前回書いたのは約一年前
あっという間に過ぎてしまったのですが
本人はそれほど時間が経ったという感覚がありません。
とりあえず生きています。
仕事:本業は山もなく 谷もなく平穏にして順調?
ですが、一方で全くお金にならない依頼が山のように増えました。
が、そのおかげで山のように本を読み 山の頂きにいるような人達と会えました。
その人達が話した事を翻訳し、ようやく終了しました。
今後はその原稿は別の人に渡り、日本語の校正を経て映像の中のテロップになります。
何気に頼まれた鼎談の司会だったのですが、
最初は その内容が全くわかりませんでした。
あまりにも専門過ぎて、理系すぎて、頓珍漢のチンプンカンプンでした。
ゼロからの知識をとりあえずこの錆びついた脳に押し込め、
彼らが話している内容が日本語と英語の両方で来てもなんとなく理解できるよう努力のようなものはしました。
なにせ相手はそれについての研究を何十年も続けている人達ですから
にわかに入れた知識が通用するはずもないのですが、それでも鼎談司会をやり終え
その翻訳を終えたのでほっとしています。
何故 専門家ではない私が翻訳するのかと言えば、それは専門家ではないからです。
これを専門家に依頼したら数百万円になるそうです。
が、私なので数百円です。
いや・・お金は貰えないでしょう。
一応 かかった時間は申請してますがね。
その為に 通常の仕事プラス相当時間を割いて「アホちゃう?」と思います。
いえ、実際アホです。
依頼された時 すでに締め切りまで1か月なかったのですから。
普通の人なら断ります。
ただ、映像担当の人も、校正の人も、この膨大な仕事を賃金無しでやっているので、
彼女たちの事を考えると手を貸さずにはいられなかったのです。
ついでに 彼女たちが翻訳ソフトを使って出してきた日本語があまりにも頓珍漢すぎて
嘆かわしかったというのもあります。
でもね。
やっぱり お金はいいや・・・と思います。
やり遂げられた自分に満足しているからです。
人の運命とは不思議なもので
私のそれは浮き沈みが激しい。
ただ 一貫してお金とは無縁だけれど 何かの運は持っているのだと思います。
本業の合間を縫って、ある山の頂きのような人の仕事の一端にいるのですが、
その人の話しを直に聞くことができ、
一緒に行動することができ、
空気を感じることができるだけで プライスレスだと思います。
とりあえず、忙しいと言いながらも 元気に幸せに生きているってことで