koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

關西紀行-其之四:天平の夢,平城の光・・・

2012年01月06日 21時32分24秒 | 旅行,および「鉄」

決まっているというわけではないのですが,4度にわたった関西行の2日目は何故か奈良へ行くことになります。
今回も,近鉄往復+バス乗り放題で1,600円という切符を何故か京都市バスの窓口で朝イチで求めました。
・・・で,今回は奈良への旅となるわけですが,古代史は近現代史同様全くの範疇外でして,知識も高校の教科書程度に限られますので,お読みになっておられる皆様に新しい知識を提供することはかなわないかもしれません・・・。
ま,この年になっても今後の勉強と研鑽が必要ということでしょう・・・。


前の日は4時起きで,ローカル線始発をつかまえてこちらも始発の新幹線に乗るというハードな日程だったのですが,この日は7時にホテルの目覚ましをセットしておいて,40分後にまったり起床・朝食という始まりでした。
殆ど駅に泊まっている状態なので,便利であることこの上ないです。


さすがに昨日の疲れは取れず,おまけに普段寝ていないベッドでの睡眠だったので熟睡感は皆無で,行きの近鉄の車中は相方と上の子が爆睡していました。
京都南郊の宇治とか城陽(地名の由来は何なんだろう)といった地域は丘陵地帯で,そこにベッドタウンとなる住宅地が散在している感じでした。
本日の目的地は,過去2回振られている平城宮跡(へいじょうきゅうせき)。
私は「へいじょうぐうあと」と呼んでいましが,大きな間違いだったことになります。
個人的には何と30年ぶりの再訪です。
天気が悪く,資料館を見ただけでしたが・・・・・。


近鉄の急行を,大和西大寺で乗り捨てる。
ここまでは昨年と同じパターンです。
昨年は,ここを基点に東大寺と並ぶ大寺であった西大寺と,あまりに魅力的な伎芸天で有名な秋篠寺を見て,西の京から唐招提寺へ行き,奈良市内へ入ったのですが,今年はとにかく平城宮跡を目指しました。
バスの便が悪いので,奈良駅前から乗って・・・とも思いましが,敢えて歩きました。
資料館までは僅か10分。
ところが,ここから4時間にわたる広大な平城宮跡の旅が始まることを夢にも思いませんでした・・・。


昨年は,平城京遷都1300周年ということで,大々的な催しもあったようですが,最大の
イヴェントは何と言っても,巨大な大極殿の建造だったと思われます。
10年ちょっと前に南端に朱雀門が再建され,ライトアップされた姿を近鉄の電車の中から見ることができたのですが,その大極殿と朱雀門に関しては画像を参考にしてください。
如何に巨大な建造物であるかが分かります。


平城の都1300年・・・と言われますが,ではそれ以前に都はなかったのでしょうか・・・。
・・・というか,言ってしまえば,天皇が即位するごとに都が変わった・・・となります。
例えば,大化の改新が有ったのは飛鳥板葺宮とされますし,中大兄皇子-天智天皇の都は後述する予定ですが幻の都と言われる近江京(大津京)ですし,壬申の乱を経て弟の天武天皇が即位したのは飛鳥浄御原宮,その妻の持統天皇の時代は大和三山のトライアングルに位置する藤原京でした。
当時,遣唐使船がしきりと大陸を行き来しており,唐の都長安の巨大さやインターナショナルな華やかさは,帰国した留学生や僧侶・文人たちや渡来人によって伝えられたことでしょう。
そのあたりも,大規模な都造営に関連しているのかもしれません。
それにしても西の端が西大寺,東の端が東大寺と考えると,直線距離で4kmを超えるので,当時の都として如何に巨大であったかが分かります。
現在の奈良市街地がJR奈良線の東に集中していることを思えば,その広大さはとんでもないということでしょう・・・。
その中で,御所とも言うべき平城宮が占めるのは1km四方。
それを一周したのですから,結構な距離です。


・・・ということで,あとは画像で語りたいと思うのですが,平城京に都があったのは受験丸暗記の年号で言えば,「何と(710-和銅3年)綺麗な平城京」から「泣くよ(794-延暦13年)坊さん平安遷都」(「鳴くよ鶯・・・」というのもありますが,平城京からの遷都の目的の1つが政教分離と考えると,前者の方が合っているかと・・・)までの80余年間と思われがちですが,実際には,894(延暦3)年現在の京都市南西の長岡京に遷都されています。
東大寺勢力に関わる役人が企てたとされる藤原種継暗殺と,その関与を疑われた桓武帝弟の早良親王の淡路配流と,その祟りとされる数々の天変地異や疫病の流行によって平安京への遷都となったことは,映画「陰陽師」でも語られておりました。
さらに言うならば,これは受験生当時に高校の教科書で得た知識ですが,奈良時代を代表する人物とされる聖武帝は何と740(天平12)年から5年の間に何と山城恭仁京(京都府木津川市加茂町)-近江紫香楽(信楽)宮(狸の置物で有名)-難波宮(大阪城の南??)と3度も遷都を敢行しているのです。
長屋王の変や藤原広嗣の乱,疫病による藤原不比等の子である四兄弟(皇后の光明子の兄)の相次ぐ逝去といった変事・凶事が重なったこと等が原因でしょうが,官民ともに堪まったものではなかったことでしょう・・・。
(いかん,暴走し始めた・・・。このままでは終わらん・・・・・・)
大極殿を目指して・・・。先は長い・・・。
巨大な大極殿。どっかで見た・・・と思ったら同時代再建の法隆寺金堂がモデル。
1300年前の礎石跡をそのまま保存。天平への追想は膨らむ・・・。
水が抜かれて枯山水のようだが,寝殿造以前の奈良期の庭園を再現・・・。
朱雀門。奥に大極殿が見える。これらすべて無料である。

京都に比べて,奈良は大寺が多いです。
寺域が広いのは,大陸風であるからと,長岡・平安京遷都によって政教分離が進められ,後の都に移築されなかったことが大きいからでしょう(大安寺,薬師寺,興福寺,元興寺は藤原京より移されたもの)。
京都に比べて訪れる人も少なく,ゆっくりと見て回ることができるというのが何よりも良いです。
そして何と言っても,大らかな大陸の風気を感じ取ることができ,取り澄ましたり突き放したりする感じやお高くとまったところも皆無です。
やはり個人的には,「古今集」より「万葉集」です・・・。
             (2日目前半しか終わらなかった・・・・・。多分明日に続きます・・・)
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