三重県玉城町の、観光マップというのを見ていたら、「旧歓楽街」という文字が目に入った。
遊郭、赤線や青線、カフェーなどを追いかけて撮るというのは、わたしの建築趣味からはすこーしはずれる。
しかし、興味津々で、そのような写真が載っているHPや本を見る。
決して嫌いではないのだが、そのような1ジャンルがすでに確立されているのである。
まあ、小春日和だし、そんなに遠くはないので、拾いものでもあればと思って出かけてきた。
写真は概ね撮影順である。
児童公園があってそこに自転車を止め、ぶらぶら歩き出した。
まず目にとまったのが、きわめて細い路地であった。
こういうところで、お姉さんが袖を引いたり、ぽん引きが近寄ってきたり、酔っぱらいが反吐を吐いていたりしたのだろうか?
ごく普通の民家なのであるが、増築した部分の窓のアールといいデザイン全体が何やら昔を思い出させる作りになっている。
驚くのはそれだけでない。
1枚のショットでは写せなかったのであるが、数枚見ていただきたい。
一番左。
一番右。
一番左から右へかけて。
右の門から最右端にかけて。
おわかりいただけたろうか?
元々は、幅の広い門があり、その後に継ぎ足されて幅の狭い門ができているのである。
この変な門の増築の仕方も何やら怪しい。
先ほど、少し足下が見えたのであるが、これは街灯である。しかも、商店街にあるのと同じ街灯で、壊れて久しいようだ。
住宅街の真ん中に、商業用の街灯が立っている! これが、この地が旧歓楽街であったという一番の証拠だと言えそうだ。
ちなみに、これは現役の商店街で見つけた街灯である。
手前の商店自体はもう廃業していて、わけの分からない看板跡?がついているのであるが、この物件の周囲は現役の商店が並ぶ、にぎやかな場所であった。
そういう商店街にあるのと同じ街灯が、住宅地に見られたのである。
むき出しの溝が続いている。これも、旧歓楽街の情緒であろうか?
蔵に出くわす。
木目の筋入りトタンでごまかしてはあるが、現役の蔵のようである。
いけない、いけない。わたしは蔵があると必ずシャッターを切ってしまう。
今回の目的は、旧歓楽街探索であった。
ところでこの蔵続きに、独特の格子のついた窓の並ぶ家があった。
格子のついた窓はまたあとでご覧いただくとして、この建築物の正面に出た。
玉城町は、熊野古道(世界遺産)への出発地点とのことである。
ふ~ん。
芭蕉は千住より奥の細道の旅に出る。旅立ちの宿場町には遊郭はつきもので、もしかしたら……、
という考えが頭をよぎる。
「ピンコロハウス」
とピンクの字で書かれている。
なんやねん、ピンコロハウスって!?
博物館も休館日らしいので入ることはできなかった。
さて正面。とにかく長いので、斜に撮るしかなかった。車の大きさとの比較で、どれだけ長いかおわかりかと思う。
二階の、和風バルコニーというか、手すりのついた窓がずーっと続いているのが何やら怪しい。
手すりのついた窓が、ずーっと続いているということは、道に面した二階の部屋は、同じ目的で使われていたのではないだろうか?
真正面から、二階を強調して見てみよう。
二階は、開かずの間であるのか? 雨戸が古びている。
一階だけ使用しているのか。
とにかく、この界隈ではこの建物が異様に目立っていたのであった。
側面の、格子の目立つ窓にも触れておこう。
これも、あまりにも長く1枚に収まりきらなかった。
間口がかなり広いうえ、奥行きもそうとうある建物であった。
撮影していたら、格子戸が開き、女性の白い手が見えたのでぎょっとしたが、
気を取り直して撮影を続けた。
これは作られて新しいであろう。車よけのガードなのである。
長くなりすぎた。他の物件にも触れよう。
毎度おなじみ、「無印看板」のある民家である。
ドアがあってその周囲にタイルが貼られている。
もしや? とは思ったのだが、この地帯だけではなく、この町の至るところに見られたので、これは「旧歓楽街」とはとりあえず関係ないだろうという結論に達した。
床屋である。現役であるようだったが、この日は定休日であったようだ。
右にあるくるくるが、妙に明るく新しかったのである。
あっさりと
「理容 なかにし」
と書かれているだけなのに、
看板のスペースと出っ張り具合がぎょうぎょうしい。
前は違う商売の店だったのだろう。
これも、わたしの考えすぎで撮った写真である。
一階は幅の広い引き戸、二階に手すり。
この町に普通に見られる様式である。
こんな、建築物を見つけた。
正面は、かなり貧乏でいい加減に作られた犬矢来風のバリケードが張られている。
門のところの表札が白い。
とりあえず分かることは、門は無用門で、この家は廃屋だということだ。
しかしである。
この家右に続くガレージには妙に新しい車が止めてあったのである。
うーん、家をつぶさずに、ガレージだけレンタルに出している?
そんなこんなしているうちに、こぎれいなお地蔵様を見つけ、界隈から出てしまった。
赤いよだれかけが、新しい。
土地の人が欠かさず手入れをしているのであろう。
やっぱり、旧歓楽街としては、験かつぎの伝統が残っているのであろうか?
気を取り直して、再び旧歓楽街へ戻ろうとした。
しかし、わたしを待っていたのは、このような道であった。(つづく)