昭和建築学会


昭和の建築物や路上にあるオブジェなどを中心にご紹介します。

昭和建築学会 第25回 伊勢市旧遊楽街をゆく 2

2013年12月21日 | 建築

さて、移動しよう。

 

傾いた塀を見つけたので、おもしろいと思ってシャッターを押した。

 

 

塀の下の方が、昔の鉄道の枕木みたいなのでできている。

それにあわせてあるので、塀の上の方が水平でないのである。

 

 

右側の塀もこの通り。

 

あとで見返してみると、とんでもないことに気がついた。

門柱のところに、名前は書かれてないが、街灯がついているのだ。

 

 

逆行でうまく撮れなかったが、正面から撮るとこんな具合。

 

 

増築されたピンクの建物が何やらいわくありげである。

これだけで、旧遊郭だとは判断してはならないが、うーんと考え混んでしまった。

 

 

玄関部分の上部である。

自然木の柱と欄間(?)みたいなものが何やらもの言いたげである。

 

この民家にほど近いところに、場末の飲み屋があるのである。

 

 

 

 

廃飲み屋。

 

 

「ピンコ」の字が、暗いけど見える。

昔、やくざものから聞いたのであるが、こういう飲み屋に入って、ビールを注文するとする。

その時、ビールはいくらだ、と手をつける前に聞かないといけないのだそうだ。

それをしないと、ぼったくられるとのことである。

 

いかにもそれ風の飲み屋が軒を連ねている。

 

移動することしばし。

 

 

「パリー美容院」(笑)

 

 

夜のお姉さんにとってはヘアは大事ですからね。

しかし、この倒れた植木鉢、何とかならないのかね。

 

 

「パリー美容院」左端。

どこに隣家との境界があるのか分からない。

 

ひょんなところにお稲荷さんを見つけた。

 

 

僕は路上観察していて、お稲荷さんやお地蔵様に出会うとほっとする。

もちろん手を合わせて拝みました。賽銭はあげなかったけど。

 

突如、目につく看板が……。

 

 

「革命」と呼ばれる飲み屋なのである。

 

 

おお、なんたることか、鉄筋5階建てのビル。

こんな遊楽街にあって、なんの商売をしているのだろう?

 

 

また、一見さんには怖そうなスナック迷路。

 

 

廃スナック街?

 

 

大手は潰れて、ちまちまと小さい飲み屋だけが残っている。

 

 

昔は隣に店があったのだろう。

配管が、まるでオブジェのようです。 

 

 

 

 

 


昭和建築学会 第24回 伊勢市旧遊楽街をゆく 1

2013年12月21日 | 建築

先日ご紹介した「旧歓楽街」は、結論的には「旧遊郭」だったようだ。

 

今回からご紹介する「旧遊楽街をゆく」は、「旧遊郭」ではない。

江戸の昔から、お茶や遊びには二通りあった。一つは芸者遊び、もう一つは女郎買い。

今の言葉で言えば、一つはキャバクラ、もう一つはソープランドやヘルスということになる。

 

今回からご紹介するのは、「芸者遊び」の方である。

しかし、その一郭の場末には元遊郭らしきところもあった。

 

まあ、あまり期待なさらずにおつきあい願いたい。

 

わたしがまず目にしたのは、アーケード街入口の、瀬戸物屋であった。

 

 

 

このアーケード街はご多分に漏れず、かなり閑散としている。

シャッターを閉ざしている店舗が圧倒的に多い。

 

しかし、この瀬戸物屋は、定休日以外は必ず店を開けている。

店番がいないのが少しさみしいが、遠慮なく撮影できて感謝している。

 

 

ショーケースの中には、高そうな焼き物もあるようなのだが、

それよりも「セトモノ」と書かれた字のロゴが時代を感じさせる。

 

 

とっくりたぬきや、招き猫、福助などもいまだに売られている。

わたしも、約30年前に、この店で招き猫を買ったことがある。

 

ただの験かつぎだったが、特にいいことも悪いことも起こらなかった。

 

今回は、験かつぎの招き猫や福助が売られていることに、旧遊楽街の端緒を見つけた。

 

 

これも、珍しい。榊立てを売っているのだ。

 

 

色とりどりの数茶碗。

 

店の裏手にも回ってみた。

 

 

 

隣は更地になっているが、以前は住居兼の商店があったのであろう。

隣家との境などあってないようなものだから、

非常に面白い造形を見ることができる。

 

ちなみに、わたしは物干し台マニアであるので、このような物干し台を見るとわくわくするし、

以前にも語ったように、波形トタンマニアでもあるので、

錆びた波形トタンを見るとやはりわくわくする。

 

 

昔式の排水管がむき出しになっていて面白い。

 

 

こういう建物を近くに見つけた。

飲み屋とか商店とはとりあえず関係なさそう……。

 

しかし、角地の3階建ては見応え十分である。

 

 

トマソン化した建物……。

 

 

わたしの愛車が写ってしまったが、

三階までゆける階段は見事である。

 

窓枠が、アルミではなく鉄であることに注意をしておかなくてはならない。

 

 

こんな廃スナック(?)を見つけた。

アールとタイルが何か意味深である。

 

 

先の3階建てのとなりにもアールのある入口の建物が……。

 

 

ドアが斜めに取りつけられているのも何やら怪しげである。

 

 

先の、鉄サッシの3階建て。

 

 

しばし歩く。原爆タイプのトマソン?

