先週の休み。妻と「アイアンマン2」を観に行こうと予定していたのだが、はぶて師匠評価が「C」だったから止めた(笑)。「DVD出たら観ればいいじゃん」ということで、近所に新しく出来たペットショップに行く。完全に妻のペースにはめられたわけだ。
ンで、そのペットショップは「ペンギン」も売っていて、なんとオスメスセットで380万円であった。誰が買うのか。あとヘラクレスなんとかという虫けらもいた。高かった。誰が買うのか。リスザルもいた。40万円だった。ちょっと欲しかった。
「サムライブルー」の犬の服をみながら悩んでいると、妻が「アイスが食べたい」と言ってきた。店の隣はアイス屋だった。これまたやられたのである。
あの某有名店があった。ちなみに、私個人で言えば、まったく何の用事もない店だ。妻がいなければ、私は一生立ち寄らない店だろう。だが、ちょくちょく行く。6月からダブルを頼むとトリプルになるサービスも始まっている。恒例のイベントである。私はよく知っているのである。妻に感謝である。
ただ、やはり、商品名などは覚えられない。トリプルだから3つ選ばねばならないのだが、これまた妻が目移りして決まらない。「おとしゃん、どれにしたらええか~?」と聞いてこられても困る。こんな粘土みたいなもの、私はどれも喰いたくないのだ。カレー味とかキムチ味があれば一考することもできようが、いや、せめてバニラとチョコレートとかならば、アドバイスくらいはできよう。しかし、である。
「まんごたんごっておいしいかなぁ?」
「べるじゃんちょこれーとじゃんく?」
など言われても全くわからない。いや、これがミノ・ハチノス・センマイ・ギアラならわかる。牛の胃だ。個別具体的な焼き方とタイミング、喰い方、味の特徴なども説明してみせよう。しかし、「じゃもかあーもんどふぁっじ」と言われても、私にはそれが何だかすらわからない。しかも、この店、アイスコーヒーすらない。ミスドを見習って欲しい。
列には若いカップルが多い。中高年は我々だけだ。前に並ぶカップルの男、脳みそがアイスで出来ているような若造が「えっとぉ~・・キャラメルリボンとぉ~~」とかやっている。今すぐこいつの胸倉を掴み、国道を挟んだ「情熱ホルモン」に連れて行き、人生とは何なのか、恋愛とは何なのか、米のメシの美味さと肉の脂について、それと「はやぶさ」の話でホルモンを焼き、日本酒を飲ませながら説教したい衝動を抑えつつ、というか、妻がぜんぜん決まらない。このままでは、私はここでアルバイトしてしまう。おばさんがトリプル買いに来たら「女は腹を冷やすなぁ!」とか言って追い返しそうだ。んで、決まったんかい?
「決まっても、名前が長いから3個もわからへんやんか~!」
なるほど、それはその通りだ。しかし、妻よ、案ずるな。こういう時こそ夫婦二人、力を合わせて乗り越えてきたではないか。我々には記憶力はなくともチームワークがある。まったく観ていないが、サッカーの日本代表チームもそうだったんだろう。
ところで妻よ、レジまで少し距離があろう。だから、おとしゃんがレジ前に立つ。そして、キミが選んだアイスをひとつずつ、おとしゃんに告げるんだ。そして、おとしゃんは、それをレジのお姉さんに伝える。わかったな?
「わかた!」
我ながら、なんというナイスアイデアなのか。後ろに人が並んでいようがしったことではない。アイスクリーム屋に来て、注文に難儀してアイスを喰えなかったとなれば、これはもう、完全に老夫婦ではないか。我ら夫婦はまだ、若者のシステムには対応できるはずだ。そして今から、それを証明せねばなるまい。妻と知り合って15年、ある意味、苦節15年なのである。アイスを3つ選んでコーンに乗せるくらい、出来ないはずもないのだ。
「え~っとぉ、ホッピングサワーとぉ~~」
おい、キミ、ほっぴんぐ・・・しゃわーだ。
おねえさん「はい。ホッピングサワーですね?」
ん?ですね?と言われたら、ちょっと・・・いったい、どうだったのか・・・?
「コジコジはコジコジ~~♪」
つ、妻よ、この緊急事態において「歌を挟む」のは止めてくれ。え?でも、まさか、コジコジってあるの?あいす?
