朝起き出して、明るくなりつつあった7時頃から、散歩に出かけた。いくら温暖な小豆島といえども、この季節は寒い。防寒をしっかりして、カメラを携えて、海岸へと出てみた。もう陽が昇った時刻だと思うんだけど、水平線には雲がかかっていて、朝日は見えなかった。しかし、しばらく砂浜沿いに歩いていると、雲の切れ間から陽が差し始めた。それがとてもきれいだったので、何回もシャッターを切りながら、感激していた。その後、案内板を頼りに、小豆島八十八ヶ所霊場第59番の「甘露庵」へ行ってみることにした。街並みをくねくねと歩き、急な階段を上ったところに小さな庵があり、そこが「甘露庵」だった。冬の早朝のこととて、人の姿も見えなかったが、鹿島海岸がよく眺望でき、その静かなたたずまいと共にえらく気に入った。
宿に戻ってからは、朝風呂に入り、冷え切った体を回復させた。浴後すぐに、別室での朝食となり、美味しく頂いて、出発の準備を整えた。今日は、一日小豆島を巡るつもりなので、レンタカーを借りる所はないかと女将に尋ねたら、近くのガソリンスタンドがレンタカー屋も兼業しているとのことだったので、行ってみることにした。
9時前に宿を立ち、教えてもらった「関西レンタカー」に立ち寄って、16時まで、7時間小型車を借りることにしたが、6,000円とのことだった。レンタカーに乗ってからは、まず近くにある西光寺の南郷庵跡へ立ち寄ってみることにした。ここは、俳人尾崎放哉が庵主として最後の8ヶ月を過ごした終焉の地で、墓もあり、庵の跡には「小豆島 尾崎放哉記念館」が建てられていた。1994(平成6)年4月に開館したそうで、貴重な資料が展示され、庭には句碑も建てられていた。放哉は、東京帝国大学法学部卒業のエリートでありながら、身を持ち崩し、いくつかの寺を転々として、最後にたどり着いたのがこの小豆島だったとのこと。しかし、自由律俳句の天才で、斬新な歌を詠み、病魔と闘いながらの最後には、感銘深いものを感じた。墓に手を合わせながら、42歳で逝った生涯を追想してみたが、胸にこみ上げてくるのを感じた。良く知られている句は、『咳をしても 一人』、『入れものがない両手で受ける』、『足のうら洗えば白くなる』、『春の山のうしろから 烟が出だした』などだが、妙に共感を覚えた。
「小豆島 尾崎放哉記念館」と放哉の墓
その後は、土庄町を離れて東進し、海岸沿いに地蔵崎の方へと向かっていった。途中「道の駅 小豆島ふるさと村」に立ち寄ったが、閑散としていて、「手延べ素麺館」へ行ってみても案内をしてくれる分けでもなく、実演もしていなくって、拍子抜けした。それでも、窓越しに素麺の干してある様子だけは見学した。
次に、岬の先端の方へと向かっていったんだけど、道は細くなり、急峻な崖上を曲がりくねって走っていくので、ちょっとハンドルを切り間違えれば、転落しかねない。慎重にハンドルを回しながら、やっと地蔵埼灯台までたどり着いた。展望台があり海がきれいに見えるのだが、風が強くって、じっとしていられないような状態だった。それでも、灯台と海に向けて何枚も写真を撮った。
それからは、岬の東側を北上し、「オリーブ園」も見学した。オリーブの木を見るのは珍しく、園内を巡りながらシャッターを切ったが、背景に内海湾を配し、風光明媚なところだ。ついでに、売店で土産物も買い求めた。
続いて、「小豆島民俗資料館」を探したけど見つからず、聞くと廃止されて観光案内所となっていたのには驚かされた。島の民俗を知る上には貴重な施設だと思ったのだが...。
その後は、苗羽の方へと向かうと、“醤の郷”という看板が目立つようになり、小さな醤油工場がいくつかあった。そんな中を通っていくと、大きな「マルキン醤油」の工場が見えてくる。昔ながらの工場の雰囲気を湛えていて、興味をそそられて、「マルキン醤油記念館」へ立ち寄っていくことにした。入館料は210円なんだけど、記念に小型の醤油を1本プレゼントしてくれるので、徳をした気分になる。展示で醤油の製造工程がよくわかり、圧搾工場だけは、窓越しにのぞくことも出来て、良い勉強になった。
