遂にこの日が来てしまったと言うべきか。
TOYOTAでただ一台残ったスポーツカーMR-Sが,遂に生産打ち切りとなった。
3月にはセリカが生産終了となったし,夏にはHONDAのインテグラの生産が終わった。
考えてみたら,90年代前半はアウトドアブームの影響かパジェロ(三菱),ランドクルーザーの他に三菱RVRとかのsuvが全盛で,90年代半ばに立て続けに発売されたRav4(TOYOTA-大ブレイク前のキムやんがCMに出ていた),CR-V(HONDA)あたりでその人気は最高潮に達したとも言える。
そして,90年代半ば以降はオデッセイ(HONDA)やNOA(TOYOTA)に代表される1.5BOXカーが流行し,今世紀に入るとミニヴァン&コンパクトカーが主流となる。
スポーツカーが全盛だったのは80年代半ば頃だろうか。
83(昭和58)年(84年か?)発売されたHONDAのスポーツクーペ「プレリュード」(二代目)は,若者の間で話題になり,「デートカー」と呼ばれた。
85年には小型乗用車クイントのスポーツクーペであるクイントインテグラが登場。
これもまた若者の心を掴み,発売前から話題で持ちきりであった。
そして87年には満を持して三代目プレリュードが登場する。
今でも覚えているのは,発売直後の5月の連休に友だちの付き合いでHOINDAのディーラーへ行ったところ,カップルを中心とした若者でごった返していて,やっとの思いでカタログを貰ったことだ。
後にも先にも,会場整理が出る程のカーディーラーはこのときしか知らない。
それぐらいの人気車であった。
因みにプレリュードの助手席背もたれ内側(つまり運転席側)にはリクライニングレバーが付いており,運転者が簡単に助手席を倒すことができた。
後で考えてみると,後席の者を下車させる際に便利である訳だが,私を含む当時の若者は良からぬ想像をしたものである・・・(下心レバーと呼んでいた・・・笑)。
毎月コンスタントに5,000台を売っていた好調プレリュードの好敵手となったのは,翌88年に登場した日産シルヴィアである。
敢えてFRのスポーツといった拘りが若者の心を掴み,完全にプレリュードを撃墜することになった。
ノッチバックスタイルのクーペであったシルヴィアに対し,ハッチバックスタイルでリトラクタブルライトを装着した兄弟車が180SXであった(後にすべて2Lとなるが)。
こり兄弟を合体させたのが所謂シル80である。
私は「イニシャルD」の中だけのことと思っていたら,実際に居たのには参った・・・。
こうした時代,私はTOYOTAのライトウェイトスポーツを2台乗り継いでいた。
HONDAが,F1のHODA,スポーツカーのHONDA,若者のHONDAで売っていた時代である。
また,おっさんのTOYOTA,保守的なTOYOTA,CMがださいTOYOTAと言われた時期でもある。
珍しくおねいさんを誘うことに成功し(本当か?),助手席に乗せても,
「これ何て車??」
と聞かれて内心喜んだり,
「好きな車は?」
と聞くと判で押したように
「プレリュードとインテグラ」
と言われ,
「TOYOTAでは??」
と聞くと
「ソアラ」
という答えが返ってきたことが懐かしく思い出される。
時代は変わった。
スポーツクーペを二台乗った後は,やはり流行らないステーションワゴンを2台乗り今に至る訳だが,所謂スポーツカーが,スカイラインにフェアレディZ,RX8,ユーノス・ロードスター,S2000くらいしか見当たらなくなったのが,実に寂しい限りである。
子育てが終わったら,家族を乗せるのではなく自分のために走るスポーツカーへもう一度回帰したいと思うのであるが・・・。
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