしにしかなっていませんね。
さて,戦艦金剛を早く起工してお披露目をしたいものです(3年経ちますが,まったく進んでいません。)
土、日とお仕事があったそうで、お疲れのことでしょう。
でも、二日酔いの後もいい趣味を持って居られ
作品に没頭されて、素晴らしい作品が出来上がりましたね。
亀レス,すみません。
最近面倒で,簡易キットに手を加えて・・・という作業が多くなっています。
仰るとおり,2,000馬力級のエンジンの開発の遅れが響いたということでしょうね。
紫電改があれだけの奮戦したのですから,烈風と震電が間に合って,四式戦が性能を発揮したらB29やP51Dに我が者顔されることもなかったでしょうに・・・。
提督の決断は私もやりましたね。
上の子が「太平洋の嵐」やって,モスクワに攻め込んでいました・・・(笑)
亀レス申し訳ございません(滝汗)。
無性に模型組みたくなる時期がありまして,今がまさにそうです・・・。
WWIIものは日本と独に偏る傾向があるのですが,最近は連合軍側のものも手を出すようになりました。
そのうちまたうpします・・・。