能登半島地震で、またも多くの犠牲者が出てしまいました。同じような悲劇が繰り返されないために、東日本大震災で亡くなられた方々に捧げられた物語、月野一匠作『ある日の閻魔大王』から一部を、以下に掲載させていただきます。合掌
『ある日の閻魔大王』より
<説明>巨大地震が起こった翌朝、三途の川の前には、多くの犠牲者の魂が集まりました。魂たちは、口々に地震を恨みます。そこへ閻魔大王が現れ、裁きを始めます。
<以下 原作からの引用>
「さて、このたびの出来事、そなたたちはさぞ無念に違いないが、この法廷には、
誰もが別離の悲しみを背負って無念の思いでやって来るのである。生命を得て地上に生まれ落ちた者は、いつか必ずここへ来なければならない。そなたたちは、今、その時を迎えたのである。」
<中略>
「そなたたちは、昨日の地震がよくよく憎いようであるから、気の済むように、地震の神を呼んで問うてみよう。」
閻魔大王は、控えの者に、地震の神ズマーナを呼ぶように命じた。
法廷に現れた地震の神ズマーナを、魂と化した犠牲者たちは、深い怨みの念で見つめた。
「ズマーナよ、この者たちは、そなたが起こした地震によって命を奪われたと言っている。そなたは、なぜこれほどまでに大きな犠牲を伴う地震を起こしたのか。」
閻魔大王が問うと、ズマーナは答えた。
「この者たちの住む地球という星は、マグマの活動によって絶えず形状に歪みを生じています。ですから、時に表面の地盤を動かして調整してやらないと、歪みが拡大して星そのものが崩壊してしまうのです。地震は、その調整以外の何物でもありません。」
「なるほど。しかし、その地盤の上に生きて暮らす者が大勢いるのであれば、犠牲を伴わないように配慮してもよいのではないか。」
閻魔大王は、そう問いただした。
すると、ズマーナは、次のように答えた。
「いきなり大きな地震を起こしたのでは、地上に住む者たちは驚くでしょうから、私は、可能な限り小分けしているのです。
小さな地震が時々起これば、警告にもなり、実地の避難訓練の機会にもなります。普段から小さな地震に真剣に向き合っていれば、たとえ巨大地震が起こっても落ち着いて行動し、助け合うことができるのです。
もちろん小地震の繰り返しで済めば一番いいのですが、それでは地球の形状の歪みを完全に調整することはできませんから、必要になったときは、本格調整をするのです。
断言しますが、私は、けっしていきなり巨大地震を引き起こしている訳ではありません。昨日の地震は、たしかに数百年ぶりの巨大規模でしたが、それは私が地上の者たちに数百年の猶予を与え、その間に防災の機会を繰り返し提供してきたということにほかならないのです。」
閻魔大王は、犠牲者たちに向かって言った。
「聞いたであろう。地震の神のどこに落ち度があるというのか。」
沈黙する犠牲者たちに、閻魔大王は言葉を続けた。
「数百年前の巨大地震でもおびただしい数の犠牲者が出たのである。先祖の尊い犠牲を無にしない努力を、そなたたち人間はなぜしてこなかったのか。科学も技術も進歩したというのに、人間はその成果を何に使ってきたのか。
人口が都会に集中すれば、住宅や職場が密集し、交通が渋滞して、危険が増すことは自明である。それなのに危険を解消するどころか、超高層ビルを建設し、地下にまで交通網を拡張して、ますます密集化をはかってきたのは何のためか。人口が都会に向かえば、一方で地方は過疎化して、これまた防災工事などが進まなくなることも自明である。
このたびの地震によるおびただしい被害は、すべて、そなたたち人間が承知の上で招いた結果ではないのか。」
閻魔大王の言葉は、犠牲者たちに反論の隙を与えないかのごとくであった。
<物語は続きます。幼子とともにやってきた母親が、なぜ罪のない子どもたちまでが命を落とさなければならなかったのかと問いかけ、閻魔大王がそれに答えます。真理を悟った犠牲者たちの魂は、三途の川を渡って阿弥陀如来の待つ浄土へ向かいます。
ご関心のある方は原作がWEB上に公開されていますので、そちらからお読みください。合掌>
(写真上)© レインボーブリッジ
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(写真上)© 渋谷スクランブルビル
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