 

 

ではなかった。

となりの建物をちょん切っちゃった形になっている。

トマソンはトマソンだ。

 

しかし、この緑のタイルも何やら怪しげ。

 

 

 

無造作に自転車が止めてあったが、元飲み屋であったことは確からしい。

 

すばらしい、原爆タイプを発見。

 

 

原爆のあとを残して、新しく合板(?)を貼りつけてある。

古い記憶はなくしてはならない。

ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ビキニ、ノーモア・フクシマ。

 

 

原爆タイプの横の古い建物。

三階部分(?)だけに窓がついているのが、面白い。

建築と建築が混み合って建てられていた証拠である。

 

 

角地にやはり古いコンクリート建築。

眼鏡屋さんは、表のアーケード街では健在でした。

 

 

わーい、波形トタンの3階建てだ。

 

 

この写真ではちょっと見にくいのであるが……、看板に注目。

 

 

「琴 三絃   三味梅」

と書かれている。

 

琴と三味線の店だったのだ。

いよいよ「旧遊楽街」は近い。

 

 

 

三味線屋の二階。今は普通の人家のようだ。

 

 

物干し台マニアにはたまらない1枚を紹介して、とりあえず今回の報告は終わりとしよう。

(重いとか、フリーズするとかの苦情を聞いたので、少しずつ写真はアップしてゆきたい)

 


昭和建築学会 第23回 カミソリ建築

2013年12月17日 | 建築

町並みをみて歩いていると、

これ、人が住めるのかな?

と思ってしまう建物がある。

 

カミソリ建築と呼ばれる建物である。

 

先ずはご覧下さい。

 

 

これはいちおう、建物の裏手の方です。

急な階段、怖そうだな。

 

ビニール庇が哀れをそそります。

 

少し斜めにとってみました。

 

 

玄関の方にもまわってみました。

 

 

かなり地味な玄関ですね。

 

ここは以前はガソリンスタンドだったのです。

こんな狭いところで給油していたのでしょうか?

 

ほかのショットも見てみましょう。

 

 

 

波形ビニールトタン屋根を用いた、ユニークなデザインです。

 

 

波形トタンの見せる造形美には、はっと驚かされることが多いですね。

 

 

 

まず驚かされるのは無印看板でない建造物が建っているということです。

それに、土地も細長そうですね。

 

右に見える螺旋階段の方からとってみました。

 

 

ごちゃごちゃしてますが、カミソリ建築のようです。

 

正面にまわってみましょう。

 

 

特におもしろみのない1枚ですが、在りし日がしのばれます。

 

 

見上げたところ。

案外、建物は細長くないようですが、

 

次をご覧下さい。

 

 

 

反対側も、かなり細くなっていますね。

 

 


昭和建築学会 第22回 三重県田丸町旧歓楽街をゆく  拾遺集

2013年12月17日 | 建築

古い町並みを歩いていると、

「おや?」

と思う建物に出くわすことがある。

 

ずいぶんレトロなデザインが残っているんだな、

もしや、元遊郭であった建物では、

と思ってしまうのだ。

そういう建物を少しご紹介します。

 

 

レトロな街灯、

それと庇を支える腕木もレトロなつくり。

 

正面にまわってみるとこんなつくりになっています。

 

 

右の出っ張りのところまで硝子作りになっています。

それに波形の透明な硝子もレトロないい感じです。

 

しかしそれにしても、

何か外部と特別な接触をとる必要があったのでしょうか?

 

アップで。

 

 

 

 

変わったつくりの玄関、というより閉ざされているのでどこが玄関なのかよく分かりません。

ふたご屋根になってるのが、とにかく目を引きます。

 

かわいいな……。

 

 

腕木もちょっとレトロないい感じです。

上下に二つ並んでいるのがいいですね。

 

 

二階部分です。

案外当たり前で、ちょっと気が抜けました。

 

 

もう1枚。

窓枠がやっぱりレトロですね。

 

 

左の方も。

 

玄関部分の右はこんなになっています。

 

 

廃屋なのは十分分かりますが、やっぱりちょっと気が抜けました。

 

しかし、ふたご玄関がなにゆえにつくられていたのか、

とにかく気になります。

 

 

 

腕木の、なんとレトロなこと、

と思っていたら、玄関とおぼしきところのうえに何やら看板が……。

 

 

「歯科乾医院」

と書かれています。

 

しかし、玄関の入口上部にこういうちっちゃな看板をつけた建物は、

カフェーだったのではないか、と思えてしまいます。

 

横の方にもまわってみましょう。

 

塀の上に無造作に(?)本来の看板らしきものが残っていました。

 

 

塀を伝って左側にまわってみました。

塀に自然石があしらってありますね。

それに、塀の切れてるところのアールのきれいなこと……。

 

 

 

乾医院の左側の通用口です。

なんてレトロな庇なんでしょう!

 

 

見上げれば、やはりレトロな感じの瓦が……。

 

 

その思いを裏切るような、真新しい屋根。そして、ベランダと雨戸。

 

乾医院の全貌です。

 

 

何やら、やたら増築と改築を繰り返したようです。

 

しかし、そんな中、玄関の上部には、

「歯科乾医院」

のちっちゃな看板が残っていたのです。

 

なんともかわいいな。

 


昭和建築学会 第21回 三重県玉城町旧歓楽街をゆく 3

2013年12月16日 | 建築

ところで、先ほどの廃屋の近くに、無用看板を発見した。

 

しかし、写真でもうっすらと、

「この先」

と書かれているのが分かると思う。

 

さらに目を凝らすと、どうやら、

「国際秘宝館」

と書かれているようなのだ。

 

しかし、国際秘宝館も2007年に店を閉じて久しい。

だいたい、入場料が高すぎた。¥2000なんだもん。

 

そう、この町こそ、全国にある秘宝館の発祥の地なのである。

 

「旧歓楽街」に「秘宝館」の看板……。

敵は手強いですな。

 

 

波形トタンと、波形コンクリとのコラボによる美形物件。

 

少し歩いたところにも、怪しいものにであった。

 

 

うーん、これはいわゆるカフェー風の玄関のつくりなんだけど、

作られたのは新しそうだし、しかし、元の形を残してリフォームしたとも考えられる。

 

結論はでない。

 

 

その建物の二階は、すごく頑丈そうなバルコニーとなっていた。

もう何が何だか分かりません……。

 

 

かなり派手目の赤で塗られたトタン建築がありました。

問題はこの側面です。

 

 

