Fare un brutto sogno

大切なのはバランス
無理をしたときの揺り戻しが一番怖い

昇らぬティダはない2

2004年12月16日 23時52分41秒 | 1.心の叫び
(前日の続き)

特に人との出会いが転機になった。

破滅的な主との生活の中で、あいつは私を変えてくれた。
自暴自棄な私に、「報われない」と嘆くそんな悩みよりも、「苦おしい程に人を愛する悩み」を教えてくれた。
前を向く力を与えてくれた。
人間性を取り戻させてくれた。

私は、何年か一緒に暮らし、立ち直るのは今しかないと思った。
そして、主の前から消えた。

なぜ逃げる必要があるのかって普通は思うよね。
俺もそう思う。
彼女のおかげで、彼女と様々な旅をして、グチャグチャに絡まった心の糸をほぐしてもらって、人並みに生きられる気持ちにさせてもらった。
そうなるまで
3年もかかったんだけどね。

「今ならやり直せる。全てを変えて、自分にしか出来ないことを探せる」

住む所も働く場所も変え、スカウトされたプロジェクトに臨んだ。
これが最後。
あらん限りの全ての情熱と力をこの仕事に注ごうと。

ひと月の基本勤務160時間、超過勤務230時間。
昼夜に関わらず、仕事以外の一切の関係を断ち切り、全力を尽くした。
そして社内を驚愕させたプロジェクトが完成した。

以後10年、ともに修羅場をくぐり抜けた「戦友」と出会ったのもこの時。
尊敬する先輩に師事したのもこの時。

プロジェクトが終わると、次々とスカウトの話が舞い込んだ。
取り組むプロジェクトの規模も、ン億からン十億、100億と大きくなり、やり遂げる度に役職は飛び級で上がっていった。
正確には「飛び級」といっても、「解雇されてもいい」と覚悟したメチャクチャな生活で停滞していた昇進を一気に回復して行っただけなんだけどね(笑)。

そして今年は、遂に「ン100億」に達した。


でもね、今の全ては、粗末な部屋の主に救われたからこそある。

あいつは、他の友や女性とは大きく違う所があった。
私の能力を認める人は、誰もが

「頑張れ」
「そんなことばかりやっていてはダメだ」
「自分自身で窮地に追い込んでる」
「はっきりした方がいいよ」

と、真剣に助言し、励ましてくれた。

しかし私にとって「頑張れ」と励まされることは、想像を絶する苦痛であった。

「そんなことは、俺自身が一番判っているんだ。」

言われれば言われる程、停滞と思考停止と相反する行動に追い込まれた。
もう自分ではどうすることも出来ない自暴自棄だったね。

だけど主は一言も「頑張れ」とは言わなかった。
あいつは

「ボク達、馬鹿かもしれないね」

って、笑顔で私にいいながら、いつも傍にいてくれた。

背伸びなどせず、ありのままの自分を受け入れてくれる人がいるということが、どんなに心強く、人を立ち直らせるか。
最初は私もいっぱいいっぱいで、主のそういう気遣いが全く判らなかった。
ただ、「煩わしくなくていい」「楽でいい」と思うだけ。
だけど、だんだん判って来たんだよね。
ありのままを受け入れるということが、どんなに勇気の必要なことか。

自分自身のありのまま
他人のありのまま。

なぜ受け入れるのか?
自分自身の修飾詞や虚勢や願望やそういうものを全て排し、これが自分なんだと認めることの勇気。
これが出来ると、いろいろな事のスタートラインに立つことが出来るのね。

そして、他人のありのままを受け入れることは、とても強い「絆」や「信頼」がないと出来ない。
「なぜこの人を愛してるんだろう」って考えた時、
そこに揺ぎなき確信があるのか?
それは不変なのか?
不安だよね。
でも、信じて受け入れる。
自分を受け入れる以上に勇気が必要だよね。
受け入れて初めて、心の中の全てをさらけ出し、新しいものを二人で作って行く事が出来る。

人を信じないこと、女性を信じないことが当たり前だった私にとって、
彼女の心は驚きであり、また、ありがたかったよ。
とても感謝した。
(結局、私は自分のために彼女を裏切ってしまうんだけどね。)

「ボク達、馬鹿かもしれない」
「そうだね、俺ら、馬鹿なんだよね」
「馬鹿って、楽しいね」
「馬鹿って、あったかいね」

豆腐屋の二階、ボロボロの貸し部屋。
彼女が彼女自身を「ボク」と呼ぶ度に、色々な事を教えられた気がする。


(翌日へ続く)
コメント
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