次に近くにあるプロレタリア作家黒島伝治文学碑を見てから、昼食に名物の素麺を食べ、堀越にある壺井繁治詩碑を訪ねてから、岬の分教場へと向かった。壺井栄著『二十四の瞳』の舞台となったところで、学生時代に一度訪れたことがある。その時は、対岸の小豆島ユースホステルに泊まって、おなご先生のように自転車で岬に向かって、走ってきた記憶が蘇ってきた。とても懐かしく思い、建物もよく保存されていて、小説の場面を彷彿とさせ、映画のシーンも思い出して、感動を新たにした。
続いて、「二十四の瞳映画村」にも立ち寄った。ここは、2度目の映画化(1987年松竹作品・朝間義隆監督)の時に造られたオープンセットを公開したもので、「壺井栄文学館」も併設されている。中に入ると、昭和初期のレトロな雰囲気が漂っており、映画のシーンを彷彿とさせるのだ。「松竹座映画館」というのもあって、実際の映画も見ることが出来、感激した。じっくりと見ながら写真を撮っていったので、結構時間がかかってしまった。 見学後は、来た道を戻って、坂手にある壺井栄文学碑と生田春月詩碑も見てから、今度は大門鼻の先端へと向かうことにした。ここにある大門鼻灯台は、道路脇の少し下がったところにあり、あまり目立たない。しかし、周辺の海はとてもきれいだった。
何枚か写真を撮ってから、東側の海岸線に沿って北上し、今度は寒霞渓へと向かうことにした。しかし、レンタカーを返す時間が迫っていたので、ロープーウエイの紅雲亭駅周辺の写真を撮っただけで、戻ることになってしまったのは残念だ。
それからは、ひたすらに来た道を戻り、土庄町へと帰り、16時ぎりぎりに車を返すことが出来て、ホッとした。
その後は、徒歩で土庄本町まで行き、30分位待って、16時50分発の坂手港行きのバスに乗った。10分ほどで池田平木のバス停までは着いたが、そこから宿までの道のりが大変だった。風が強く、雨も降ってきた上に、かなり登り坂が続き、30分近くを費やしたのだ。やっとの想いで、高台にある「国民宿舎 小豆島」へとたどり着いてホッとした。どうも、小豆島の宿は交通の便が悪くて困る、これだったらレンタカーを明日の朝まで借りれば良かったかと後悔した。まあ、小豆島霊場巡りの地だから、もともとは徒歩で回るのがほんとうなのだろうが...。
部屋に荷物を置くと、さっそく浴室へと向かい、旅の疲れを癒したが、ここもオリーブ温泉が使われていた。浴後、18時半から食堂での夕食となったが、食卓には、シタビラメ(地元ではゲタと呼ばれる)の焼物、刺身、ワタリガニ、肉鍋、デザート(イチゴ)などが並べられ、お酒も冷やで2合頼んで、美味しく頂いた。
食後は、部屋に戻って横になり、テレビを見ていたらまどろんできたので、床に就いた。
→続く
宿に戻ってからは、朝風呂に入り、冷え切った体を回復させた。浴後すぐに、別室での朝食となり、美味しく頂いて、出発の準備を整えた。今日は、一日小豆島を巡るつもりなので、レンタカーを借りる所はないかと女将に尋ねたら、近くのガソリンスタンドがレンタカー屋も兼業しているとのことだったので、行ってみることにした。
9時前に宿を立ち、教えてもらった「関西レンタカー」に立ち寄って、16時まで、7時間小型車を借りることにしたが、6,000円とのことだった。レンタカーに乗ってからは、まず近くにある西光寺の南郷庵跡へ立ち寄ってみることにした。ここは、俳人尾崎放哉が庵主として最後の8ヶ月を過ごした終焉の地で、墓もあり、庵の跡には「小豆島 尾崎放哉記念館」が建てられていた。1994(平成6)年4月に開館したそうで、貴重な資料が展示され、庭には句碑も建てられていた。放哉は、東京帝国大学法学部卒業のエリートでありながら、身を持ち崩し、いくつかの寺を転々として、最後にたどり着いたのがこの小豆島だったとのこと。しかし、自由律俳句の天才で、斬新な歌を詠み、病魔と闘いながらの最後には、感銘深いものを感じた。墓に手を合わせながら、42歳で逝った生涯を追想してみたが、胸にこみ上げてくるのを感じた。良く知られている句は、『咳をしても 一人』、『入れものがない両手で受ける』、『足のうら洗えば白くなる』、『春の山のうしろから 烟が出だした』などだが、妙に共感を覚えた。
「小豆島 尾崎放哉記念館」と放哉の墓
その後は、土庄町を離れて東進し、海岸沿いに地蔵崎の方へと向かっていった。途中「道の駅 小豆島ふるさと村」に立ち寄ったが、閑散としていて、「手延べ素麺館」へ行ってみても案内をしてくれる分けでもなく、実演もしていなくって、拍子抜けした。それでも、窓越しに素麺の干してある様子だけは見学した。