雨樋のパイプを塗装して乾かしてあるといえばそうなのかもしれないが、

自然木も添えられていたりして、

とりあえず、オブジェとしかいいようがない物件にであったのでした。

 

 

なんの意味もなく、赤煉瓦が……。

わたしの焦燥した姿を嘲笑うように。

 

 

階段を作ってあるらしいのですが、その場あわせのいい加減なつくり、不純粋階段ともいうべきか……。

 

 

石臼がごろりと横たわり、まるで現代芸術のよう……。

 

 

またわたしを混乱させる物件が。

玄関口にアールのある壁を見つけたのでした。

リフォームし直してこうなったとも考えられる……。

 

結局は結論めいたことはあまり得られず児童公園に戻ったのでした。

児童公園にこんなものが。

 

どうやら自転車進入禁止の柵のようでした。

 

 

何を守るでもない柵。

 

 

最後に、公園にあった記念碑。

ある国会議員をたたえたものらしかったです。

しかし、ある意味、これは見事な純粋階段なのでした(笑)。

 

 


昭和建築学会 第20回 三重県玉城町旧歓楽街をゆく 2

2013年12月16日 | 建築

気を取り直して、再び旧歓楽街へ戻ろうとした。

しかし、わたしを待っていたのは、このような道であった。

 

 

都市計画からいつの間にかはぐれてしまった街、「ぬけられます」と書かれて決してぬけられない迷路のような道……。

 

 

 

再び路地。

路地にあるいろいろと面白いものたち。

 

 

このコンクリートの水槽は、かなり年代を感じさせる。昔は何に使われていたのだろうか?

今は紅いめだかが泳いでいた。

 

 

この家の人はかなり几帳面な人なのか? 雨樋のパイプが面白く固定してある。

 

 

一瞬考えたが、これはまさしくトイレですね。便所という言葉が似つかわしい。

 

ところで、これは先の家のものではない。

 

 

 

手前に、ありふれたトマソンがあり、そのむこうに、なんとコンクリートの円形でない蓋のついた便所のふたがあるのだ。溶けたちり紙が汚っぽい。

この、穴と蓋に何やら歴史が感じられた。

 

 

ところで、脱線するが、わたしが愛して止まない波形トタン、しかもかなり錆びている物件を発見。

 

 

ただし、キリコタイプととらえるのにはかなりむりがあって、側面に屋根の斜面を見せる独特のびんぼーなつくりとなっている。

 

また、違う物件。

 

 

エアコン室外機が、格子で囲まれている。

狭いながらも一戸建てなのである。

格子縞がきれいだな……。

 

 

同様に、木で作られた消化器入れ。これもなかなか年代物ですぞ。

 

 

 

灯油のタンクらしきものと、エアコンの室外機らしきものが、竹で編まれた塀に囲われている。

しかも、堂々と庇まで設けられているのである。

 

 

下の、マンホール状の蓋を押さえているつもりなのだろうか、まっ赤なれんがが唐突に現れて1枚撮った。

ああ、きれいだな。

 

 

こういう玄関のデザインを見ると、遊郭風に思えるのであるが、結論は急いではならない。

熟考すべきである。

 

 

この建物もそう。タイルに、壁にはめ込んだ硝子のブロック。

単純に遊郭風と決めてはなりませぬ。

 

普通の物件に戻ろう。

 

 

窓の戸袋と思いきや、そうでもないらしい。

しかし、この戸袋に見えた出っ張りの部分にも、庇が……。

 

 

そのぜいたくな庇の下方には、くみ取り式便所のあとが。

 

 

かなりぼろいが、一階はつながっていて二階が別れている。

二世帯住宅の元祖?

 

お地蔵様の近くであったが、こんなにもわたしが惹きつけられる物件に出会うとは……。

 

 

ただの廃屋とはお思いなさるな。次の1枚をご覧いただきたい。

 

 

反対側から撮ってみたのだが、なんとパラボラアンテナ装備ですぞ。

 

もう少し正面に寄ってみた。

 

 

建物自身がもうトマソンなのである。

 

ところでその右手を見てみた。

 

 

洗濯機だけではなく、なんと乾燥機さえ動いていたのである。

洗濯機が二槽式であるので、時代がしのばれる。

 

 

手前には、鮮やかな緑の流しが!

これもアールというのか。縁が丸くなっているのがなかなかの時代物である。

もしや、遊郭で……。(つづく)

 

 

 

 


昭和建築学会 第19回 三重県玉城町旧歓楽街をゆく 1

2013年12月16日 | 建築

三重県玉城町の、観光マップというのを見ていたら、「旧歓楽街」という文字が目に入った。

遊郭、赤線や青線、カフェーなどを追いかけて撮るというのは、わたしの建築趣味からはすこーしはずれる。

 

しかし、興味津々で、そのような写真が載っているHPや本を見る。

決して嫌いではないのだが、そのような1ジャンルがすでに確立されているのである。

 

まあ、小春日和だし、そんなに遠くはないので、拾いものでもあればと思って出かけてきた。

写真は概ね撮影順である。

 

児童公園があってそこに自転車を止め、ぶらぶら歩き出した。

 

まず目にとまったのが、きわめて細い路地であった。

 

 

こういうところで、お姉さんが袖を引いたり、ぽん引きが近寄ってきたり、酔っぱらいが反吐を吐いていたりしたのだろうか?

 

 

ごく普通の民家なのであるが、増築した部分の窓のアールといいデザイン全体が何やら昔を思い出させる作りになっている。

驚くのはそれだけでない。

1枚のショットでは写せなかったのであるが、数枚見ていただきたい。

 

 

一番左。

 

 

一番右。

 

 

一番左から右へかけて。

 

 

右の門から最右端にかけて。

おわかりいただけたろうか?

