アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

三界の夢 そのⅧ 山が動いた

2017-02-08 18:39:09 | 物語
そのⅧ 山が動いた

 疾きこと風の如く、
徐かなること林の如く、
 侵すこと火の如く、
 動かざること山の如し、

 その山が動いた。
 元亀3年(1572年)9月29日、武田信玄は重臣の山県昌景と秋山信友に3000の
兵力を預けて信長の同盟者である徳川家康の三河に侵攻させた。
 そして10月3日、信玄も2万2000の兵力を率いて甲府から出陣し、10月10日に
は青崩峠から家康の所領・遠江に侵攻を開始した。

 信長は四方を敵に囲まれていた為、家康への援軍は佐久間信盛などに率いさ
せた三千に留まった。
 光秀は光晴に百人の強者達を率いさせ、信盛の援軍と帯同させた。
「よいか光晴、信玄公の戦振りをしかと己の眼で見てまいれ」
「はい」

 武田軍は怒濤の如く家康領を侵していった。

 今日も家康の居城浜松城では軍議が続いていた。
 織田の佐久間信盛の籠城論が断然優勢で有った。
 家康も渋々ながら了承した様子でただ黙って座っていた。
 そこへ知らせが入った。信玄軍は浜松城に見向きもせずに西進をしている
と。
 徳川の重臣も織田の援軍もほっとした。
 光晴は籠城には反対だった。信玄の上洛を少しでも遅らせる為、背後から襲
うのが上策だと思って、進言しようと立ち上がった。
 ほぼ同時に一人立ち上がった。家康その人で有る。
「浜松城を見捨てて行くとは、信玄、この家康をよくも瘦けにしおった。一
同、全軍で打って出る、陣振れの太鼓と法螺を鳴らせ」
 その場の者は皆あきれた。あの臆病で慎重な家康が? 狂ったか?!
 鹿角の兜に黒糸威の鎧を纏った武将が勢いよく立ち上がった。
「先陣は其れがしが承る」
「良く言うたぞ平八郎」
 本田平八郎は二丈余(約6m)もある蜻蛉切を頭上で軽々と旋回しながら、評
定広間から出て行った。
 ようやく徳川の諸将も立ち上がって戦支度に取りかかった。
「あれが音に聞こえた蜻蛉切りと本田平八郎か」
 光晴はそう感心しながらも、冷静に家康の本心を探った。
 桶狭間の様に、家康は大博打に出ようとしているのだ。
 考えて見れば、この城で竦んでいれば、嵐は頭上を過ぎるが、戦の勝者が信
玄でも信長であっても、徳川家は地方大名に甘んじ、悪くすれば攻め滅ばされ
てしまう。

 こうして、窮鼠が虎の後を追った。

 三方原で信玄は悠然と待ち構えていた。
 武田軍三万、徳川軍二万、勝てない戦とも思えなかったが、武田の三万は並
みの軍勢の二倍から三倍の破壊力を持っていた。

 武田の戦い振りは少し変わっていた。先陣を切るのは礫隊で、後に弓隊、槍
部隊、最後に騎馬隊が突撃して、敵陣をズタズタに切り裂く。

「オオッ! あれが武田の騎馬隊か?!」
 織田の諸将は後陣で、まるで物見遊山をしているように武田の戦振りを見て
いた。
 光晴が驚いたのは、礫隊を指揮する風と林の姿を確かに見たからだ。
 更に眼を見張ったのは、なんと武田の騎馬隊の先頭を切っているのは火だっ
た。
 
 徳川軍は左翼の本田隊が目覚ましい活躍を見せたものの、本体と右翼が全く
振るはず、家康は影武者まで討たれて総退却を余儀なくされた。
 殿を勤めるのは本田隊だ。
 光晴は明智隊を纏めて、本田隊に馳走した。
「光晴殿、かたじけない」
「なんの、わたくしは遊山に来たわけでは有りません」
 その時、一騎の武田武者が二人を追い越していった。
 火だ! 火は後ろ乗りをして光晴に笑いかけている。
「おかしな女子じゃのう、光晴殿」
「とんでもないお転婆娘で、武田のくノ一、火と名乗る者です」
「ふむ、武田は確かに強いが、風変わりな戦振りを見せる。急がねば城まで奪
われかねない」
 光晴と本田隊は浜松城目掛けて早駆けた。