次に、岬の先端の方へと向かっていったんだけど、道は細くなり、急峻な崖上を曲がりくねって走っていくので、ちょっとハンドルを切り間違えれば、転落しかねない。慎重にハンドルを回しながら、やっと地蔵埼灯台までたどり着いた。展望台があり海がきれいに見えるのだが、風が強くって、じっとしていられないような状態だった。それでも、灯台と海に向けて何枚も写真を撮った。
それからは、岬の東側を北上し、「オリーブ園」も見学した。オリーブの木を見るのは珍しく、園内を巡りながらシャッターを切ったが、背景に内海湾を配し、風光明媚なところだ。ついでに、売店で土産物も買い求めた。
続いて、「小豆島民俗資料館」を探したけど見つからず、聞くと廃止されて観光案内所となっていたのには驚かされた。島の民俗を知る上には貴重な施設だと思ったのだが...。
その後は、苗羽の方へと向かうと、“醤の郷”という看板が目立つようになり、小さな醤油工場がいくつかあった。そんな中を通っていくと、大きな「マルキン醤油」の工場が見えてくる。昔ながらの工場の雰囲気を湛えていて、興味をそそられて、「マルキン醤油記念館」へ立ち寄っていくことにした。入館料は210円なんだけど、記念に小型の醤油を1本プレゼントしてくれるので、徳をした気分になる。展示で醤油の製造工程がよくわかり、圧搾工場だけは、窓越しにのぞくことも出来て、良い勉強になった。
次に近くにあるプロレタリア作家黒島伝治文学碑を見てから、昼食に名物の素麺を食べ、堀越にある壺井繁治詩碑を訪ねてから、岬の分教場へと向かった。壺井栄著『二十四の瞳』の舞台となったところで、学生時代に一度訪れたことがある。その時は、対岸の小豆島ユースホステルに泊まって、おなご先生のように自転車で岬に向かって、走ってきた記憶が蘇ってきた。とても懐かしく思い、建物もよく保存されていて、小説の場面を彷彿とさせ、映画のシーンも思い出して、感動を新たにした。
続いて、「二十四の瞳映画村」にも立ち寄った。ここは、2度目の映画化(1987年松竹作品・朝間義隆監督)の時に造られたオープンセットを公開したもので、「壺井栄文学館」も併設されている。中に入ると、昭和初期のレトロな雰囲気が漂っており、映画のシーンを彷彿とさせるのだ。「松竹座映画館」というのもあって、実際の映画も見ることが出来、感激した。じっくりと見ながら写真を撮っていったので、結構時間がかかってしまった。 見学後は、来た道を戻って、坂手にある壺井栄文学碑と生田春月詩碑も見てから、今度は大門鼻の先端へと向かうことにした。ここにある大門鼻灯台は、道路脇の少し下がったところにあり、あまり目立たない。しかし、周辺の海はとてもきれいだった。
何枚か写真を撮ってから、東側の海岸線に沿って北上し、今度は寒霞渓へと向かうことにした。しかし、レンタカーを返す時間が迫っていたので、ロープーウエイの紅雲亭駅周辺の写真を撮っただけで、戻ることになってしまったのは残念だ。
それからは、ひたすらに来た道を戻り、土庄町へと帰り、16時ぎりぎりに車を返すことが出来て、ホッとした。
その後は、徒歩で土庄本町まで行き、30分位待って、16時50分発の坂手港行きのバスに乗った。10分ほどで池田平木のバス停までは着いたが、そこから宿までの道のりが大変だった。風が強く、雨も降ってきた上に、かなり登り坂が続き、30分近くを費やしたのだ。やっとの想いで、高台にある「国民宿舎 小豆島」へとたどり着いてホッとした。どうも、小豆島の宿は交通の便が悪くて困る、これだったらレンタカーを明日の朝まで借りれば良かったかと後悔した。まあ、小豆島霊場巡りの地だから、もともとは徒歩で回るのがほんとうなのだろうが...。
部屋に荷物を置くと、さっそく浴室へと向かい、旅の疲れを癒したが、ここもオリーブ温泉が使われていた。浴後、18時半から食堂での夕食となったが、食卓には、シタビラメ(地元ではゲタと呼ばれる)の焼物、刺身、ワタリガニ、肉鍋、デザート(イチゴ)などが並べられ、お酒も冷やで2合頼んで、美味しく頂いた。
食後は、部屋に戻って横になり、テレビを見ていたらまどろんできたので、床に就いた。
→続く