元々は、幅の広い門があり、その後に継ぎ足されて幅の狭い門ができているのである。

 

この変な門の増築の仕方も何やら怪しい。

 

先ほど、少し足下が見えたのであるが、これは街灯である。しかも、商店街にあるのと同じ街灯で、壊れて久しいようだ。

 

 

住宅街の真ん中に、商業用の街灯が立っている! これが、この地が旧歓楽街であったという一番の証拠だと言えそうだ。

 

ちなみに、これは現役の商店街で見つけた街灯である。

 

 

手前の商店自体はもう廃業していて、わけの分からない看板跡?がついているのであるが、この物件の周囲は現役の商店が並ぶ、にぎやかな場所であった。

そういう商店街にあるのと同じ街灯が、住宅地に見られたのである。

 

 

むき出しの溝が続いている。これも、旧歓楽街の情緒であろうか?

 

 

蔵に出くわす。

 

 

木目の筋入りトタンでごまかしてはあるが、現役の蔵のようである。

 

いけない、いけない。わたしは蔵があると必ずシャッターを切ってしまう。

今回の目的は、旧歓楽街探索であった。

 

ところでこの蔵続きに、独特の格子のついた窓の並ぶ家があった。

 

 

格子のついた窓はまたあとでご覧いただくとして、この建築物の正面に出た。

 

 

玉城町は、熊野古道(世界遺産)への出発地点とのことである。

ふ~ん。

 

芭蕉は千住より奥の細道の旅に出る。旅立ちの宿場町には遊郭はつきもので、もしかしたら……、

という考えが頭をよぎる。

 

 

「ピンコロハウス」

とピンクの字で書かれている。

なんやねん、ピンコロハウスって!?

 

博物館も休館日らしいので入ることはできなかった。

 

 

さて正面。とにかく長いので、斜に撮るしかなかった。車の大きさとの比較で、どれだけ長いかおわかりかと思う。

 

二階の、和風バルコニーというか、手すりのついた窓がずーっと続いているのが何やら怪しい。

手すりのついた窓が、ずーっと続いているということは、道に面した二階の部屋は、同じ目的で使われていたのではないだろうか?

 

真正面から、二階を強調して見てみよう。

 

 

二階は、開かずの間であるのか? 雨戸が古びている。

 一階だけ使用しているのか。

 

とにかく、この界隈ではこの建物が異様に目立っていたのであった。

 

側面の、格子の目立つ窓にも触れておこう。

 

 

 

 

これも、あまりにも長く1枚に収まりきらなかった。

間口がかなり広いうえ、奥行きもそうとうある建物であった。

 

撮影していたら、格子戸が開き、女性の白い手が見えたのでぎょっとしたが、

気を取り直して撮影を続けた。

 

 

これは作られて新しいであろう。車よけのガードなのである。

 

長くなりすぎた。他の物件にも触れよう。

 

 

毎度おなじみ、「無印看板」のある民家である。

ドアがあってその周囲にタイルが貼られている。

 

もしや? とは思ったのだが、この地帯だけではなく、この町の至るところに見られたので、これは「旧歓楽街」とはとりあえず関係ないだろうという結論に達した。

 

 

床屋である。現役であるようだったが、この日は定休日であったようだ。

右にあるくるくるが、妙に明るく新しかったのである。

 

あっさりと

「理容 なかにし」

と書かれているだけなのに、

看板のスペースと出っ張り具合がぎょうぎょうしい。

 

前は違う商売の店だったのだろう。

 

 

これも、わたしの考えすぎで撮った写真である。

 

一階は幅の広い引き戸、二階に手すり。

この町に普通に見られる様式である。

 

こんな、建築物を見つけた。

 

 

正面は、かなり貧乏でいい加減に作られた犬矢来風のバリケードが張られている。

門のところの表札が白い。

とりあえず分かることは、門は無用門で、この家は廃屋だということだ。

 

 

しかしである。

この家右に続くガレージには妙に新しい車が止めてあったのである。

 

 

うーん、家をつぶさずに、ガレージだけレンタルに出している?

 

 

そんなこんなしているうちに、こぎれいなお地蔵様を見つけ、界隈から出てしまった。

 

赤いよだれかけが、新しい。

土地の人が欠かさず手入れをしているのであろう。

 

やっぱり、旧歓楽街としては、験かつぎの伝統が残っているのであろうか?

 

気を取り直して、再び旧歓楽街へ戻ろうとした。

しかし、わたしを待っていたのは、このような道であった。(つづく)


昭和建築学会 第18回 ええじゃないか、雷電神社

2013年12月16日 | 建築

さる、神社に参ってきた。

 

これをお読みの方は、まず知らない神社である。

もちろん、日本国内にある神社ではあるが。

 

先ずはご覧いただきたい。

 

 

どうです。神社の前の道路から撮ったところです。

 

鳥居があって、お社がある。

実にシンプルですね。

 

そうそう、忘れてはいけないもの。

 

 

 

鳥居の手前にある、手を清める水です。

水道水ですらなく、雨水がたまったものでしょう。

夏場は、ぼうふらが沸きそうですね。

 

1枚目のが、左側にあります。

天保の文字が見えるから、歴史はあるようです。

2枚目のが、右側にあります。

 

水が色づいていますね。

 

 

神事があったとき、燃やした木の残りでしょう。

ごろんと、右手側に転がっていました。

 

 

 

雷電神社というのだそうです。

 

雷電、ライデン、ライディーン……、ああ、テクノポップの名曲の発祥地でしたか。

失礼いたしました。

 

しかし、遷宮の記念に、賽銭箱を作るとは……。

 

 

左手側に堅牢な建物が二つ。

一つはこれです。

 

ご不浄っぽくみられるかもしれないけど、

そうじゃないようです。

 

神を穢してはなりません。

 

 

二つ目。

 

これは一見、倉庫風ですが、

高床式の伝統が、

こんな貧乏な形で、

継承されているとは……。

 

しめ縄(というのか?)を巻かれた木が左に二本。

 

 

何も戸惑うことはありません。

 

 

 

榊(さかき)の木だったのです。

 

 

改めて正面から。

 

それにしても、お社を住宅用のコンクリートブロックで囲んでしまうとは……。

門柱もあるし、透かしのブロックまである……。

 

