農僕日記 JAPAN

農薬を使わない農業を紀州和歌山でゼロからスタート。
農業は僕たちの平和活動♪ライフワークいざゆかん(^g^)(^y^)

昭和の農村

2010-03-11 | 農僕日記志
昭和10~40年代にかけての、
日本の農村の生活を載せた写真集
『 昭和の農村 』を見て~の巻き

立松和平(たてまつわへい)さんという方が、
本書に寄せて...↓

農村を歩くと、ふと「 豊かな生活 」の意味?を私は感じるのだ。

家のまわりは菜園になっていて、
自分で使う野菜は大体そこでまかなうことができる。
家の横には小川が流れていて、野菜はそこで洗える。
いけす代わりの池がつくってあり、
鯉やマスが飼われ、すきな時にすくって食べる。
鶏なども放し飼いされ、卵は毎日とることができ、
ご馳走が必要な時には、鶏をしめることもできる。
南向きの庭には花が栽培され、菊が咲いていて、
仏壇の花はそこからとる。家を一回りしただけで、
生活に必要なものはとりあえず得ることができる。

家を巡る外周を広くとれば、田んぼがあり、主食の米がある。
裏山には屋敷林があり木材も供給できる。
こうして身のまわりですべて得ることができる環境を、
使い勝手のよい風景と呼ぶのである。

その風景を維持するためには、
勤勉な労働が必要である。四季折々の野菜や花を得るためには、
それなりの仕事をしなければならない。
そして、かつての日本の農村には、
調和のとれた見事な精神性が風景に現れていた。
一度にたくさんの労働が必要であれば、
労働の貸し借りをした。2日働きにきてもらったら、
2日分の労働で返した。
借りたら返すが原則で、その間の貨幣は介在しない。
農村の風景は、勤勉な共同作業の上に保たれていたのである。

今日こういった風景がどんどん消えていく。必然的な流れだ。
農業をやっているにしても家の主人は
都会の会社に勤めていて、土曜日だけの兼業になっている。
農作業は器械でなるべく簡単にすませる。
手をかけて菜園や花壇をつくる余裕は、
気持ちの上からも、時間の上からもない。
自分で使うわずかな野菜は、たとえ少々鮮度が落ちるにしても、
スーパーマーケットで買ってしまったほうが手っ取り早いのである。

こうして農村の生活が変わった上に、
米の生産調整という条件が降りかかり、
そもそも人手不足と高齢化であるから、
耕作放棄地ばかりが増えるということになる。

農村はあまりにも激しい変化にさらされていて、
未来が見えないという状況になっている。
昔がすべてよかったというわけではないが、
生活に利便性が増すと共に、
農村としての大切なものが失われていったことも事実なのである。

どんな農村になればよいのか、
過去を振り返り見るところからしかわからないであろう。
精神も物質も満ち足りた生活が人の理想なのであるが、
そんな道が必ずあると私は信じる。
その理想は人の笑顔の中にあるのだと、私は思うのである。
消えてしまった農村風景を振り返って見るのは、
郷愁だけではない切実さが今日にはあるのだ。

...と言ってました↑   「うん!」

写真は、秋田県大曲市(昭和28年)撮影
「 自転車で田んぼへ  夫婦で相乗り 」

かなりグッときました!!
この写真集、僕の中では☆ベストショットです!!