おねえさん「ないです」
「べりーべりーべりーすとろべりーべりー!!」
え?なに?べりーすーぷれっくす?ええと、
おい、なに笑ってんだ?キミ。私がカタカナに弱いと思うのか?ああぁ?なぜ私がカタカナに弱いと決めつけるのか?これか?この風呂上がりでもないのに首に巻いているバスタオルか?アイス屋の冷房の中、汗を拭き拭きアイス買いに来たからか?この程度のカタカナ、往年のプロレスファンからすれば、安モンの早口言葉にもならんわい!みとけよ!
ケブラドラコンヒーロからラマヒストラル、ラケブラーダ、マスカラコントラカベジュエラ、どうだ、こんなややこしいメキシカンチックな言葉をキミはすらすら言えるのか?
「らぶぽーしょんさーてぃわん!」
ストロベリーバックドロップとサーティワンドロップキックとスモールパッケージホールドに雪崩れ式のホッピングバックブリーカー・・・・?なに?これでわかったのか?おおぉ・・さすが私だ・・
ま、ともかく、なにやら「腸の病気の時の●」みたいに丸っこいのが3つ出た。妻は上機嫌だ。「たべる?」と聞くから一口もらう。うん、冷たくて臭い。すっぱくっさ。
うむ。
興味のないカタカナむつかしーのである。プロレスラーの名前か技名なんかは大全集そのまま暗記パンだが、あと昔のロックミュージシャンとかな。ンで、意外と出て来ないのが外国の映画スターとか俳優さんだ。先日、山田バーで虹の親父・河内屋さんがスラスラペラペラやるから驚いた。映画のタイトルが出れば、すぐに監督や主演の俳優の名がポンと出る。あの「既定のヘルメットが入らない頭」の中には膨大な情報が詰まっているのだろう。今度、我が家のパソコンにダウンロードしてもらおうと思う。
それでも少しは知っているぞ。ジョージ・A・ロメロとかな!(またゾンビかい!)
あまり知らないのは邦画だったりする。なにも見ないで何人知っているか書いてみよう。漢字の間違いはスルーね。ええと、深作欣二、山田洋二、黒沢明、北野武、伊丹十三、さいよういち・・?山本しんや・・・?うむ。限界だ(え~~~)。
まあ、あと、こいつか。
http://sankei.jp.msn.com/obituary/100613/obt1006130846000-n1.htm
<【追悼】デニス・ホッパー 映画監督・井筒和幸>
昨日の産経新聞読んでたら、何気に出てきたから困った。産経新聞もちゃんとしてほしい。朝から井筒は勘弁だ。ただ、せっかくなのに「ヒーローショー」に全く触れていないのはよろしい。肩書きのところを「映画監督(笑)」にしているともっとよい。
せっかくだから、ちょっと読んでみよう。気持ち悪いぞ。
<街は何とも平然としていた。ボクだけなのかと思えた。昼下がりの新宿の大ガードを車でくぐったら、前方のビルの電光掲示板に、デニス・ホッパーが癌(がん)のため逝去したと、短いニュース文字が流れ出て、思わずタクシーの運ちゃんに「ちょっと止めてくれないかな」と声をかけ、そのまま通りで一時停止してもらったが、「1969年、衝撃の『イージー・ライダー』を監督・主演して…」とその後にプロフィルが続いて表れることもなかった>
上手いつもりなんだろう。しかし臭い。臭すぎる。しかも<ボクだけなのかと思えた>のあと酷過ぎだろ、これ。情景を醸すなら醸す、状況を説明するならする、心理を比喩するなら比喩る、修辞技法、すなわちレトリックなのかなんなのか、まあ、しかし、下手の横好き以下、評価は先ず「ばーか」としておこう。ンで、こいつ嫌いだから、今からもっと悪口を書く。どうだ。明白な動機だろう(笑)。
もうちょっと、先を読んでみよう。こいつのなんというか、中身が出てる。