普通は、背の高い板塀なのです。

伊勢神宮ですら、板塀ですよ。

 

おかげで、写真撮り放題のお社となっています。

 

横から。

 

 

 

足下。

 

 

後ろ。

 

 

あれ? ブロック塀が切れてますね。

もう1枚。

 

 

 

これも何でもありません。

鬼門を切ってあるのです。

 

ああ、ありがたや……。

 

普通は、神社のお社の裏側は森や山になっていて、

関係者以外立ち入り禁止なのですが、

この、ジンジャ・ライディーンでは、

丸見えです。

 

 

 

垣根をはさんで、となりの、

貧乏そうな建物と接しています。

 

ところで、神社の鳥居の外なのですが、

こんな、ものが祀ってありました。

 

 

 

「山神」って書いてあるだけ。

これは不思議ですね。

 

神道の手には負えず、

民俗学の方面から調査する必要がありそうです。

 

ちなみに、

路地をはさんでとなりには、

貧乏そうな公民館がありました。

 

なんと公民館の中に、

祀られているものがあるのです。

 

 

石が祀られています。

それはそれでよいとしましょう。

 

しかし、この石のある方角、

写真では説明できませんが、

公民館の鬼門に当たる方角なのです。

 

このばちあたりめ。

 

どうりでこの集落、

いつまでも貧乏に祟られているはずです。

 

 。うせまげ揚を旗國はに日祭祝の民國

 

 


昭和建築学会 第17回 小ネタ集

2013年12月10日 | 建築

1.郵便住宅

 

普通の住宅のコンクリート塀に、

「郵便切手類・印紙」

と書かれたおなじみの看板がかかっていた。

 

ヤクルトジョアの広告すら載っている。

 

 

看板自体がそんなに新しいものではない。

しかし、針金で頑丈にくくりつけられているのだ。

 

この看板のある家は、私には覚えがある。

もう何十年もの昔には、ここはたばこ屋さんだったのである。

子ども向けの駄菓子も売っていた。

私も駄菓子を買った覚えがある。

 

 

2.いきなり木造塀

 


住宅街を歩いていたら、ふと目につくものがあった。

 

住宅の塀なのであるが、

コンクリート塀が続いていて、

部分的に木の板が塀に使われているのである。

 

 

木の板塀は、すごく几帳面に丁寧に作られているし、

コンクリート塀から続く瓦まで頂いている。

 

普通は木の板塀には瓦はつけませんよ。

 

これは変だ。

しかも木の板塀の下の方には、

波形ビニールトタンも顔を覗かせている。

 

 

謎解きは簡単であった。

昔は、木の板塀のあった方から、

車の出し入れをしていたもようである。

 

今は車に乗る人もなく、

ただ、縄とシースルーのビニールシート(?)で囲まれた、

一種のトマソンとなっているのである。

 

 

3.純粋階段

 

ひょんなことから、純粋階段を見つけた。

路上をうろうろと歩いていて、

ありそうでなかなか見つからないトマソンが、

純粋階段である。

 

見た目は汚いのであるが、

これは刈った草が放置されているからである。

 

純粋階段として、人の手厚い保護が入っていると見てよかろう。

 

 

 

こちら側からも、向こう側からも、

川に降りられるようになっているのである。

だとして、なんか役に立つ階段なのだろうか。

 

きれいじゃない小川が流れているばかりである。

 

一望できる写真をお見せしたい。

 

 

この川は昔はきれいな川だったのだろう。

階段を下りきったところに、

コンクリートの洗い場らしきものがあり、川の水に接することができる。

 

おそらく、収穫した野菜等を洗っていたに違いない。

 

洗い場であるコンクリートの洗い場が、変に新しそうなのが気になるが……。

 

約40年ほど前には、汚い泥の川だった覚えがある。

そのころはとてもじゃないが野菜を洗ったりはできなかったはず。

 

この新しそうな洗い場のコンクリートは、

いったい何なのだろうかと考えこんでしまった。

 

とにかく、放置はされているが、草が刈られて乾いている。

今もなお、手入れされているのが関心をそそる。

 

 

4.建築中建造物

 

もうすっかりおなじみとなってしまったが、

フジテレビのお台場社屋を見ていまだに独特の印象を受ける。

 

 

これを見て、近代的な……、とは、言いがたい。

遊び心に溢れているという方がしっくり来るからである。

 

中央の丸い部分の中はどうなっているのか、誰か知りませんか?

こんなところに会議室があったら楽しいな。

 

素朴に思うことは、

「このビルはいつ完成するのだろう」

ということ。

 

いまだに工事中の印象を持ってしまうのである。

そういう遊びに満ちた建築なのである。

 

ところでです。

わたしも「目下建築中」と見えてしまう建物を発見したのです。

 

 

建物の外部を走る鉄骨が生々しい。

 

なぜこの鉄骨の作る直方体通りに、内部を作らなかったのであろうか?

見当がつかない。

 

やはり、

「現在なお建築中」

に見えてしまう建物である。

 

 

上の階の方には、原爆タイプがあるのにも注意しなければいけない。

 

フジテレビの社屋は、

金がかかってるんだろうなとか、

ぜいたくな建て方だなと思ってしまう。

 

この建造物は、あり合わせの建材で作ったのかなとか、

とりあえず間に合えばというふうに作ったのかなとか、

かなり貧乏な背景が見えてきてしまうのであった。

 


昭和建築学会 第16回 路地のとも子さん

2013年12月10日 | 建築

市道沿いに、

こんなぶっきらぼうな看板が立っていた。

 

写っている自転車は私の愛車である。

 

 

 

矢印の指す方を見てみた。こんな感じ。

 

  

いちおう、センターラインもある道をまたいで、

矢印はとも子美容室を指しているのである。

 

なんか危ない矢印ですね。

矢印の方へ行ってみましょう。

 

 

 

店入口の矢印の先じゃないようです。

 

 

 

 

姿があらわになってくるとも子さん。

 

 

  

 

「美」の文字が欠けているんですけど……。

 

 

 

こういうアールのある窓、

円形の窓を見ると、

遊郭を想像してしまいます。

 

 

 

 

 

 

今日はお休みのようでした。

 

美容院にこのようなくるくる回るのがついたのは、

いつからなのでしょう?

