
山田バー閉店のお知らせ
昨日からテレビ、新聞で報道されておりますように、この度、約60年続いた「山田バー」が閉店することになりました。リーマンショックに端を発した長引く不況、ハゲリーマンショックに端を発した長引く不毛、私のメタボリックバイオレンスによる家庭円満欲求不満、更には自民党の負の遺産、民主党の鳩山の財産、それに派遣切りにみじん切り、政権交代によるてぃんこの「ねじれ」からのドリルモグラなど、様々な要因がアレしまして、この7月末日を持って閉店ガラガラ(もうやってませんw)ということになりました。
本当の理由は、おかしゃんが「もうやめてほしいー!」と言ったからではありますが、やはりそこは、夜の仕事、水商売というものは私のような「マイホームファシスト主義者」からすれば、その、なんといいますか、ハードルが高すぎた、とでも申しましょうか、長らくご愛好くださったナカスギさん(2回来てくれた)とか、どうもすいません。私はもう一度、サラリーマンをすることになります。あと、この拙ブログを「読んでまっせ!」とか言いながら来てくれた変わり者の皆様、どうも、どうも、誠にありがとうございました。私は生きています。
思い起こせばその昔、パチンコ屋に拾われる直前には「味噌屋さん」をしたこともありました。私は就職する際には仕事を選ばないどころか職業すら選びません。何でも片っ端から履歴書出して、順番に面接に行って、採用してくれたところに入るという「浮き草」のような職業観念でありますから、単純に近い&手取りがマシということで、さっそくにもドカジャンを着て車に乗ったわけでありました。連れて行かれたのは岐阜県の山奥。雪が膝まで積もっておりました。そこで言われるんです。雪景色の中、言われるです。怖いオサーンから「ミソ売れ」と。
ざくざくと雪を踏みしめながら、こんな「某タ○ヤミソ」混ぜ捏ねただけの味噌を「何万円」も出して買う御老人がいるということに驚き、訪問販売の怖さ、あるいは「騙す?あほか?わしらが別に騙してるんちゃうがな。ええか?わしらも騙されトンねや、会社にな?ぐへへへ、そこがミソやがな、ぐへへ」と笑うチームリーダーの極道ぶりに世の中を観たこともありました。ミソもクソも一緒でございました。
もちろん、そんな会社は3日ほどで辞めました。私はなぜか成績がよかったので「スーパールーキーやな、ぐへへへ」と言われておりましたが、ご期待に添えず申し訳なかったです。社長さんが「せっかく5Lのジャンバー発注したのに」と言っておりましたが、そんなこたぁ知ったことではありません。黙って静かに次のデブを待っていればいいんです。
ということで、山田バー。
初月から家賃も払えましたし、実のところ「2年は赤字」を覚悟しておりましたが、これがなかなか、やはりチャージ料金1000円は偉大でした。ありがとうございます。しかし、おかしゃんが「もうやめてほしいー!」というのもわかります。女の子からの電話も「仕事やんか」として堂々と出ることができるという幸せ・・・い、いやいや、そうではなく、毎日、ちゃんと帰宅できる仕事、というものをしてほしいと、且つ、経済的にも安定性のある生活がしたいと言われたら、男一匹、無理を通すことはできません。
倅も大きくなりまして、そろそろ、いつまでも母親と遊んでばかりもいられない年頃。我が家のリビングで、ひとりぽつんと座ってテレビを見ている妻を思うと、もう、可哀そうで可哀想で(泣)。犬に話しかけているのはいつもことではありますが、これがまた、話し相手がいるのといないのでは病気の種類がアレでございます。
それに、私もだんだんと楽しみになってまいりました。また、「初めまして!今日からお世話になりマス!」と言える環境が出来る。また、新たな仕事仲間に会える。仕事を覚えていく楽しみが出来る。知り合いも出来る。悩みだって出来ちゃいます。
私は老化現象というものは「精神の老化」のことを言うのだと思っています。変化を楽しめること、チャレンジ精神が死んでいないこと、新しい環境をポジティブに受け入れること、これらのことにドキドキ出来るのが「若さ」でありましょうや。妻は言ってくれます。
「また、嫌な人とかおるで?楽しみやろ?」
さすがは「意地悪3段(免許皆伝)」の妻であります。少々傲慢な私がまた、一兵卒から始める仕事、相手が年下であろうがまた、人様に頭を下げて働けるということが楽しみであると、なんともまあ、見抜いているわけであります。
40歳を直前にして、また、新たな職場で新たな職種で「1から」スタートできる。コレは好機であります。周囲の優しい人は心配して「大丈夫っすか?年下に偉そうに使われたりしまっせ?」と言ってくれますが、なんのどっこい、屈辱というものはそういうことではなく、まさに「そういうことも出来ぬ人間」こそ屈辱の塊なのであります。