<そんなことより、横断歩道を行きかう若者たちは上を仰ぎ見る余裕もなく、都市の絶望に押しつぶされまいと必死で自分の身の上だけを思うことに精いっぱいそうに歩いていた。暫(しばら)く、そんな哀れな若者たちを眺めた。もう一度、掲示板に繰り返しでニュース文字が出ないかと見上げていたら、後続の宅配トラックからビービーとクラクションを鳴らされた。停車禁止だろ、どこから来たんだ田舎者!とでもいうように>
冒頭で、だ。<街は何とも平然としていた。ボクだけなのかと思えた>などと下手糞な描写をしておきながら、次はもう<横断歩道を行きかう若者たちは上を仰ぎ見る余裕もなく>とかなってる。ンなら<ボクだけなのかと思えた>のがなぜだかわからない。ボクだけじゃないじゃん。人歩いてるんでしょ?阿呆か。
いや、これが「あることないこと書いて、無理に朝鮮人を美化しているのはボクだけなのかと思えた」なら意味は通る。それはもう、もちろん、そこまで低レベルなのは「ボクだけ」だ。それに<上を見る余裕もなく>とか放っておけ。前向いてないと危ないじゃないか。
ったく「ばーか」である。<昼下がりの新宿>を歩く人々は、お前みたいに朝鮮総連のことばっかり考えていないのだ。別に家に帰ってからニュースを見るなり、人から聞くなりして「へぇ~デニス・ホッパーって死んだの。あのイージーライダーの人でしょ?」くらいは言うだろう。なんで、いちいち、昼下がりの新宿でタクシー停めてまで立ち尽くさねばならんのか。阿呆か。
ンで、だ。
<都市の絶望に押しつぶされまいと必死で自分の身の上だけを思うことに精いっぱいそうに歩いていた>
なんというクソセンス。なんだその<都会の絶望>とは。だーっはっはwww
インタビュアー「いまから、どちらに?」
昼下がりの新宿を歩く若者「都市の絶望に押しつぶされまいと、必死で自分の身の上だけを思うことに精いっぱいそうに歩いているところです」
エロ監督さんよ、日本酒の飲みすぎちゃいますか?意味がわからない。なんでデニス・ホッパー死んだら、歩いているだけで文句言われなきゃならんのか。昼下がりの新宿に謝れ。お前の所為で「鎧着て水の中で死んだ俳優さん」に謝れ。「ばーか」である。
さらにこの「足の裏から冥王星」はこう言う。
<暫(しばら)く、そんな哀れな若者たちを眺めた>
おいおい、その昼下がりの新宿を歩く若者の中にコリアンはいないのか?そんなことじゃお前、私が本名で手紙書いて、
「私は在日3世のコリアンです。監督、私は産経新聞を読んで驚きました。なぜって、私もそのとき昼下がりの新宿にいたんです。そして、私もその電光掲示板を見て立ち尽くしていたからですセヨ」と書き出し、それから「イージーライダー」と「パッチギ」について無理矢理くっつけて語り、アメリカ的な自由に対する風刺、その劣化コピーである日本における自由に疑念を表し、井筒監督は日本人から見てもコリアンから見ても「ビリー・ザ・キッド」なんですねと持ち上げ、それでは監督、これからも世間に「友情のマシンガン」を乱射するような刺激的な映画を撮り続けてください!監督、これからも「ワイルドに行こう!」とでも締めくくれば、お前、それテレビで言うだろう?(笑)下手したら住所辿って家に来るだろう?「一緒に映画、撮らへんか?」とでも言うだろう。「ばーか」
ンで、これだ。
<もう一度、掲示板に繰り返しでニュース文字が出ないかと見上げていたら、後続の宅配トラックからビービーとクラクションを鳴らされた。停車禁止だろ、どこから来たんだ田舎者!とでもいうように>
<後続の宅配トラック>だぁ?抜いていかずに<ビービーとクラクションを鳴らされた>だぁ?ホンマかいな?仕事中の宅配トラックが?タクシーに<ビービー>?やったの?