 

 

庇がわりのブルーのシートの曲線が美しい。

このシートも、波形トタンと同じく、貧乏から生まれた大発明だったのではないでしょうか?

左の方、シートの端が「v」となっているのがお茶目ですね。

 

かといって、

ハンガーをかけているのはよくありません。

 

この路地を突っ切って、先ほどの店入口の店を見に行きました。

店全体の写真は撮りましたがちょっとアップするのは控えます。

  

 

ここは駅からわりと近いのですが、

「御休憩」というのはありませんでした。

マッサージの人は来てくれる旅館なのでしょうか?

 

再び裏手に回ります。

 

 

おっと、原爆タイプ風の建築を見落とすところでした。

 

 

突き当たったところに、

無用庇のきれいな物件が……。

庇は郵便受けやメーターを雨から守っているとも考えられます。

 

この波形トタンの建物の横には、きれいな木造建築がありました。

 

 

昔の、くみ取り式の和式便所のくみ取り口、

及び便器のある部分を隠したところです。

くみ取り口の部分、

凸型のブロックをうまく木がかんでいるようで、美しいです。

そのほかのところの木目も美しいな……。

 

同じ建物なのですが、このくみ取り口の右の方がこんなふうになってました。

 

 

雨樋の水が一箇所に集められるのはいいのですが、

地上から50㎝ほどの高さで外へと放出される仕組みになってるんです。

 

大雨のときはたいへんだろうなと心配してしまいました。

 

 

 


昭和建築学会 第15回 小ネタ集

2013年12月10日 | 建築

1.無用庇ではなく極端に大きすぎる庇

 

また、存在だけを主張するオブジェを見つけた。

しかし、日常の役には立っているから、

トマソンではない。

 

 

 

 

大庇の正体は、

元看板。

 

この家は、桜井のババアの家で、

その昔、食料品や雑貨をかつて売っていた。

 

大庇は、

バルコニーの一部ですらなく、

庇にすれば大きすぎる。

 

電灯も備わっていて、

パラボラアンテナがちょこんと顔を見せているのがかわいい。

 

桜井のババアよ、

昔のことだ、水に流してやる。

 

 

2.無用門+1

 

 

この無用門には、住人の几帳面さをうかがえる。

 

木板で3カ所を固定してあり、

さらに伸び縮みする扉(というのか?)を閉ざし、

針金で補強してある。

 

 

 

一見すると、

戸に棒が立てかけてあるように見えるのだが、

これが無用門。

 

棒の右端が宙に浮いている(?)のがおわかりだろうか? 

棒の両端を釘で扉に打ちつけてあるのである。

 

硝子も柄が統一されていなく、

この貧乏さ、なかなかの美しさを放っている。

 

 

 

 

これは無用門ではない。

わたしがしばしば取り上げる「無用看板」である。

ここは酒屋さんなのだが、

広告主が見つからないのだろうか、

ずっと白塗りのままである。

無用庇や夜間用のライトまでぴかぴかになってついているというのに、

泣かせる物件である。

 

関係ないのであるが、

わたしは若いころ教員をしていた。(教科は数学)。

チョークの粉を浴びるのが嫌いで、白衣を着て授業をしていた。

白衣の背中部分30㎝×30㎝をどこか大手塾・予備校が買ってくれないかなと、まじめに職員室で言っていたら、周囲の同僚にすっごくバカにされた。

 

3.柵

先ずは写真4枚をご覧いただきたい。

 

        

 

空き地を立派なフェンスで囲っているのであるが、

ここまでする必要があるのだろうか?

 

無断駐車防止なら、

ブロック何個かですむ話である。

 

子どもが入ってきて騒ぐということもない。

彼方に児童公園があり、子どもがキャッチボールをしていた。

 

整地をし、月極駐車場とすれば、

土地の税金代を捻出できる。

 

うちはビンボーじゃないもんね、

とでもいいたいのだろうか?

 

とにかく、ただの空き地にしてみれば、

かなり過保護に保護されているのだ。

 

草は刈った方がいいと思うよ。

 

4.バカフリー

 

 

 

 

新しくできた道路と歩道なのだが、

交差点でこんなに広く歩道のスペースをとる必要があるのだろうか?

それに、世界では日本と台湾にしかないと言われている点字ブロックが、煩雑すぎる。

 

点字ブロックに関しては一言、

言いたいことがある。

ドットじゃなく〓の形になっているほうのブロックで、

わたしは自転車でスリップしてしまい、

その日、買ったばかり¥3990のユニクロのジーンズを一瞬にして引き裂かれてしまったのである。

 

あわや、わたし自身が障がい者になるところだった。

この道を自転車で走るときは、

車道を走ることにしている。

 

 

 


昭和建築学会 第14回 アートってなんだ!?

2013年12月10日 | 建築

わたしの住んでいるのは、

田舎の新興住宅街です。

 

以前から、気になっていた物件があります。

なんというか、田舎町の新興住宅街で、

トンがってるデザイン

の住宅があるのです。

 

しかも、1軒だけでなく、似たようなのが何軒か……。

 

そういうデザインが、

少し昔の流行だったのかはどうかはしりません。

建ったのは少なくともバブル以降のことだと思います。

 

いくつか写真をご覧いただきましょう。

 

 

 

光線の具合でこの建物はグレイかネイビーに見えるけど、

実際は真っ黒です。

書道で使う墨の色です。

 

材質もわたしの大好きな波形トタンではありません(笑)。

木でできています。

 

 

 

 

これは、かなり気を遣って水平にとった写真。

屋根の部分が左へと傾いていて、出入口のあたりの部分は垂直ではありません。

 

この建築物は波形トタンでできているわけではありませんが、

そのエスプリを十分吸収しているようなところがあるのでしょうか。

波形トタンマニアのわたしにはたまりませんなあ。

 

