忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」

2008年04月27日 | 過去記事
■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」1

先ず、言っておく。

頼むよ。探偵ファイル!!

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080426/oth0804261224022-n1.htm
<【激写!聖火リレー】何者?目的は?「黒タイツ男」職務質問の瞬間>

おい!

大住とやら!!

足ぃ引っ張ってんぢゃないよww(生レバ喰ってろッッ)

くそわろたwww

-

いやぁ、それにしても、改めて善光寺GJですな。

あの下品な五星紅旗が境内の中でハタメク可能性があったわけだ。おおこわ。

http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200804260001.html
<騒然聖火リレー終了 沿道からの乱入など男5人逮捕>

昨晩は、午前4:30頃に布団に入って、なぜかしばらく眠れないから、頭の中で「脳内オリジナルレスラー総勢14人」からなる「脳内トーナメント戦・第4回」を開催してだな、その決勝戦が終わったころ(※決勝戦:○シャーク鮫島 【25分38秒 片エビ固め】 浪速1号● 通天閣ニ―ドロップを避けられてのシャークプレスからフォール)だったから、おそらく眠りについたのは朝の6時ころだと思うのだが、それでも7:30にはちゃんと起きた。で、寝起きすぐにトーストとラーメン(笑)を食べてコーヒーを持ちながら、寝室のテレビの前に座って、リモコンを構えていた。

隣にはまだ寝ている妻と「りーちゃん」。そして“てぃんこ”を放り出して口と目を半開き状態にして寝ている猛獣「むーちゃん」(・・・あの、「犬も夢をみる」というのはよく知られていると思いますが、うちのむーちゃん、なんと、うなされます。先日の深夜、私がDVDを見ながら夜更かしをしておりますと、くぅひゃん!きゅぅぅひゃっ!とうなされ続けるので、さすがに心配になって起こしました。目覚めると、周囲をキョロキョロとしていましたが、それで安心したのか、また寝てしまいました。何の夢を見ているのかは知りません。)がいた。そして・・・リビングのほうから、なにやら声がしはじめる。そして、その声の主はだんだんと・・・き、きたぁ!!

「2」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」2

「あ」

「お」

最近、「お」も覚えた孫の「そーちゃん」である。
そういえば、娘夫婦が泊まりに来ていたのだった。

「あ!」「お!」

もしくは、

「お!」「あ!」

大きな声で、その自信に満ちた2文字を発しながら、なんと、2足歩行で寝室に来たではないか。何度もバランスを失いながら歩くそれは、たしかに「天満」や「京橋」、そして「新世界」などでみる「立ち飲み屋から出てきたオサーン」のような歩き方ではあるが、これこそ、まごうかたなき、ホモサピエンスの歩行である。

思わず感動した私が「そーちゃん」を「抱っこ」すると、背中とおしりのところに「硬くなったごはんつぶ」が、いくつかそのままついていた。なるほど、昨日、そのまま着替えずに寝かされたのだな。パジャマで遊んでいるとは知っていたが、そのまま寝かせるとは、なんという怠慢か!よし!この「ガチコメじいじ」が「ごはんつぶ」を取って、更に着替えさせてくれるわ!ぱ、ぱ、ぱっじゃま~~♪ぱっじゃまでおっじゃっま~♪

・・・。

な、なんだ?別に妻の影響など受けてはいな・・

ん?でも、ちょっと、マテ。テレビはじまた。

テレビのボリュームをあげる。日テレだ。

っと・・・「そーちゃん」の「親友・むーちゃん」も起きだした。さっそく遊んでいるというか、ものすご噛まれている(笑)。「むーちゃん」のほうはもう、「飲み込もう」という気マンマンだ。そして、ツンデレ萌え萌えの「りーちゃん」は、基本的にホモサピエンスの乳幼児が嫌いだから、リビングか倅の部屋に移動して、まぁた、昼まで寝るつもりなのだろう。まるで「ぬこ」のような生活な「りーちゃん」である。寒がりだし。たまにキャットフード喰ってるし(みーちゃんの残り。その後、妻は結局、キャットフードなどを相当買い込んでいたことが発覚した。でも、みーちゃんはどこかに引っ越したようだ。ほっ・・・)。

