奥武蔵の風

12 天災は忘れたくてもやって来る

 「天災は忘れた頃にやって来る」とは、物理学者であった寺田寅彦(てらだ とらひこ、1878-1935年)が関東大震災の直後に発した警句であると言われています。

 今年の9月1日は関東大震災(1923、大正12年)から99年になります。2011年3月11日に東日本大震災を経験した日本ですが、活発な震源域はあちこちにあるようで、油断はできません。特に最近は、地球の地殻変動が活発化してきたのでしょうか、地震が増えてきたように感じます。

 いまや「天災は "忘れなくても" やって来る」状況になりました。いや、もう「天災は "忘れたくても" やって来る」のです。備えるしかありません。

 東京一極集中のリスクが指摘されて久しいにもかかわらず、都心部・臨海部の再開発は留まるところを知りません。東京都が発表した推計人口(本年7月1日現在)は、1400万人を超えました。7割が23区内、3割が多摩地域だそうです。これに周辺の埼玉・千葉・神奈川からの通勤者が加わって、昼間人口は約1600万人に達するとのこと。関東大震災当時と比較して驚くのは、東京の圧倒的な「肥大化」です。

 関東大震災当時の「東京府」の人口は、350万人でした。内訳は、「東京市」(現23区)が250万人、郡部(多摩)が100万人です。面積は変わらないのですから、恐るべき東京の人口の「肥大化」「密集化」です。

 関東大震災の被害は、地震の揺れもさることながら、正午前の炊事時間で薪(まき)を焚いていた家庭が多く、多発した住宅火災が大火災になったことで、甚大(じんだい)化しました。今は、木造住宅も防災仕様が進み、燃料も電気・ガスとなりましたから、火災発生はある程度 防げるかもしれませんが、逆に、停電に見舞われると、熱源・動力源・照明も途絶えることになります。

 当時、普及しつつあった水道は断水しましたが、都内には井戸が多数残っており、飲料水には不自由しなかったと言われています。現在では、地震が発生するとまず必要になるのは給水所です。断水になるとトイレも使えません。

 そして、当時との一番の違いは、自動車の増大です。首都高速道路は言うに及ばず、郊外の外郭環状道路や首都圏中央連絡自動車道(圏央道)などの高速道路は、日々、渋滞が発生しています。一般道を含め、信号が停止した都内の道路の混乱ぶりは、想像しただけでも恐怖です。

 首都直下型に限らず、南海トラフなど巨大地震の被害予測が、政府から発表されています。

 私たちは、過去の地震災害の教訓から、もっともっと多くを学ばなければなりません。

 下記の短編童話は、大地震の犠牲になってしまった死者たちの思いを、やさしく描いた作品です。防災の一助として、一読をお勧めします。

  月野一匠「ある日の閻魔(えんま)大王」(外部リンク、無料) 

https://goldenmoonrabbit.ninja-web.net/KANNON2.html

 

 

(写真上)©地震の断層ズレを留めた変成岩

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