見た目、印象悪かったけど、つきあってみたらいい奴だった、

みたいな、中高生の体験記風の体験をわたしはしました(笑)。

 

ところで、屋根と出入口部分の傾斜の具合は微妙なものなので、

図で示したいと思います。

図のような傾斜がついてます。

 

 

 

 

 

 

出入口部分の写真です。

やっぱりここが玄関なのでしょうねえ。

 

ちょっと言いづらいですけど、

本来なら垂直と水平で構成されているべき部分が傾いてます。

 

 

 

 

全体の色は、こんな色です。本当に真っ黒。

 

 

どうしてトンがって見えたのかというと、

真っ黒で、窓らしきものがないということでしょうか。

 

それと玄関も日本家屋に比べれば、

本当に目立たないところについています。

 

建物の裏側に回ってみる前に、周囲を見ておきましょう。

 

 

 

 

右隣に建っている住宅です。

この黒い建物よりあとからできたものですが、

お隣さんのデザインを意識しているようです。

 

が、デザインとしてはスマートさに欠けます。

 

 

 

 

黒い建物の左隣は、

工務店風のぼろいコンクリート建築。

 

しゃれーた住宅の横がこんなぼろい建物……。

 

 

 

 

向かいは、

かつてはたばこもお酒も扱っていた小さな食料品店の跡。

 

階段が普通じゃないですね。

左半分が一段欠けています。

この左側のところには、

昔お酒の自販機があったのです。

 

こういう貧乏を見るとき、

しゃれた真っ黒のこの住宅は、

ずいぶんまわりを気にしていないように見えます。

悪くいえば、空気の読めない場違いなやつというか……。

 

さて、今回の物件の裏側へとまいりましょう。

 

 

 

 

わりとおとなしいデザインです。

 

ここで気がつきました。

表の方は西にあたり、

西日がきついんです。

 

だから、最初から意図して窓のない建物にしたのでしょう。

その分窓が東向きのこちらへ移住してきている……。

 

奇抜な窓を想像してましたが、やはり無駄のない四角い窓で、

普通のアルミサッシですね。

結露しているあたり、ちょっと貧乏くさささえ感じます。

 

ところでもう一つ気をつけて欲しいところが……、

 

手前が耕されたばかりの畑なのです。

 

このあたりは、新興住宅地でもともと田畑が多く、

今もなお田畑も残っています。

 

たとえば、田んぼの畦のある道を、

パンクスが歩いていたとしたら……、

誰でもどんびくし、

笑いをこらえられないでしょう。

 

そういう喩えが言えます。

 

 

 

 

右隣の家の裏側。ベランダあたりにがらくたが……。

しかも、干魚を干すネットまでぶら下がっています。

住人が釣り好きなんでしょうか?

 

ヨドコウの物置もありますね。

 

このあたり、 

しゃれた表とは裏腹に、

壊滅的なダメージを与えています。

 

結論を言うと、

一見、独特なデザインの住宅に見えても、

まわりの貧乏くささを変えねば、

その住宅は逆にすごく貧乏に見られてしまうのです。

TPOを考えないのは日本人の悪いところです。

 

鹿威のついた庭に、洗濯物を干して平気な顔でいる、

 

というような(うちのことです)、

致命的な貧乏から逃れられないのです。


昭和建築学会 第13回 K寺院の真相

2013年12月10日 | 建築

田舎のお寺に行ってきた。

山門を入るときれいな本堂がすぐ目に入る。

こんな感じ……

 

          

 

堂々たる鬼瓦。ちなみに、先代、先々代の鬼瓦が境内に展示してあった。

 

  

 

本堂横の、なんといったらいいのかな(?)、雨樋の水がたまるようにしたところ、

なんて繊細なデザインなんでしょう。

 

 

鐘もお見事なものです。

 

 

 しかし、こういうのでは、あまのじゃくなわたしは満足できないのでした。

(関係ないけど、この下り、体験記風のSM小説っぽくないですか?(笑))

 

門の前の階段のところをまず批評しましょう。

  

 

このように、中央に階段がありますね。

ごり押しでもう2枚お見せします。

 

   

 

わたしが注目したいのは、

階段ではなく両端のスロープなのです。

 

もし、パラリンピックに出られるほどのアスリートならば、

車いすでこのスロープを駆け上がることができるでしょう。

そうでなくとも、電動の車いすで慎重に登ろうとすれば登れるかもしれません。

 

しかし、中央に障害物として四角い出っ張りのブロックがはり付けてあったり、

スロープの最後にわずかな段差があったり、

いや、もともとスロープの角度が急になっていたりと、

「障がい者に厳しいスロープ」

なのです。

 

お寺は、障がい者を差別はしません。

ただ、元々は修業の場所なのです。

 

たとえ、車いすを使う障がい者であっても例外ではありません。

山門をくぐるときからもう、

修業が始まっているのです。

 

さて、次は、K寺院の外塀を見てみましょう。

 

この2枚は、

街路から山門へ至る、数メートルのところの外塀です。

 

   

 

こういうのもアールって呼んでもいいのでしょうか。

素朴にきれいだな……。

 

外塀に屋根瓦はついていますが、

白壁でなくコンクリートセメントなのが、

残念です。

 

そこまで、資金繰りがよくはなかったのでしょう。

 

さて、もう2枚お見せします。

  

  

 

もはや、沿道に面したところには、

瓦屋根さえないのです。

 

多分、廃物利用なんでしょうけど、

外壁の角っこには鬼瓦風の瓦が乗っかってます。

 

これらの写真ではちょっと確認しづらいので、

もう1枚。

 

 

どうでしょう。コンクリートの屋根が単に斜になっているだけではありません。

お寺さんの本堂等の屋根のごとく、すこーし反っているのです。

 

貧しき中にも美を求めるお寺さんならではの、

矜恃の美学とでもいったらいいのでしょうか?