 浜松城は城門を大きく開いて、篝火で城内まで明々と闇に晒していた。
 追っ手の武田軍は、城を目前にして戸惑っていた。罠ではないかと疑ってい
たのだ。

 光晴と平八郎が広間に行くと、家康は忙しく箸を動かして湯漬けを掻き込ん
でいた。
「苦労で有った平八郎。助成忝い、光晴殿というたかな」
「はい」
「殿、何を悠長に。湯漬けなど食ろうている時では有りませぬ。大門は開かれ
たままで、いまにも武田勢が城内に乱入して参ります」
「なに、・・・城攻めはせぬ。死にものぐるいでかかってくる相手に軍勢を削
がれるのを嫌う」
 家康が言うように、武田勢は浜松城から撤退をしたが、翌日から家康の諸城
を火のように攻めて落城させて行き、野田城を陥落させた後、何故か動きを止
めた。

 数日後の深夜、光晴の寝所を火が訪れた。
 人の気配に、光晴が眼を開けると、息のかかるほど間近に火の顔があった。
 相変わらず微笑んでいた。
「光晴、お前が何を夢見ていたか、当ててみようか?」
「ふん、見てもいない夢をどうやって当てる?」
「光晴、お前は痴れ者じゃ。夢というのは熟睡している時に見るのでは無い。
うつらとする時に、心と頭で考える事じゃ」
「そなたに分かるのか?」
「そなたは無かろう。火と呼べ」と、ふくれ面を見せる火。
「あいわかった、火よ、当てて見よ」
「信玄がなぜ動かぬのか分からぬのじゃろう?」
「わからぬ」
「馬鹿か光晴は。動かぬと考えるから分からぬのじゃ。なぜ動けぬと考えぬ」
「動けぬ? 火よ、わたしを妖言で誑かすのか」
「わしはお前と謙信公だけは誑かさぬ」
「謙信公? 信玄公では無いのか」
「そうだ、馬鹿な光晴にもう一度だけ言う。わしは明智光晴と上杉謙信公だけ
は誑かさぬ」
「何故?」
「お前を気に入ったからじゃ。謙信公はわしら三姉妹に命を呉れたからじ
ゃ」
 火の最後の言葉は天井から振ってきた。

 徳川家康は三方原の大敗で得がたい物を手に入れた。前代未聞の律儀者の評
判である。義理堅い家康、頼れる御大将家康。その虚像は、徳川三百年の礎を
確りと築いた。
    2017年2月8日   Gorou

三界の夢 そのⅦ 叡山焼き討ち

2017-02-07 19:36:11 | 物語
そのⅦ 叡山焼き討ち

 三年前、まだ三姉妹が信玄に仕えていた頃の話である。

 元亀2年(1571年)9月12日早朝、信長軍三万は比叡山を蟻の逃げる隙間も無
い程取り囲んでいた。
 出撃を知らせる法螺貝が鳴り響き、織田軍は一斉に比叡山に攻め登った。
 参戦した主な武将は、信長を初め、柴田勝家、明智光秀、木下藤吉郎などで
ある。夜討ちしなかったのは一人も逃さぬ為であった。

信長公記に曰く。
『九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零
社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社
哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉く
かちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて
攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是
は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員
を知れず召捕り』

 猛烈な炎を上げる山王二十一社、逃げ惑う僧侶や庶民、それに赤子を抱いた
女や幼童・幼女が織田の侍達に惨たらしくも首を切られている。
「地獄だ、この世にも地獄が有ったのだ」
 光晴は呆然として佇んでいた。立てているのが不思議なほど狼狽していた。
「光晴、良く見ておけ。この光景を忘れてはならぬ」
 光秀は灼熱の大地を踏みしめ、立ち続けた。
 光秀を囲む明智の兵達は誰も動かず、殺戮に加わる者は一人もいなかった。
「光晴、迷っていた我が心が定まった。魔王を討つ、いや魔王は神になろうと
している。そのような者生かしてはおけぬ。光晴お前は、菩薩に復讐を誓った
その時に、既に人では無くなっておるが、半分は人としての心が残っておる。
今、決断せよ。わしと供に信長を討つか、並みの男として生きるか」
 光晴は即座に返答した。
「光秀様と供に狂った魔王を滅ぼしまする」
「道は険しいぞ。果たして機会が巡ってくるのが何年先になるは分からぬ」
「承知! 魂塊が砕け散るまでまちまする」
 
