koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

使えない・・・

2011年03月23日 20時47分45秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

今回の震災で改めて分かったことの1つに,携帯電話が全く役に立たないということが挙げられる。


当日,いつもクレドールにセットして充電している筈なのに,その日に限って上着のポケットに入れたままだった。
通常であれば,何日もリチウム電池が保つ筈なのだが,今の携帯は液晶ディスプレイが大きい。
使用すればそれだけ電力を消耗するのは自明の理である。
被災直後,電波状況はかなり悪化しており,電力も不通になったので固定電話回線がまず駄目になった。
当然のことながら,多くの電波が飛び交う状況で受信状態が悪化し,更に混信を助長したであろうことは想像に難くないのだが,極希に送受信ができる程度に相成っていた。
私は,仕事が一段落した16時過ぎに(地震発生は14:47)相方に電話を入れ,通じないのでSiメールを送信した。
返信は全く無い。
電力が落ちた状況で,使用できるのは携帯webのみとなった。
入ってきた情報は,当然のことながらどれも悲観的なものばかりで,空港が津波被害に遭って機能麻痺とか,沿岸部は壊滅状態とか,M8.3とか(その日のうちに8.8になり,最終的に9.0となった)今回の地震が尋常ではない大きさであることを示すものばかりだった。ところが,それがいけなかった。
あっという間に,バッテリー残量のゲージが1つ消えた。
充電はできないし,これはいかんとweb閲覧を止め,最低限の通話とメールのみにする。
相方からは何も返信がない。
地震発生から3時間がたった頃,私は下の子を迎えに保育所に向かっていたが,その際メールの着信があったことに気付かなかった。
同じキャリア同士のSiメールで,未登録の電話番号のあとに私の名字が有り,無事ですと書いてあった。
この時点では,一族の誰かが寄越したのか?と思ったが,その後帰宅した際に相方の携帯が棚の上に置きっぱなしになっているのに気付くことになる・・・。
よりによってこんな時に,私は前の晩充電を忘れ相方は家に携帯を忘れるという間抜けきわまりない失態を演じたことになる・・・。
相方の携帯には,私が数回送信した筈のメールが1回しか受信できていなくて,通話の着歴も2回しかなかった。
だから,仮に忘れずに持っていたとしても,リアルタイムで送受信できたかどうかは分からない。
私の携帯に来たSiメールは,相方が同じキャリアの同僚に借りて送信したものだった。
だったら,名字ではなく名前で送信すれば気を揉まなくて済んだのだが・・・。


・・・で翌日の3月12日。
残存電力の乏しい携帯を開くと,何と「圏外」の表示が出ていた。
当然webも駄目である。
この時点で,私の携帯は時計の役割しか果たさなくなってしまったので,いつ電力が復旧するか分からないのに乏しい電源を消耗していられず,電源を切った。


以来丸3日,携帯電話は全く機能しなくなった。
メール機能が回復したのは14日の夕刻。
朝に奇跡的に電力供給が回復していたにもかかわらず,充電器を家に忘れて仕事に行ったので,メール機能が回復した頃,ガソリン給油待ちの列に加わっているうちにリチウム電池が終焉を迎えていた・・・。
機能が完全に回復したのはその翌朝。
被災から丸4日を経過していた。


それにしても,通話があっての携帯と思うのは私だけだろうか。
メールとか,その他のアプリケーションが充実しても,本来の目的である通話ができないのでは役割を果たさない。
確かに,震災直後は回線が飽和状態になってシステムダウンとなるのは分かるし,緊急連絡優先のために,一般の通話を規制するのも理解できる。
しかし,さらに停電による基地局がダウンした。
非常用電源が有ったので,震災当日は何とか通じだのだが,翌日になると全く駄目になったのは,非常用電源が落ちたからなのだろう・・・。
さらには,基地局自体が津波の被害に遭っただからひとたまりもない。
以上の理由から,ネツトワークも駄目になった。
私は震災当日夜,災害伝言板に登録して書き込んだが,やがて4日間全く見られなくなった。


・・・という訳で,災害時には携帯は全く役に立たなくなった。
このあたりは,各キャリアでの差は無かったようだ。
アプリケーションの充実は結構だが(10年前にカメラ機能が付いたとき,こんなもの役に立つか,と思ったが,篦棒に普及した。私は殆ど使わないが・・・),通信機能が使えないのならば意味がない。
各キャリア会社は,ぜひ今回のことを教訓に改善して欲しいものである。


ついでに,災害の時は今以上に悪くならない・・・と思うのは禁物である。
例えば,我が家は震災当日は水が出たが,翌朝止まっていた。
間もなく2週間になるが,未だに通水していない。
携帯もwebはOKと思ったら,翌朝システムダウン。
そのあたりは大きな教訓である。
日記@BlogRanking

 


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3 コメント

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お久しぶりです・・・ (アメリカン・ブルー)
2011-03-27 11:40:54
koshiさん、ここでまたお会いできて良かったです。
もう、何日が過ぎたのか・・・
まだ、気持ちの整理などとてもつきませんが、お互いに、一つ一つ、あの日の前に心を戻そうとしていることは確かですね。
そこからまた、学んだことを生かしながら生きて行けることを願っています。
お子様もまだお小さいようですし、心配でしょうけれど、
また、koshiさんのお部屋でたくさんのことを勉強したいと思っております。
お体に気をつけて・・・また、足を運びます。
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PHS (tomo)
2011-03-28 21:27:25
 同じく、私のPHSは混線して不通になりましたが、緊急災害電話から奇跡的に息子のPHSに通じ、無事、待ち合わせをすることができました。その際、店がだめになってもその場で待つこと、周囲の状況をリサーチしながら来ること、などを打ち合わせしていたので、すぐに生協での買い物ができました。緊急用品(ごはん、かんぱん、水、缶詰など)息子の情報で、かなり買うことができ、ラッキーでした。車は遠くに置いて待ち合わせ場所に行ったことも幸いしました。駐車場が液状化していて、入れなかったからです。父は車のシガレットから電気が取れるコンセントを持っており、三口タップを付けて充電ができました。家族全員が揃い、おまけに食糧も買えたので、宮城県沖地震の教訓が生かせたと思います。息子もアンテナが立つ場所を探して、立っていたようでした。やはり、携帯する電話などは必要です。将来、お子様にも持たせてあげてくださいね。家族が違う会社のものを持っていたこともラッキーでした。固定電話回線も違ったので、電気が回復した時すぐに私の電話は使用できました。
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ガソリンがまだです (tomo)
2011-04-05 21:46:37
ガソリン以外はバスで街中へ行き、有名デパートや個人の店で購入できるのでもう不自由はありません。単1の電池も1本も買えませんでした。Mデパート、Fデパート、Eスパルは回復しており、充分に買い物ができます。生クリームのケーキや果物、生菓子、パンなども手に入り、ストレスの解消に役立っています。お勧めです。病院も全て街中です。
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