ま、やったとしても、それは<どこから来たんだ田舎者!>はお前の決めつけだ。<朝鮮から来たのか売国奴!>ならわかるけどね。いずれにしても、昼下がりの新宿で立ち尽くしていたかったら、タクシー代払って気の済むまで立ってから、次を探しなさいと言う今日この頃、もう少しだけ悪口を書く。もう少しだけね。
ンで、こいつは仕事をしていらっしゃる宅配ドライバーの邪魔をしながら言う。
<ボクの代わりに、チョッパーバイクに鹿革ジャケットで跨(またが)るロン毛のデニス・ホッパーだったなら、そんな時は背中ごと振り返って、手の中指をゆっくり立てながら余裕の口髭(くちひげ)を歪(ゆが)ませてニヤリと返したはずだ>
<そして、彼の、優しさを隠蔽(いんぺい)させたその強面(こわもて)に、小心者の宅配ドライバーは警笛を鳴らしたことに忽(たちま)ち反省したことだろう>
だからね、エロ監督ョ、比喩には「直喩法」と「隠喩法」があってだね、例えばだね、
<ボクは思わず、背中ごと振り返って中指をゆっくり立てようと思った。まるでちょうど、チョッパ―バイクに跨ったロン毛のデニス・ポッパーのように、余裕の口髭を歪ませてニヤリと返しながら、ね>
とかな。これが「直喩法」だ。いいかね?エロ監督さんよ。ンで、
<そのとき、チョッパ―バイクに跨ったロン毛のデニス・ホッパーが、中指をゆっくり立てながら背中ごと振り返った。余裕の口髭を歪ませてニヤリと返しながら、ね>
これが「隠喩法」だ。どちらもその場に「本当にデニス・ホッパーはそこにいない」とはわかるね?つまり「比喩」なんだ。つまり、あんた、文章が下手糞なんだ。「ばーか」
ンで、まあ、途中もどうでもいいが、ま、これが最後だがね。
<ニューオーリンズの謝肉祭に出かけてマリフアナで乱交した揚げ句、田舎の大人らに猟銃で主人公3人とも殺され、儚(はかな)く閉じられたニューシネマに、しばらく席を立てずにいた。その夜は眠りたくなかった。ボクも映画を作ろうと思った。その日の新宿の街が何とも薄情に見えた。Mr.ホッパーに合掌。(いづつ・かずゆき=映画監督)>
昔の映画だとはいえ、平然とラストネタバレさせながら、このエロ監督は<ボクも映画を作ろうと思った>として「足の裏から冥王星まで」というエロ映画を撮るわけだ。デニス・ホッパーのファンは少なくないぞ?謝ったほうがよくないかい?
ま、そしてそのずっと後「嘘と偽りのシナリオに悪意の演出を加えた作品が続々とできあがる」わけだ。ああ、これは隠喩法ね。
「イージーライダー」に出てくる「ドロップ・アウト」といういかにもな名前の弁護士のセリフでこんなのがあるらしい。演じていたのはジャック・ニコルソンだ。
<アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでもしゃべるが、自由な奴を見るのは怖いんだ・・・>
井筒少年は「イージーライダー」を観て、ビリーとワイアットの「自由」に感動したのだろうか。「自由とは不自由」であるという現実から逃げられぬ「個人の自由」の哀れみを観たのだろうか。それでいま、昼下がりの新宿を歩く日本人の若者を「哀れな若者」と呼ぶのだろうか。
アメリカの歪な自由に対する評価は今も変わらないから、自由の番人であるキャプテン・アメリカも時代遅れのヒーローに成り下がった感は否めないが、それでも「パッチギ」の中で「地上の楽園」とされる北朝鮮の「自由」よりはまだ「問題提起された不自由」のほうがマシだ。自由を与えられ過ぎた不自由と自由は悪だとされる不自由の落差は説明するまでもないはずだ。
井筒は「クロッシング」を観たのだろうか。自分の映画以外は見ずとも「クソ映画」だと酷評するのが芸だと思っているようだが、「日本の映画なんて見る価値もない!」と威張ってないで、それこそ「民族の壁どついたる」のようなクソみたいな本を書いているヒマがあるなら、自分の映画よりも興行成績の良い日本映画でも観ればどうか。
ねーwwキモイですね、こいつねーw
ほんと、心の底から嫌いなんですねー
↑は私ですけどねー
小汚いオッサンが帽子を被って何かしゃべってました。
通り過ぎる時に「売国奴」ってボソッと言ってやりました。
なぜ、こ○さなかったんだ!
そして捕まって「誰でもよいわけではなかった。井筒がよかった」というんだ!
なんか、俺芸能人やで~ってなどや顔して歩いてました。
誰も好き好んでオマエ見ないってwww
なぜ、こ○さなかったんだ!ww