ともかく、うるさい。

むーちゃん:「ぐわぁぉん!うおぉん!」
そーちゃん:「お!お!あ!お!あ!」

どういう挨拶だ。

「3」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」3

ま、まあ、本来ならば、珍しくもこの私が「テレビ」なんぞにかじりついておるこのとき、このように妻や子供たちが騒ごうモノなら、もう、

『だまらっしゃい!』

と一喝するのだが、そこは「ガチコメじいじ」の弱みである。

はっきり言おう。

孫はいい。許す。
差別だろうが区別だろうが、知ったこっちゃない。

ただ、ちょっと、今はうるさい。
テレビの声が聞こえない。おぉ~~い!!

誰か知らんが呼ぶと、娘が来た。

-

コレも言っておこう。はっきり言って頭脳が明晰な娘は「毎日新聞を購読してもいないし、今後するつもりもないが、枚方パークのチケットを持ってこい」というほどのアレだ。そして、なんと、毎日新聞は持ってきたという。娘は、あんなサイレント魔女・リティには、そのくらいさせても罰が当たらんと言い切る。私の持っている書籍を子供の頃からちゃんと読むと、ああなってしまうのだろう。健全たる嫌韓厨の腐女子である(どうしよう・・)。

また、前フリを2000文字も書いてしまって正直すまんのだが、ともかく星野監督が走りだしたようだ。それをみながら、やはり、あの年になったら「半パン」を履くのは止めておこうと心に誓った今日この頃、産経新聞の記事にある写真のど真ん中、五星紅旗を振りかざす支那人相手に、思いっきり「ごるぁ顔→(#゜Д゜)ゴルァ!!」で写り込んでいた「虹の実行部隊・ふみと少尉」に爆笑した男一匹・久代千代太郎です。了解wwすねーく了解ってばww

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http://www.asahi.com/special/080315/TKY200804260287.html
<聖火リレー 声援は政治にかき消された 長野>

いやぁ、毒餃子からこっち、いいねぇ~~♪

日本の左派勢力が黙している理由はこの辺だろうな。賢いといえば賢いが、恥知らずといえばそっちのほうが的を得ている話だ。支那擁護がんばってね。

<「近所の人が全然いないよ」。陸上の末続慎吾選手が走ったスタート会場の近く。赤いTシャツの若者で埋め尽くされた沿道で、初老の男性があたりを見回した。畳1~2枚分はある旗が、無数にたなびく。沿道からは、日本語の声援は何も聞こえない。「これじゃ、聖火が全然見えないじゃないか」。言い捨てて、男性は去った。>

完全に「組織化」されたそれは、日本人の目にどう映ったのか。

「4」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」4

「愛国心教育」までもなく、「日本が好きだ」というだけで白眼視された学生時代なんぞを思い出して、今、胸中にある「素直な気持ち」のまま、自分たちが知っていた(知っている)「それ」とは、いったいどんなものであり、どんなことであり、どのような動機から、どのようなことになっていたのか、そして、「それ」を牽引していたのは誰で、そしてそれはなぜなのか、そのままならばどうなってしまうのか、考えるきっかけになったのではないだろうか。

「偏狭なナショナリズム」を危惧していたリベラル(笑)な人たちは、この「偏狭なナショナリズムの権化」を全国放送されて、さあ、それでも「日本だけはダメ」と言って欲しいものだ。「日の丸を掲げることは侵略の歴史を肯定すること」という妄言を吐き、公的行事でさえ背を向けることを是とする支那大好きどもは、さあ、さあ、どうぞ、この五星紅旗は侵略の証ではないという理論を展開させてほしい。