 前方から、忍者の集団に守られた僧侶や庶民がやってきた。
 先頭を走る三人のくノ一は風変わりな忍び衣装を着ていた。
 青衣装のくノ一が飛んだ。
 続いて飛んだのが萌葱衣装のくノ一だ。
 紅に燃えるくノ一はクルクルとトンボを切って近づいて来た。
 青衣装の風が光秀の前で、背中から忍び刀を抜き放って構え、鋭い眼光で睨
んだ。
「邪魔立て無用!」
「我らは人にはあらず、案山子のような物じゃ、何も見えぬで、何も出来ぬ」
 光秀の言葉で、風は忍び刀を収めて深く頭を下げた。
「忝う御座いまする、明智十兵衛光秀様。ですが、ただ見逃しては御身に魔王
の災いが掛かりましょう。ここは一つ争う振りなどいたしませ」
「では、舞でも舞うか」
 光秀は、大げさな身振りで刀を抜き、家来の一人に剣舞を仕掛けた。
 明智衆は皆一斉に刀を抜いた。
 警戒して林も忍び刀を抜いて身構えた。が、明智一党は光秀を中心に剣舞を
おどけた様子で踊った。
 槍を構えた武士は歌を歌い出した。
♪酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を
 何人かの槍武者が衾を造って唱和した。
♪飲みとるほどに飲むならば これぞまことの明智武士
 光秀までが歌に参加した。

 明智衆の中で一人だけ、光晴が憮然として紅の衣装の火と睨み合っていた。
 火が構えた忍び刀を空中に放り投げた。
 クルクルと舞いながら、火の背中の鞘に収まった。
「お前は阿呆踊りをせぬのか?」
 火が嬉しそうに笑い、幼さの残った顔を光晴の耳元に近づけた。
「若年故に踊れぬのか? 歌えぬのか?」
 光晴はこの娘に惹かれた、行方の分からぬ妹を思い出したのだ。

「ドコイ」
 光秀のかけ声で群舞は終わり、明智武士は皆案山子に戻った。
 風と林と忍者群は、僧侶と人々を囲んで守りながら山を駆け下りていく。
 火が光晴に囁きかけた。
「わしの名は火」
「火?」
「いかにも、光晴殿」
 そう囁いた時には火は数間先を駈けていた。
 駈けながら光晴を何度も振り返り、その度にあどけない笑顔を送って来た。
 光晴は何故か赤面していた。少しだけ人の心が戻っていたのかも知れない。

 戦後、比叡山で信長の惨い命令を守った武将に何の報償も無かった。
 黙って逃げるのを見過ごした明智光秀と木下藤吉郎にも、なんのお咎めも無
かった。叡山焼き討ちは、信長にとって既成概念を破るための大芝居だったか
らからも知れない。


 三姉妹は、延暦寺宗主覚恕法親王を信玄の元に送り届けた。
 信玄は延暦寺の復興を覚恕法親王に確約したが、実現しなかった。

 信玄はくノ一を良く育て、良く使った。
 戦で孤児になった幼い子達を隠れ里で忍びに育て上げたのである。
 三姉妹も、川中島の戦い(第四次)の後で信玄に拾われた。
 武田のくノ一は皆信玄を父親のように慕っていた。謙信を神と崇める三姉妹
を除いてはである。勿論三姉妹は口にも態度にも出さなかった。

 くノ一は二十歳を幾つか過ぎると信玄の側室に取り立てられ、三十路を過ぎ
た者は歩き巫女として、生涯信玄に日本各地の情報を届け続けた。
 近頃、風が側室に迎えられると、噂が頻りに流れた。
 林と火が風に報告した。
「風よどうする?」
「林よ、どうにもせぬ」
「お姉様、いっそ抜けるか?」
「火よ、未だその時期では無い」
 風は不思議な微笑みを浮かべて越後の方を見やった。
 三姉妹は「生き抜け」と言った謙信の言葉を頼りに戦乱を生き抜いて来たの
だ。
   2017年2月7日   Gorou