 

あと少し、気になったところを2つ。

 

 

外塀の排水口がかなり痛んでます。

 

 

 

外塀に、こんなにも致命的なひび割れと剥落が……。

 

 

檀家の皆さん、お布施を張り込んでくださいね。わたしからもお願いします。

 


昭和建築学会 第12回 小ネタ集

2013年12月09日 | 建築

1.無用看板

 

県道沿いに、何も語らないのに、態度だけ横柄に自己主張している看板が……。

 

 

裏も。

 

 

照明や赤色灯までついているのに……。

 

たとえて悪いが、現役相撲とりが太っているから強くまた人気があったものの、

引退して、ただのデブになり、女性から目もくれなくなったってところでしょうか。

 

図体、でかすぎます。

 

 

2.無用門(?)

 

 

無用門なのかな? 

だとしたら完成度が高い。

完璧で美しささえ感じられる無用門です。

 

今も使用中の車庫なら、

車を盗まれた経験がある方が作られたのでしょう。

 

構造としては完璧です! 

使うとしたらかなり面倒くさいですけど。

 

 

3.道路にできた謎の六角形

 

 

あたりは畑ばかりの一本道。

交差点でもあれば、菱形マークを消したんでしょうけど、

交差点もないし、ほかに制限しなくてはならないようなこともない。

 

こんな道、30㎞だろうが、ごるぁぁぁぁー、

こんな道、駐禁にきまっとろうが、ごるぁぁぁぁー。

 

 

4.街角モダンアート

 

①こんなところに、梱包アートが……。

 

 

 

②こんなところに、キース・ヘリングの画が……。

 

 

 

5.波形ビニールトタンはアートだ

 

わりと大きな民家の納屋です。

透けて見えてますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


昭和建築学会 第11回 謎のJR

2013年12月09日 | 建築

JRの労働組合は、

少しいわくがあると言われている。

 

JR総連という名称なのだが、

この組合の実権を握っているのは、

かつては街頭闘争に明け暮れた新左翼の党派、

革○派(←伏せ字になってない(笑))と言われている。

 

余談なのだが、

わたしはある土曜の20時過ぎのJRの普通列車に乗ることがあったのだが、

「ただ今、沿線火災のため電車が20分ほど遅れております。たいへんもうしわけなく……」

というアナウンスがあった。

 

翌週の土曜日も同じところで用事があったので、

20時過ぎのJRの列車に乗るつもりだった。

ならば……

「ただ今、沿線火災のため電車が20分ほど遅れております。たいへんもうしわけなく……」

という同じアナウンスがあったのである。

 

これは革○派によるテロの実験ではないのか、

とわたしは睨んだ。

 

土曜日の20時台ならば、大きく人の足を引っ張ることもない。

地味ーで、退屈な時間帯、それが土曜日の20時台。

 

気分を変えて、本題に戻って、快速すら止まらないJRの無人駅をご紹介しよう。

これは何かおわかりだろうか。もちろん電車の時刻表が貼られているのであるが、上の方に白い板がついている。

 

 

実はこの白い板は、トマソンの一種の無用門です、

といっても分からない方が多いと思うので解説をします。

 

ここに、昔、日本通運の荷物の受け渡し、受け取り口があったのです。

宅配便事業の進化で、

貨物事業のリストラで、

もう小さな駅には荷物を扱う必要はなくなりました。

 

それでも、駅のこの建物の中には、

機械類を置くようなスペースがいるので、

壊すわけにもいかず、

人に出入りされないように白い板を打ちつけたのです。

 

この白い板こそ無用門と呼ばれる物なのですが、

さらなることに、その上に、

時刻表と運賃表を貼って重厚無用門を作ったのです。

 

無用門の隠蔽化、

左翼にありそうな……。

 

はい、言葉を慎みます。

 

ところで、右の方に少し見えてますが、

指名手配されている逃亡犯のポスターをじっくり見たのです。

左翼やアナキストのテロの逃亡犯の名前は一切ありませんでした。

 

ロン毛でイケメンの桐島聡(連続企業爆破事件逃亡犯)の写真ならわりとどこにでも貼ってあるのに、

この駅にはありませんでした。

 

さて、わたしが常々思ってきたことをご紹介しましょう。

 

 

 

ここは信号機器室なのでしょう。

その名前のプレートがかかっています。

 

問題は、そのフォントです。ゴシック体に見せかけて、こんなゴシック体は、ワードにも一太郎にもありません。

そもそも、JR民営化とともに、このプレートができたのです。

 

記憶をたどってみれば、

非民青系のセクトのアジビラや立て看の自体に非常に似ているのです。

 

いわゆる、「革命書体」(これはわたしの造語ですが……)。

 

そんなわけで、このプレートを作ったのもJR総連の活動家に違いないと、わたしは睨んだのです。

 

駅の近くには、電車の運転手にしか分からない符号(?)がありますね。

駅近くの踏切に、こんな符号を見つけたのです。

 

 

 

 

きれいな青空の下、こんなに堂々と「マル」と書かれているのです。これは、やっぱり革○派の活動家が作った符号なのでしょうか。

 

ああ、年甲斐もなく、革命的な話をしてしまいました。

 

 

無用門の話を再びしたいと思います。

 

 

左側に、空気抜きのパイプ煙突がありますね。

ここはれっきとした、くみ取り式のトイレなのです。

電灯すらともっています。

駅舎の左の方にあります。

 

(しかし、かつては道行く人にもトイレを開放していたとは……。

このような反革命的バリケード封鎖をしてもよいものなのか……。)

 

しかし驚くべきことには、

ここの正面には無用門があるということなのです。

 

よく分かるように次の写真をお見せしましょう。

 

 

庇の腕木が、なんと庇を支えるとともに、門の無用化を可能にしている……。

たった2本の棒で、

無用門と無用庇を造ってしまっている。

 

これは毎日インスタントラーメンを食べてないと、

出てこない発想ですよ。

 

そうして、こういう貧乏な技術力は、

やはり新左翼のものではないかと思うのは、

わたしの考えすぎでしょうか?