私は私の倅くらいの年齢の先輩から「おい、こら!」と言われても「はいはい!よろこんで!」という自信があります。はっきり言いますと、私は今まで「ソレ」で勝ってきたんです。というか、ソレしか武器がないんです(笑)。
世の中の「お父さん」と呼ばれる人は、こうでなくちゃならないと思ってます。私の妻は貯金があってもなくても笑っています。世の中の「お母さん」と呼ばれる人は、こうでなくっちゃならないわけです。そして、私のライバルはやはり、妻なんです。負けるわけにはまいりません。妻は病気にも怪我にも負けませんでした。私が感心するほど立派な「お母さん」であり「良き妻」であります。だから、私も負けてはいられません。
何度転んでも笑って起き上がる。まあ、まだまだ私は転んだうちに入りませんが(笑)、人生に起こりうる少々のことは受け流して笑いたいものです。そうすることが人生なのだと、私は祖母やオカン、そして妻から教わったわけです。
さて、まだまだ、これから修行です。これからどんな困難が待ち受けるのかと、どんな幸せな瞬間があるのかと思えば、心がウキウキしてきますな。
平成22年7月25日 山田バー
昨日からテレビ、新聞で報道されておりますように、この度、約60年続いた「山田バー」が閉店することになりました。リーマンショックに端を発した長引く不況、ハゲリーマンショックに端を発した長引く不毛、私のメタボリックバイオレンスによる家庭円満欲求不満、更には自民党の負の遺産、民主党の鳩山の財産、それに派遣切りにみじん切り、政権交代によるてぃんこの「ねじれ」からのドリルモグラなど、様々な要因がアレしまして、この7月末日を持って閉店ガラガラ(もうやってませんw)ということになりました。
本当の理由は、おかしゃんが「もうやめてほしいー!」と言ったからではありますが、やはりそこは、夜の仕事、水商売というものは私のような「マイホームファシスト主義者」からすれば、その、なんといいますか、ハードルが高すぎた、とでも申しましょうか、長らくご愛好くださったナカスギさん(2回来てくれた)とか、どうもすいません。私はもう一度、サラリーマンをすることになります。あと、この拙ブログを「読んでまっせ!」とか言いながら来てくれた変わり者の皆様、どうも、どうも、誠にありがとうございました。私は生きています。
思い起こせばその昔、パチンコ屋に拾われる直前には「味噌屋さん」をしたこともありました。私は就職する際には仕事を選ばないどころか職業すら選びません。何でも片っ端から履歴書出して、順番に面接に行って、採用してくれたところに入るという「浮き草」のような職業観念でありますから、単純に近い&手取りがマシということで、さっそくにもドカジャンを着て車に乗ったわけでありました。連れて行かれたのは岐阜県の山奥。雪が膝まで積もっておりました。そこで言われるんです。雪景色の中、言われるです。怖いオサーンから「ミソ売れ」と。
ざくざくと雪を踏みしめながら、こんな「某タ○ヤミソ」混ぜ捏ねただけの味噌を「何万円」も出して買う御老人がいるということに驚き、訪問販売の怖さ、あるいは「騙す?あほか?わしらが別に騙してるんちゃうがな。ええか?わしらも騙されトンねや、会社にな?ぐへへへ、そこがミソやがな、ぐへへ」と笑うチームリーダーの極道ぶりに世の中を観たこともありました。ミソもクソも一緒でございました。
もちろん、そんな会社は3日ほどで辞めました。私はなぜか成績がよかったので「スーパールーキーやな、ぐへへへ」と言われておりましたが、ご期待に添えず申し訳なかったです。社長さんが「せっかく5Lのジャンバー発注したのに」と言っておりましたが、そんなこたぁ知ったことではありません。黙って静かに次のデブを待っていればいいんです。
ということで、山田バー。
初月から家賃も払えましたし、実のところ「2年は赤字」を覚悟しておりましたが、これがなかなか、やはりチャージ料金1000円は偉大でした。ありがとうございます。しかし、おかしゃんが「もうやめてほしいー!」というのもわかります。女の子からの電話も「仕事やんか」として堂々と出ることができるという幸せ・・・い、いやいや、そうではなく、毎日、ちゃんと帰宅できる仕事、というものをしてほしいと、且つ、経済的にも安定性のある生活がしたいと言われたら、男一匹、無理を通すことはできません。
倅も大きくなりまして、そろそろ、いつまでも母親と遊んでばかりもいられない年頃。我が家のリビングで、ひとりぽつんと座ってテレビを見ている妻を思うと、もう、可哀そうで可哀想で(泣)。犬に話しかけているのはいつもことではありますが、これがまた、話し相手がいるのといないのでは病気の種類がアレでございます。