しかも、「他国を通過させていただく立場」であるはずの支那人が、五輪旗などしったことかと威張り散らして「侵略の旗」を掲げ、表現の自由、言論の自由、集会の自由が保障されとるこの日本国内で、己の国の侵略に抗議している団体に対し、怒声怒号を如何なく発揮するこの現状を、さあ、さあ、どう説明するつもりか。

日本を代表する著名人やアスリートが走る日本国内で、支那共産党の呪われた真っ赤な旗を振る行為がどれほど愚かしいことなのかを、この「ならず者」どもに教えて差し上げろ。

己の国の人権蹂躙、植民地政策、軍事侵略を真因とする今回の「抗議活動」をして、日本の国費を費やす警備費用を、さらに大幅増幅させるほどの負担を強いる「危険性」を顧みることもなく、「日本は名誉に思え。誇りに思いなさい。」と驕る支那共産党の代弁者、日本国の総理大臣はロシアから祝電でも送ったのか。

<公募枠でランナーになった信州大4年生丸山佳織さん(21)も「中国の人がすごく多かった」と、中継地点を取り囲む赤い旗に戸惑った。>

圧倒的だった。そらそうだ。官製なんだから。

「5」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」5

スタート地点、星野監督が走り出したとき、さすがは辛坊治郎アナウンサー。現地のレポーターに何度も聞いていた。

「観衆は入場禁止なんですよね?そこは?いま、うしろに中国の旗がみえますが、中国の人はいますね?たくさんみえましたが、入場禁止なんですね?」

「・・・はい、あれは中国大使館の人たちです!!」

あんなに?支那の大使館はその日休みなのか?

同じTシャツ着て?同じ旗もって?

ああそう(棒)。

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-

しかしながら、たしかに「毒餃子」からこっち、さすがの日本の売国メディアも「反中国」路線を認めざるを得なくなり、以前のような気持の悪い、国民を愚弄していると思しき「支那擁護の報道」はできなくなったと思う。また、現在、どう足掻いてみせてもリアルタイムで起こっている「チベットの人権蹂躙」を番組で糾弾することから、どうしても「過去」を手繰らねばならなくなり、そこまで嘘を並べたてるようなことは、もはや、このご時世に通じないと知っているのだろう。

いくら歪曲しようが偏向しようが、事実、そこにごろんとあるモノを根本的に消してしまうようなこと、「あったこと(あること)」を「なかったこと(ないこと)」にすることは、それこそ「支那にしかできない」わけだから、庇うに庇いきれんほどの悪行のいくつかを曝け出す結果となってしまっている。

そしてそれを「評価」している人も少なくない。

現実として言えることは、先ず、「隠せなくなった」ということがある。それはたしかにいえることだ。すなわち、少なくともこの民主主義国日本で、世論というものがマスメディアを、そして政治をも動かすということは否定できないわけだ。「大衆の選択」によって成る政党、企業、マスメディアは、そのまま潰される可能性も当然にあるのだ。

しかし――――――

私はここでも注視せねばならないと思う。

「6」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」6

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世界的に見れば「奇異」な日本国内の左巻きくるくるぱーは、その「動機」が違うと思っている。いやゆる「中核派」や「革マル派」などの左翼活動家のような主義主張的、革命思想的な面はなく、もっと、現実的で個人的なこと、つまり、そのほうが「都合が良い」という程度の動機ではないかと思う。言うまでもなく、例えば(奇形左翼の大いなる矛盾の最たるものでもあるが)「商売」(金儲け)とかである。

<「チベット問題を訴える人も、それに対抗する中国の人も、五輪や聖火リレーを自分の主張に利用している感じがする」>

「相対化」というのは左巻きどもの常套手段であるが、こいつらはその「動機」が下劣であるから、そこには、本来「なければおかしい」はずの信念とか主張というモノがない。都合が悪いとなれば、いとも簡単に妥協する。普通、その品性こそ疑うべきであるのだが、こいつらは飄々と居直ることを恥じることもしない。「主義主張を曲げる」ということは、それなりの理由、それも絶対的な理由があって然るべきであり、更にその方向転換においては、かなりの摩擦、軋轢があるはずなのだ。