三界の夢 そのⅥ 外伝② 風林火山

2017-02-06 22:19:58 | 物語
そのⅥ 外伝② 風林火山

 謙信の居城、春日山城は名の如く山が如き堅城であった。
 どのように腕の立つ乱破でも、忍び込む事は不可能とされていた。

 春の宵、謙信は毘沙門堂に籠もって、一人書見をしていた。
 一人といっても、この時代では武者隠しの部屋が隣接していて、屈強の強者
達が詰めていた。
 謙信は書見をしながら、左手で杯を傾けていた。
 謙信は無類の酒好だったのです。肴はあまり食べません、この夜はあぶった
烏賊だけでした。
 謙信は倹約家として知られており、家臣達はご馳走や酒がふんだんに振る舞
われた時は出陣と心得ていました。

 燭台がかすかに揺れて、背後で人の気配がしましたが、謙信はかまわず杯の
酒を飲み干しました。 
 空の杯に、スーッと女の手が伸びて酒が満たされました。
 女の手を、謙信が掴もうとすると、忽然と手は消え、三間も先で若い女が手
をついていました。
「あやしきおなご、ゆるす。表を挙げよ」
 静かに顔を上げる女。
 謙信は、その女の美しさに眼を見張った。
 謙信が聞き耳を立てると、武者隠しから鼾が聞こえて来ました。
「女、一服盛ったのか?」
「怖れながら、そのように」
 女は怪しくも美しい微笑みを浮かべた。
「越後の猛者達も、存外だらしがない」
「お責めなさるな、お屋形様」
「これ、乱破。それとも、くノ一、或いは歩き巫女と呼べば良いのか?」
「お屋形様のお好きなように」
「そなたに取って、お屋形様と呼ぶべきは信玄公ただ一人のはず」
「しらぬ振りを決めても無駄で御座います」
「そうか、隠しておるものを敢えて暴くことも有るまいが、言い直す。勝頼の
小童だけであろう」
「小童の阿呆は、見限りました」
「武田を抜けていかがいたす」
「お屋形様にお仕えて差し上げまする」
「法螺をふくな女、そなた一人を召し抱えても役にたちまい」
「わたくしは三十人の甲斐の山猿を束ねておりまする。一声かければ三百人の
屈強な武田の騎馬武者も駆け集まりまする」
「女、生憎越後はそれ程裕福でもなく、わしも吝嗇でな、ろくな扶持米を払え
ぬぞ」
「ご心配には及びませぬ。わたくしは幼き時より甲斐の山々を駈け巡って育ち
ました。甲斐の山の隅々まで、滝壺や洞穴の全てを知っています」
「ほーう、信玄公の埋蔵金は有るのか?」
「さあ・・・」
 女は意味ありげに微笑んでいる。
「これ女、杯が空になっておる」
「失礼いたしました」と、女は謙信公に膝を進めて、杯を満たした。
 謙信がまた女の腕を掴んだ。
 今度はされるままにしている女は謙信の顔をまじまじと見詰めた。
「おんなでは風情が無い、名を申せ」
「くノ一に名など御座いません。が、風とでもお呼び下さいませ」
「かぜ?」
 謙信はその名に覚えが有った。武田のくノ一に、風、林、火と呼ばれて怖れ
られているくノ一の噂を思い出した。
「かって、わしは風は老婆だと思うていた」
「女は化けまする」
 風は謙信の顔を、前にも増してじっと見詰めていた。
「わたくしの顔に見覚えは?」
 風はそう言うと、微かに頬を赤らめた。
 謙信は、女の言葉で思い出した。幼女では無く、くノ一の風の事である。

