空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

魂【poem】とエッセイ

2020-05-16 09:34:22 | 文化

           魂(ポエム)

     1
魂という町があって
そこに、澄んだ青い湖と濁った池があり
青い湖の周囲には、美しい花が咲くが、池の周りには石ころばかりだった
偉人が言うには、湖には美しい魂が来て、池には濁った魂が来る
今、コロナで人は困っているけれども、
良い行動の人は湖に来て、魂を清め、悪いのは池が誘うという
湖で見つけた赤い花の美しいこと
池で見つけた汚れた水草
偉人が言うにはこの湖のさらに美しい所を行く人
池の汚い所にさらに進む人もいるとか
そして湖と池の間を行ったり来たりする人もいる

僕は魂という町の掲示板を見た
掲示板には池には行ってはいけないと書いてある。
僕は新聞を読み、ニュースを見た。
このコロナの恐ろしい中で、湖に行く人、池に行く人が出ていた。
皆が協力して、このコロナ退治をしている
皆が美しい花束を集め、
もしかしたら、皆、愛と大慈悲心に目覚め、
コロナを退治したら、良い社会が出来るという希望を持っていた。
それが、ニュースで汚れた池に行く人がいると知ってがっかりした。

魂という町があって
僕がそこでコ―ヒーを飲みながら、
偉人の本を読み、
魂が下から上昇するということはあるのではと思った
人を中傷したり、
コロナでも、自分勝手な判断の私的制裁があったり
親が子供を虐待したり、これはひどい
車のあおり運転があったり
人の迷惑を考えない人がいる、
朝の九時頃だったろうか、あのドアの音もひどかった
真夜中の夢か、コロナ体操か、足音が長く響く
汝 ブルータスもか

魂という町があって
その夕日がとても美しくて
僕はうつとり夕日を見ながら
森の中で撮った綺麗な湖と汚れた池に聞いてみた、
どうですか、最近の出入りは
湖は言った。
沢山、いい人が来ますよ
コロナはいずれ退治されますよ
池は言った
最近は奇妙な人も入ってくる
本来、湖を好む筈の人がちらほら、こちらに来るのですよ

ある夜、黄金の満月がこうこうと照っていて
湖は喜びに震え、池は寒さに震えるかのように、震えていました
僕は天の川の一つの星を指さして
あれが、地球だよ、僕の星だ
偉人が言うように、魂の修行場だそうだ。
偉人は言った。魂の星なのです。生きているのです

           2
ああ、僕はたえず歌う魂でありたい
絶えず、湖のそばを歩き、ある時は愛を誘う竪琴をならすがごとく歌おう
時には戦場の池の近くをさまよい、「戦争をやめろ」と歌い
ある時は戦争に反対する魂のごとく歌おう
絶えず、貧しき人々の崩れかかった古い家並みのあたりを徘徊し
ある時は病気に倒れた絶望する人を助けるための救いと祈りの歌を歌おう
そして、子供達を救えと叫ぼう
こうして歌いながら、僕はその歌によって
魂の無仏性を伝えよう
絶えず温かい街角を彷徨いながら
生命をたたえる歌を歌いたいものだ

 

 

【エッセイ 】
空海には魂は修行して上昇し、上まで行けば真理をつかむという思想があるようだ。
それをテーマにして、つたない詩を書いてみました。
私も若い頃はそんな考えに見向きもしませんでした。
しかし、長い年月を経てきて、色々の人をみて、小説を書くには自分の心も観察しなければ
なりません。
若い頃には今の日本にムードとして広がっている、唯物論が正しいと思っていました。
それはそうですよ、少なくとも、高校まで日本の偉人の教えを学ぶ機会が多くの人にはないのですから。良寛の和歌なんか宗教教育にならないのに、教えられないのですから。
空海、最澄、法然、親鸞、道元、日蓮、良寛、白隠まだまだ素晴らしい方がおられますよ。

唯物論を徹底的に考えていく人はやがて般若心経の「色即是空。空即是色」
に行きつくのです。今の物理学の状況もそれを裏付けています。
お釈迦様は菩提樹のほとりで、悟りをひらかれた時、決して今の科学の土台になっている理性で真理を悟られたのではありませんね。菩提樹のほとりで、座禅をして、主客未分の世界に入り、この世界を直観的に、お悟りになられたのだと、思います。それは言葉で表現できない、理性だけで考える人には理解できない世界なのだと思います。
それは、優れた教典や正法眼蔵などを読むと、真如は分別で理解できないということが分かります。
最近、新約聖書のヨハネ伝を読んでみて、仏教と同じことが書かれていて感動しました。

 初めにみ言葉があった
み言葉は神と共にあった
み言葉は神であった
み言葉は初めに神と共にあった。
すべてのものはみ言葉によってできた。
できたものは み言葉によらずに
できたものは、何一つなかった。
み言葉の内に命があった。
この命は人間の光であった。
光は闇の中で輝いている
闇は光に打ち勝たなかった。

 

「み言葉」をロゴスと訳しているのもあり、ゲーテはファウストの中で、「ことば」という訳は間違っていると言っています。【新約聖書はギリシャ語で書かれていました】
それはともかく、仏教で言えば法身ということです。
お釈迦様がなくなる時におっしゃった「自灯明」「法灯明」の「法」です。

          久里山不識