少なくとも、そんな「あ、そう?」ってな感じではなかろう(笑)。

例えば、上記の記事は朝日新聞である。相変わらずちゃんと書いていないが、前後の文脈からするに、おそらくは「長野のリレーをみた地域住人の感想」と思しきコメントが載せられている。この「コメントの主」に、

『おいおい・・・政治利用してるのは支那共産党だろ?その世界が注目する場所で、チベットの抑圧されている現状を訴えているだけだろ?一緒にするかぁ?』

と、突っ込むことも必要だが、その前に朝日新聞がこのコメントを記載していることに注目したい。それこそ、都合が悪ければ「作ってでも」読者投稿欄に、あたかも「読者からでし(笑)」としたトンデモ投稿を載せる新聞だ。都合が悪ければ書かないし、または「都合のいい部分だけ」を都合よく載せて扇動してきた新聞である。そこから考慮するに先ず、今までならあり得ないことだというに差支えはあるまい。

「7」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」7

過日の「報道捨てション」でも、あの「2万人だったらなんなんでしょう?」とのたまった古舘が、支那共産党・日本支部マスコミ工作員・加藤工作員の真横において、世界で沸き起こる「聖火リレーバッシング」を取り上げ、

「中国のチベットに対する人権弾圧がこの問題の根底にあると思いますね。中国はチベットとダルフールから手を引いて、はじめて五輪開催の資格があると、私は思います。」

と信じられない「正論」を吐いてしまった。ネットなどでも「ふるたち、にげてー」とか、「福田よりマトモ」とか「日本語でおk」など騒然としているが、元来、新日本プロレス黄金期において欠かせない存在だっただけに、私なども思わず「ふるたち・・・おかえり(はぁと)」と和みそうになったほどだ。蘇ったネプチューン!現代のガリバー旅行記!藤原義明の恐るべき顔面!など、懐かしいフレーズが思い起こされる。どうでもいいが。

それにしても、なぜなのか?

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私が思うに、それらは、

すべからく「既得損益を守っている(いた)だけ」なのであろう。

しかし、やはり恐ろしいのは、

その(そんな)理由だけで、現在までのような偏向報道がなされていたという「事実」に、今更ながらも背筋が凍る。日本の国民に資するための「公平中立な報道機関」という使命よりも、そいつらの金や立場が優先されているという現実は、金満主義の官僚や立場にしがみつきたいだけの政治家、目先の利益至上主義の企業、役人のセコイ不正や常識では考えにくい不祥事などを摘まみあげんでも、もう、十分すぎるほど理解できている「この国の破壊された公共心」そのものなのである。

「8」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」8

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虹の会:顧問、河内屋の親父は、麦焼酎の水割りを嘗めながら静かに言う。

「極東国際軍事裁判(東京裁判)史観を壊さんとダメ。すべてはそこから始まってる。」

戦勝国から戦因のすべてを圧しつけられた日本。

それに抗うことは許されず、喰う為に黙して耐え抜いた日本人。7年間のGHQの占領政策によって奪われたもの。その「無謀な戦争」とやらに突き進んだ悪因とされるもの。

それらは戦後、「愛国心」であると断罪された。

「国を想う気持ち」は危険思想であると、万歳突撃であると、特攻隊であると、危ないと、悲惨だと、教えられ続けた。それは7年間の占領統治を経たあとも粛々と続けられていた。

それによって奪われたものは「愛国心」??