 数年前、僅かな供を従えただけで上洛した。将軍足利義昭に呼ばれたから
だ。
 烏丸通りを御所に向かって歩いてると、向こうから十人程の侍がやってき
た。謀反の達人、松永弾正の手の者に違いない、横柄な様子で近づいてくる。
 その者達は数間先で立ち止まった。
「どちらの家中のものじゃ。この京都では武装してはならぬ。刀槍を渡せ」
「刀と槍を渡せば武士ではなくなるではないか」と、謙信が答えた。
「田舎侍が何をほざくか」
「お前らこそ吠えるでない。うるさい犬共を黙らせよ」
 謙信が、供の侍に命じると、忽ちの内に五人の松永侍は投げ飛ばされ、二人
が築地塀に押しつけられて身動きを封じられていた。
 騎馬の三人がその場から遁走した。
 何時の間にか、烏丸通は野次馬で溢れていた。
 行脚の沙弥達、物売りや大工風の男達、野党らしき男達まで現れていた。
 謙信は、通りの向かい側の築地塀を見た。風変わりな忍び衣装で塀の上に立
ち憚る三人の女がいたからである。
 くノ一達は相当に歌舞いていた。忍び衣装というのは、目立たぬように黒が常
識であった。が、一人は鮮やかな青、一人は萌葱色、一人は紅に燃える装束で
身を固め、首には風にはためくそれぞれの色の長い領巾を巻き、装束の中の鎖帷子は
漆塗りの黄金で輝いていた。
 謙信と青のくノ一の目が合った。
 三人のくノ一は一様に謙信を見詰めていた。
 青のくノ一が笑った、謙信も笑顔で応えた。

 くノ一達はトンボを切って地上に降り立つと、脱兎の如く、逃げ去った騎馬侍
を追った。「徒で騎馬に追いつくつもりであるか。加勢など幾らでも呼ばせれ
ば良いものを」
 謙信はそう思いながら、三人を見やったが、なんと速いこと、速いこと、あ
きれる程の速さで、人間業とは思えなかった。
 何時の間にか、謙信の周りはそれぞれに扮装した、五十人程の越後衆で固め
られていた。
 謙信は側で跪いている虚無僧に声をかけた。
「景綱、苦労である。国元は安穏か?」
「万全の備えを施しましたから、まずは安心かと」
「景綱、あの者達をどう見る」
 謙信がくノ一が走った先を見たが、もう姿が消えていた。
「甲斐の忍びかと?」
「甲斐の忍びがなぜわしを襲わず、松永侍を追う?」
「あの輩は人で有りながら、常の人では御座いませぬ。何を考え、何を致すか
それがしの頭では考えが及びません」
「まあよいわ、それではぼちぼち将軍の顔でも見に行くか」
 謙信は悠然と歩き出した。
 従うのは数人だけで、景綱を初め、越後衆は築地米の影に隠れた。

 謙信の顔を見詰めた風がこう言った。
「やっと、思い出して呉れましたのね」
「ああ、あの後、松永侍をどうしたのだ?」
「可哀相でしたが、お命を頂戴いたしました」
「ほーう、では礼を言わねばならぬな」
「わたしたちは余計な事をしただけでした。随分と怪しげな輩が徘徊しており
ましたから、松永勢と合戦となったとて、越後衆の勝利は間違いありませんし?
・・・」
「その後はなんと言おうとしているのじゃ?」
「松永勢が、お屋形様の名を知れば、合戦になどなりませぬ」
「ハハハ、面白いことを言う女子じゃ、また酒の供をせよ、信長の話など聞か
せて呉れればなお良し」
「畏まりました。早速調べ挙げ、参上仕ります」
 そう言った時には、風の姿は闇に掻き消えていました。

 春日山を駆け下り乍ら、懐の守り袋を握りしめる風、どうせ思い出すなら、
くノ一風で無く幼き時の姿の方が嬉しかった。
   2017年2月6日   Gorou

三界の夢 そのⅤ 外伝① 三姉妹

2017-02-05 05:38:17 | 物語
そのⅤ 外伝① 三姉妹

 うち続く戦乱は、幼い三姉妹から、両親も家も奪ってしまいました。
 戦というものは、いつの世でもとても残酷です。
 姉が八歳、下の妹は七歳、一番下の妹はまだ三歳になったばかりでした。
 可愛そうな三姉妹は、誰も頼ること無く、この戦乱の世を生きていかなけれ
ばなりません。

 また戦が始まりました。
 越後の上杉勢が甲斐の武田領に攻め込んで来たのです。
 上杉軍は、軍紀の乱れも無く、むやみに略奪行為などはしません。
 だが、兵の中には軍律を乱す不埒の輩がいるものです。