それに、私もだんだんと楽しみになってまいりました。また、「初めまして!今日からお世話になりマス!」と言える環境が出来る。また、新たな仕事仲間に会える。仕事を覚えていく楽しみが出来る。知り合いも出来る。悩みだって出来ちゃいます。
私は老化現象というものは「精神の老化」のことを言うのだと思っています。変化を楽しめること、チャレンジ精神が死んでいないこと、新しい環境をポジティブに受け入れること、これらのことにドキドキ出来るのが「若さ」でありましょうや。妻は言ってくれます。
「また、嫌な人とかおるで?楽しみやろ?」
さすがは「意地悪3段(免許皆伝)」の妻であります。少々傲慢な私がまた、一兵卒から始める仕事、相手が年下であろうがまた、人様に頭を下げて働けるということが楽しみであると、なんともまあ、見抜いているわけであります。
40歳を直前にして、また、新たな職場で新たな職種で「1から」スタートできる。コレは好機であります。周囲の優しい人は心配して「大丈夫っすか?年下に偉そうに使われたりしまっせ?」と言ってくれますが、なんのどっこい、屈辱というものはそういうことではなく、まさに「そういうことも出来ぬ人間」こそ屈辱の塊なのであります。
私は私の倅くらいの年齢の先輩から「おい、こら!」と言われても「はいはい!よろこんで!」という自信があります。はっきり言いますと、私は今まで「ソレ」で勝ってきたんです。というか、ソレしか武器がないんです(笑)。
世の中の「お父さん」と呼ばれる人は、こうでなくちゃならないと思ってます。私の妻は貯金があってもなくても笑っています。世の中の「お母さん」と呼ばれる人は、こうでなくっちゃならないわけです。そして、私のライバルはやはり、妻なんです。負けるわけにはまいりません。妻は病気にも怪我にも負けませんでした。私が感心するほど立派な「お母さん」であり「良き妻」であります。だから、私も負けてはいられません。
何度転んでも笑って起き上がる。まあ、まだまだ私は転んだうちに入りませんが(笑)、人生に起こりうる少々のことは受け流して笑いたいものです。そうすることが人生なのだと、私は祖母やオカン、そして妻から教わったわけです。
さて、まだまだ、これから修行です。これからどんな困難が待ち受けるのかと、どんな幸せな瞬間があるのかと思えば、心がウキウキしてきますな。
平成22年7月25日 山田バー
すばらしいお酒を
すばらしい仲間と
そして、なにより、
すばらしいマスターがいる
山田バー
楽しいひとときを有難うございました!
次なる挑戦、楽しみにしております。
また行きましょう!
でも、楽しかったです。
次のお仕事もがんばってください。
そういう理由でしたら、諦めます。
たった2回だけでしたが、有意義な時間ありがとうございました。
私ぐらいの世代の一体何割が「バー」へ行くものかはわかりませんが、
山田バーは私にとっても心からくつろげる空間でした。
これからも奥様と仲良く過ごされてくださいね。
いつもいつもすいませんでした。いつもいつも100万円ほどをポンと出し、釣りはいらねえぜという豪胆ぶりに、さすがは極右団体の会長だなぁ・・・と感動しきりでございました。
今度は京橋で、ね。うふふ。
>師匠
時間差リバースご苦労様でした。キツイ酒飲ませて申し訳ありません。次の仕事をやりながら、私もまだまだ「ゆめ」を追いたいと思います。やるっぜぶろっけん!でありましょうや。
>ナカスギさん
すいませんでしたww
こちらこそ、楽しかったです。ロックで3杯も4杯もぐっと呷る渋さに感動です。そういうお客さんが欲しかったんです!ウィスキーがお好きでショ?というあの感じ、焼酎のお湯割りとか作るのが嫌だったんです!ありがとうございました。また、どこかで、飲りましょう。
あ、あれ?
たぶん、コメント書いて「投稿する」クリックが同じタイミングだったんぢゃ・・ww
いつか「し様専用」のカクテル(アルコール度→25メートルプールに日本酒1滴)を作って差し上げようと思っていたのです。
また、身軽になったら行こうね。京橋ロール買っておくね。
僕は山田バーで飲むより、同伴で飲む方が多かったような気がします。
同伴で飲む→日本酒やる→山田バー入店即トリスロック→寝る
こんな感じでしたwwww
これからも新しい職場でかなりの数の工作員を育てると思うと、ψ(`∇´)ψ うきょきょきょ です。
山田バーを閉店したおかげでこれからは早い時間から京橋でやれますね。
とりあえず、6日お願いします。
ええと、我が家です。
>▲
ψ(`∇´)ψ うきょきょきょ
6日ね。おけ。