違う。

「奪われたもの」・・・

それこそが、まさに「国民が国家を形成するための普遍的価値観」である、

公共心そのものであったのだ。

つまり、アメリカの占領政策における最大の目的は、

「日本人の公共心を破壊すること」

それが目的であった。

つまり、公共心からなる「公」とは、「国」そのもののことであった。「愛国心」とは「公共心」に包含されるべき価値観であったのだ。「自分を産み育てた国、己が先祖が生き、己が子孫が生きる国を想う」ことは、なんのことはない「公共心」のことであったのだ。

「9」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」9

世界各国をみるまでもなく、長野での狂信的な支那の「愛国心」に不気味さを覚えるまでもなく、それだけは「どの国」でも当たり前の感覚であったのだ。

壊れたモノ、奪われたモノのひとつ、それが「愛国心」であった。そして、「愛国心とは公共心を淵源とする」と知れば、日本の政治家や官僚、役人、企業、マスコミ、これらの奇異な言動、不思議な感覚、薄気味の悪い媚態、通常考えられないほどの不具合、または無責任極まりない不正や不祥事などの原因(動機ではなく)おいて、ここに「公共心」を大きく欠いていると特定すれば、それらすべてに辻褄は合う。なるほど、得心がいくのだ。

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まとまりのない6000文字オーバーで正直すまんが、これをみるに「侵略支配」において「公共心」とは壊れないものだと実感せずにはいられない。

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080426/oth0804261339026-n1.htm
<「フリーチベット」の叫び届かず亡命2世 泣きながら乱入 聖火リレー>

これを取りあげた産経新聞は、我が家がある京都府宇治市周辺において購読者がとくに少なく、毎日新聞と同じ販売所から配られてくるという憂い目に遭っているという。

がんがれ。産経新聞。
ビールはいらんから、その親米スタンスを改善しる。ならばもう少し売れるのに(笑)。

<ハプニングは突然起きた。JR長野駅や善光寺周辺と比べて、比較的観客の数が少ないコース中ごろの沿道。「フリーチベット!」。チベットの旗を握りしめた男がロープをまたいで車道へ飛び出し、聖火ランナーの列に飛び込んだ。警官隊に取り押さえられ、地面に顔を押さえつけられながらも、「フリーチベット」の泣き叫ぶような声は消えない。>

産経新聞が、記事中に「男」としながらも、次からは「さん付」で書いていることも覚えておきたい。あえて贔屓目で読むと、その文脈からしてポジティブな意味での「男(漢)」としているとさえ思ってしまった(笑)。病院には明日行く。

「10」へ

■2008/04/27 (日) ガチコメ的「五星紅旗に開いた穴」10

さて、この「タシィ・ツゥリン」さんは「威力業務妨害」で逮捕されたという。ならば、支那共産党は「軍事力侵略罪」か?もしくは「独裁政権人権蹂躙罪」?いや、もう、あっさり「強盗殺人」というのもアリだな。ホントにそのままだが。

国を追われても失わない「公共心>愛国心」を、ネガティブな意味での「民族主義」とする左巻きくるくるぱーは、ならば「それ」が「どうすれば壊れるのか」を知っているわけではない。わからないままながら、単純にそれが「都合が良い」から懸命になっているに過ぎない。つまり、「バレたら」もう通用しない。意味を成さないのだ。

それは、貴様らのチンケな「都合」など、私がペットの犬を「想う気持ち」よりも正当性がないからだ。「損か得」という判断基準は、いつまでたっても「正か否」という「公共心」の前には崩れ去るしかない。人に心がある限り、人間に魂がある限り、決して奪い去れないモノもあると知れ。「無くなった」のではない。「忘れていた」だけなのだ。

それを思い出した時、すべての小細工は通用しない。

例えば、明日の「日米安全保障条約」が発効した日である4月28日、すなわち、日本の主権が回復した日に、「日本の主権を侵害し続ける」北朝鮮の平壌をワザワザ走る悪夢の火もな。知ってしまえば「くだらんこと」だとすぐわかる。そして、「くだらん国」だと笑い飛ばし、「おい、いい加減にしろよ?」と怒りの覚悟を引き出すことだろう。

「日本政府は腰ぬけだ!」と騒ぐ時は、もう過ぎているのだ。いま、日本国民は、

「ならば、どうすればいいのか?」

というところにいるのだ。

そう。

「思い出す」まで、あと少しだ。

-

「眠れる獅子」なんてレベルじゃない。

日本の「寝起き」が悪いのは知っているはずだ。

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