 今で言う、長野県の善光寺の境内に、周囲の住民が集められていました。
 越後勢は武田領に攻め込んだ分けですから、情報が武田方に漏れては困るか
らでした。
 人々は食料と煮炊きの道具は持ち込んでいました。が、可愛そうな三姉妹に
は何も用意が出来る筈も有りません。
 姉は飢える妹たちの為に、食べるものを捜そうと、密かに境内を抜け出し、
方々の畑を掘り返していました。
 どんなに頑張っても、いくら捜しても、芋の一つも手に入りません。
 姉は絶望の為、呆然としていました。
 すると、少し離れた所に一人の足軽が立っているでは有りませんか。
 左手に大きなお握りを持った、その足軽は右手で姉を手招きしています。
 男の顔は卑猥な笑いで歪んでいました。終いには涎まで垂らすていたらくで
す。
 幼いながら、姉は足軽の涎の意味が分かっていました。
「ひもじい思いをしているあの子たちに、あのお握りは絶対に手に入れなくて
は」と、姉は覚悟を決めて、足軽の方に足を踏み出しました。
 恐怖の為か、足がふらつき、まるで夢遊病者です。
 姉はようやくお握りに辿り尽き、必死に両手で掴みました。
 お握りを手に入れたものの、姉の身体は足軽に横抱きにされていました。
が、お握りは離しません。
 足軽は、姉を横抱きにしたまま、森に向かって走り出しました。
 ビシッ! 大きな鞭の音が、二度、三度と響き、足軽の身体は地面に叩きつ
けられていました。
 投げ出されて転がる姉。それでもお握りだけは離しません。
「お屋形様、この不埒者いかがいたしましょう」
 足軽は二人の屈強な侍に取り押さえられています。
「縄を打て」
 と言い放った法体の武将は騎馬から下りて、姉を優しく抱き起こしてくれま
した。
「怪我はないか?」
「はい」
 姉は足軽が縄で繋がれて引き立てられていく情けない姿を見ていました。
「あのお侍は首を切られるの?」
「さあ、厳しい詮議にかけて、他にも罪を犯していればあるいは。だがそれほ
どの悪党でなければ、この戦が終わるまで牢に入れ、戦が終われば、領外に解
き放つ積もりじゃ」
 姉は、乱暴されかけたにも関わらず、その武将の言葉で少しホッとしまし
た。
「なぜ食わぬのじゃ?」
「これは妹達への大切な贈り物で、私は食べません」
「妹にか、何人じゃ?」
「二人」
「おい、二日分じゃ、三人前の食料と水を用意致せ」
 一人の武将が騎馬に飛び乗って早駈けていきました。
「親はおるのか?」
 首を振る姉、今にも泣き出しそうになりました。
「家は?」
 姉は遂に涙をポロポロと零してしまいました。
「すまぬ。つまらぬ事を言うてしもうた」
 騎馬武者が戻って来て、姉に糧食の入った大きな袋を背負わせて呉れまし
た。
「景時、お前は戦の時も銭を忍ばせていると聞いたが、本当か?」
「はい・・・?」
 法体の武将はその景時と呼んだ侍の顔の前に手を突きだした。
「出せ」
 景時は渋々懐から銭袋をだし、中から小判を一枚掴みだした。
「愚か者、袋ごと渡すのだ」
 さすがに嫌な顔をする景時と呼ばれた侍。それでも嫌々ながら姉の懐に銭袋
をねじ込んだ。
 何が起こっているのか、良く理解出来ない姉、法体の神が如きな武将を、眼
を一杯に開いて見詰め続けた。
 法体の武将は騎乗すると、
「達者で暮らせ、生き抜くのじゃぞ」
 そう言い残して風のように去って行きました。
「あのお方は、越後の御大将に違いない」
 姉はそう思いました。
 彼女が想像した通りで、その大将は、後に毘沙門天の化身として怖れられ
た、長尾景虎、その人でした。

 姉は懐の銭袋を覗いて、それは本当に驚いてしまいました。見た事も無かっ
た小判が三枚も入っていたからです。
 彼女は、その小判は生涯使わずに大切にしました。妹達にも持たせ、それぞ
れのお守り袋に縫い付けたのです。
    2017年2月5日   Gorou

