現代大正琴・・・

日本で誕生した楽器「大正琴」の魅力を発信していきます

コロナワクチン接種3日後に脳梗塞で倒れた(2)

2021-06-28 21:50:05 | 介護

5月18日にコロナワクチンを接種した次の日、母は朝起きて朝食を食べた後、

「ちょっと気持ち悪くて熱を計ったら、37度4分あるから少し寝る」

と言って自分の部屋に行きました。

私は、その時はコロナワクチンの影響とは思わず

「疲れが出たのかもね。洋服脱いでパジャマに着替えて、今日はゆっくり寝てたほうがいいよ」

と会話を交わしました。

今思えば、熱はワクチンの影響だった可能性が大きいです。

 

次の日は7時頃起きてきて、「もう大丈夫」と言って朝飯の用意をしました。

多分まだ本調子ではなかったと思うけれど、気を使ったかもしれない。⇒

 

母とは一緒に暮らしてたのではなく、2011年に病院に入院していた父を看病していた母が入院して

母も要介護になり、父も2月には他の施設を捜して転院しなければならなかったので

浜松へ二人を連れてきました。

この時の事も書き始めると、長くなるのでまた後日にします。

~父を移送する救急車と人員確保だけで20万円位、施設への入居金の手続きで50万円位、

その他諸々100万円程があっという間になくなったのは覚えています。~

 

⇒20日の木曜日は、私が一日仕事だったので母の様子はわかりませんでした。

母は木曜日は掃除の日と決めているので、無理をして掃除をしたのかもしれません。

夕方私が帰宅した時は元気に見えました。

母の食事は、8時・12時・17時。

21日も倒れるまではいつもと変わりませんでした。

母は17時に2階から降りてきて夕食を食べました。

私は孫達の所へ持っていくサニーレタスを庭から採ってきて、

「おばあちゃん、(私は 母をおばあちゃんて呼んでました)夕飯食べたらサニーレタス洗ってくれる?」

「食べてからでいい?」「いいよ」と何気なく会話して、食事している母の横で書き物しながら

テレビを見ていました。

「コロナワクチンの予防接種の予約が大変だって、早く打てて良かったね」

と会話した気もします。

母がぼけない為に、色々と手伝ってもらうようにしてます。野菜洗いもその一つ。

夕食食べ終えて、一休憩してから母はサニーレタスを洗い始めました。

「今日も沢山採れたね、」

「でも、これで終わりかも。ピーマンとトマト植えたからね」

「トマトは去年も沢山採れてすごかったね、 水が冷たくて気持ちいい」

と何気なく会話をしてたら 突然、

「ア~~ おばあちゃん  おかしい」って母が叫んでドタッと倒れた

「どうした!」

っと母の所へ行って、すぐ手をかけて斜めに抱きました。

とっさに動かさない方がいいと判断して、「大丈夫だよ!大丈夫だよ!」

て声をかけ続けました。

母の目はうつろで、何かしゃべっているけどろれつが回らず、

「あウ~~手が 、、、手が、、、、」だけはわかったので、

母の手を持ったら、右手はほとんど動きませんでした。左手はわずかに私の手を握ってくれましたので

私も握り返しました。

ちょうど主人が居間にいたので、

「はやく救急車呼んで」って大声で言いました。

主人も動転して、固まってしまっていて 「救急車の番号は何番だ?」

「119でしょ

「ア、ア~~」

住所と状態を主人が言ったら

救急隊が「今救急車が出ましたので、5分ほどで着きます」と。

母が倒れたのは、6時5分頃。

救急車の来たのが6時12分頃   

今回 1分1秒でも早い処置が非常に大切だと痛感しました。

 

また続き書きます。

 

 

 

 

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母がコロナワクチン接種3日後、脳梗塞で倒れました(1)

2021-06-28 09:30:01 | 介護

母が5月21日脳梗塞倒れました。

このことは これからコロナワクチンを打つ生徒たちに不安と動揺を与えないようにと

今まで公表しませんでした。(一部の生徒さんにはお話ししています)

~ただ、今回の母の脳梗塞は、ワクチン接種の影響かもしれないし、そうではないかもしれないということです。

因果関係はわかりません。

私にとってそのことにはあまりこだわりません。こだわっても証明できないので仕方のないことです。

脳梗塞になったのは事実ですので、どのような原因でもとにかく母の回復を願っています~

 

今までの経緯です。

母が脳梗塞で倒れて、救急車で運ばれ緊急手術を行い、

どうにか一命をとりとめてから1ヶ月が経過しました。

そして容体も安定し、リハビリの訓練にとリハビリテーション病院に転院したので、

やっと話せる気持ちになって、生徒さんたちに報告しようと思いました。

私が今回経験した大変な出来事を、ブログで一度には無理ですので少しずつに書いていきます。

 

80歳以上高齢者ワクチンの用紙が4月の下旬に母の所に届きました。

この頃はワクチン接種が始まったばかりで、予約の電話がつながらないとか

すぐ予約が満杯になってしまったとか、とにかく予約が大変な時期でした。

私も母の代わりに、夕方かかりつけ医に電話をしましたが

話し中でなかなかつながらず、しばらくして電話をしたらつなっがったので、

ラッキーと思ってかかりつけ医から言われた5月18日を予約しました。

その時は接種後の副作用の事はあまり気にならず、予約できたことでホッとした記憶があります。

5月18日の前日、5月17日は 母の92歳の誕生日でした。

 

母は92歳とは思えないくらい元気で、母の部屋は2階にあり毎日何往復と階段の上り下りをしていました。

家族の洗濯は母の仕事で、ほとんど毎日洗濯をしてくれていました。 

主人は母を「洗濯ばあさん」と呼んでたくらいです。

数独が大好き・本、新聞を読むことも大好き・そして毎週木曜日の「週刊新潮」を読むのが楽しみ、

ホントにぼけてない頭しっかりの母でした。

ひ孫が12人いる母は、ひ孫と話すのもぼけない理由だったと思います。

 

ひ孫たちが母に誕生祝にくれました。メッセージ付きでした、

ーひいばあちゃん、100歳まで長生きしてください  いつまでも元気でいてください  等

 

 

 

                       

 

 

                             

 

 

コロナワクチン接種の5月18日、母と一緒にかかりつけ医に行って接種してもらいました。

「もしかしたら、少し熱が出るかもしれません」と言われましたが、あまり気にしませんでした。

その後、様子を見る為に15分位休んでいて、副作用などの症状がなかったので、

そのまま自宅に帰ってきてその日はゆっくりしてました。

 

母も、亡くなった父も 美空ひばりの歌が大好きでした。

父が美空ひばりの歌っている姿をビデオに撮っていて(30年以上前)、父の遺品としてしまってあります。

 

~その後の様子 また書いていきます。

 

 

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