三界の夢 そのⅣ 壇ノ浦

2017-02-03 22:08:39 | 物語
そのⅣ 壇ノ浦
 次の日の酉の刻。
 迎えの鎧武者達が芳一の雨戸を叩いて呼ばわった。
「法師殿、法師殿。お約束の御時刻で御座る」
「夜道の警護を命じられた者で御座る」
「決して怪しき者ではありません」
 武者達は厳つい顔を、無理に微笑ませ、声音を和らげて芳一に声をかけてい
る。
 芳一は、きちんと正座をして聞いていた。聞きながら迷っていた。和尚様の
言うことを聞いくか、背いてあの者達についていくかを。

 武者の一人が雨戸の経文に気が付いた。
「この不浄のものは何じゃ」
「おのれ芳一、県令門院様との約束を反古にする積もりじゃな」
「このような経に恐れをなすなど、平家武者の名折れ、かく上は槍の錆にして
くれん」とば、槍衾で雨戸を突き刺した。
 騎馬武者がかけて来て、雑兵達に怒声を浴びせた。
「何をする。そのお方は徳子様の貴賓じゃ、狼藉は成らぬぞ!」
 騎馬武者の言葉で畏まった雑兵達は一様に跪いた。
 その場に、尼姿の建礼門院徳子がやってきた。
「そなた達は控えていなさい」
 騎馬武者も、雑兵達も雨戸から下がって控えた。
「法師様、このような荒くれ者を使者にたてたはわらわの過ちでした。許して
下さい。・・・御察しのように、わたくしどもはこの世の者では御座いませ
ん。ですが、決してあなたに害を加える者でも有りません。唯々、法師殿の平
家語りが聞きたくて参上仕りました。哀れと思うて、せめて雨戸越しに,一節
だけでもお聞かせ下さいませ」
 雨戸を隔てていても、芳一は平伏をしてしまっていた。
「お許し下さい。お許し下さい。この芳一が間違っておりました。少しだけお
待ち下さいませ、直ぐに支度をして参ります」
 芳一は湯殿に急ぎ、裸になって体中の経文を全て流して消した。

 徳子も平家武者も意気消沈して項垂れている。
 誰もが、芳一が遁走して,二度とこの場に戻らないと悟っていたからです。
 思いもかけず,雨戸が開いて、衣服を整え,琵琶を抱えた芳一が平伏してい
ました。
「嬉しい! さあ、法師殿、わらわが導き参らせ給わん」
 優しい尼君に手を引かれ、身体を支えられて芳一は阿弥陀寺から離れて行っ
た。
 芳一は二度とこの世に戻れないかも知れないと覚悟を決めていました。

 盲目のため見えませんでしたが、芳一は今擬宝珠廉で揺られています。
 鳳廉が天皇の乗る御輿で、擬宝珠無廉は皇后や皇太后が乗る御輿です。
 盲目の芳一を労って,徳子は手を握り、大きな肩を抱きかかえています。
 芳一に温かい徳子の体温が伝わり、心が和みました。母の優しい温かみと、
菩薩の優雅な微笑みを思い出されて来ます。

 御殿の大広間には、平家の名だたる公達が揃っておりました。
 芳一は恭しい御礼を徳子御前に捧げた後。
 静かに琵琶を構えました。
 ♪さる程に、源平の陣の間、海の面二十余町をぞ隔てたる

「いよいよ最後の決戦、船戦が始まるぞ」
 新中納言平知盛卿が力強く立ち上がった。
「ソレッ、源氏おば追い払え」
「オオーツ」と、雄叫びを上げた公達達も立ち上がった。
「ウオーッ! 我に続け」と、何時の間にか鎧甲に着替えた知盛卿が崖を一気
に駆け下りた。
 崖下の浜では、すでに無数の蟹が集合し、沖の戦船目指して殺到した。

 平家物語を弾く芳一の側に残って居るのは徳子を初めとした女房達だけであ
った。
 女房達はそれぞれが管弦をかき鳴らし、芳一の琵琶と歌に合わせて、懸命に
平家を応援した。

♪ 門司、赤間、壇ノ浦は、たぎりて落つる潮なれば、源氏の船は潮に向かう
  て心ならずも押し落とされる。平家の船は潮に追うてぞ出で来る

 何時の間にか平家の軍船で一際大きな唐船の艫で指揮を取っている知盛。
 蟹たちも次々とそれぞれの軍船に取りついて、平家の戦支度は整った。
「潮の流れは平家に有利。いざ、義経をば絡め取れ」

 時は元歴二年三月二十四日、朝六時に源平の矢あわせが始まった。
 源平が力を尽くしての鬩ぎ合いは暫く続いたが、当初潮の流れを味方に付け
た平家が有利に見えたが、四国勢,九州勢の裏切りで次第に源氏が押し返して
来た。
 彼等(裏切り者達)は、ニ隻の平家唐船のどちらが安徳天皇の御座船か知っ
ていたので、源氏の大船団に猛進してくる囮の唐船には目もくれずに御座船に
殺到した。

♪ 女房達、「中納言殿、軍はいかにやいかに」と、口々に問い給へば。
 「珍しき東男をこそ御覧ぜられ候はんずらめ」とて、からからと笑い給 へ
ば。

 その時、大広間から徳子も女房達も姿を消していた。戦の行方に、いても立
ってもいられなかったのです。

 二位殿(徳子の母)は、戦の行方に見切りをつけ、もはやこれまでと、濃い
灰色の二枚重ねの衣を被り、練絹の袴の股立ちを高く挟み、宝剣を腰にさし、
八歳になった安徳天皇を抱き上げ、
「我が身は女なりとも、敵の手にはかかるまじ。君のお供に参るなり。御志思
ひ参らせ給はん人々は急ぎ続き給へ」と言って、船端に歩み出られた。
「尼様、朕を何処へ連れて行こうとするのだ」
「浪の下にも都はございますぞ」
 二位の尼は、安徳天皇を抱いて、千尋の海底に入った。
 平家の公達も女房達も次々と源氏に捕らえられ、遂に建礼門院徳子も長い髪
を熊手で絡めとられて、囚われ人となりはてた。

 大広間では、芳一がたった一人になって、尚も平家語りを続けていた。

♪ 海上には、赤旗、赤印、投げ捨てかなぐり捨てたりければ、竜田川の紅葉
  葉を嵐の吹き散らかしたる如し。主もなき空しき舟は、潮に引かれ、風に
  従っていづくを指すともなく揺られて行くことこそ悲しけれ

 ここで、芳一は琵琶を置いて語りをやめた。
 むなしさと悲しみが込み上げてきたのである。

 翌日の夕方、行方知れずになっていた芳一が、平家の七人塚で倒れているの
が見つかった。
 芳一は二日間眠り続けた。
 夢枕に徳子が立ち、幽玄を極めた舞を見せて呉れた。
 舞終えた徳子は、三つ指をついて芳一を拝むが如く頭を下げた。
「お陰様で、我が子も、平氏の公達達も女房方も、安らかな眠りを得られまし
た」
 顔を上げた徳子は、喩えようのない程の笑顔をで芳一を見詰めた。
「御礼までに、法師殿がお探しの家族、母御と妹君、そして弟殿の行方をお教
え致します。京へ行きなされ。一日も早く行きなされ。・・・平家一門は赤間
関で絶えた分けでは御座いません。生き延びた者も大勢いました。いまでは往
時を超える程の人数になっています。法師殿の行くところでは、どのような難
儀に出会おうとも、必ずやお助け申すでしょう」

 眼を冷ました芳一は、夢での徳子の言葉を繰り返し思い返した。
 たかが夢。とは、とても思えなかった。
「京へ行こう」
 芳一は堅く決意した。眼の不自由な己にどんなに辛い旅になるか等とは心
配しなかった。
 尼殿が言われたように、母と妹と、そして弟は生きて京にいる。芳一は尼
殿の言葉だけを頼りに、京へと旅立った。
 道中不思議な事が沢山起こった。
 道に迷えば、誰かが現れて正しい路を教えてくれ。
 飢えれば、誰かが法外な布施を恵んでくれた。
 野宿を覚悟した時も、必ず宿が見つかった。
  
    2017年2月3日    Gorou