マントの介護日記

レビー小体型認知症&パーキンソン病の
主人を介護して、たまに人工股関節になった
マントの日記も綴ります!

婆ちゃんが歩んだ人生いろいろ!

2012年05月22日 | 介護日記
こんにちはで御座ります  マントで~す 



昭和52年 ピンクレディーブーム

昭和55年 山口百恵が寿引退




父が障害になったのが50代半ば まだまだ働きざかり

婆ちゃん(母)は50歳ぐらいで介護と仕事を両立しだしました

兄達が居たから家計の方は何とか遣って来れたみたいです


酒癖がすっかり無くなった父 ほんと感謝しなければいけません・・のに!

父の口煩いのは相変わらず治っていませんでした

いっそうの事 “口も悪くなったらいいのに・・”と考えるほど

家族は父の酒乱に苦しめられていたのです




私は結婚して父から解放されましたけど

あとに残った兄や婆ちゃんは大変だったと思います

気に入らなかったら婆ちゃんへ愚痴愚痴同じことを繰り返し言っていたし

この口煩い父の言葉を何回も聞いているうち 

もしかすると長い年月のあいだに

ストレスとなって高血圧や糖尿病の病気を発症する

切っ掛けになったのではないでしょうかね

私も時々 実家へ遊びに行って話しを聞いたりすると

父の口煩いくどさで イライラして来ていました・・




それから兄は結婚して兄名義だった家に住み

婆ちゃんは府営団地に申し込んでいたら当選したのです

この当時の父はまだ杖ついて歩いていました

年老いるごとに車椅子になり 

その後 立て替えた団地はバリアフリーの部屋なので 

父を介護する婆ちゃんにとって ほんと助かりましたね



昭和57年 東北新幹線開通 ・ 五百円硬貨誕生

昭和58年 「おしん」大ブーム ・ 東京デズニーランドがオープン




私も子供達を連れて仕事が休みの度に実家へ行ったりしていて

口煩い父を気にしなければ 楽しい時代だったかもしれません



昭和60年 日航ジャンボ御巣鷹山に墜落 死者520名



昔の記憶の方が何かしら覚えているのに

子育て真っ最中の80年や90年時代は記憶が薄い・・

婆ちゃんに聞いても分らない感じみたい・・ですよ
 






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婆ちゃんが歩んだ人生(家族編)

2012年05月20日 | 介護日記
こんばんはで御座ります  マントで~す 



昭和41年 敬老の日・体育の日・建国記念日が新たに祝日





父の酒乱は相変わらず続いております

飲まない時は本当に仏様みたいな父なんですが 飲んだら鬼ですよ



昭和43年 三億円強奪事件


昭和45年 大阪で万国博覧会




この年 私は中学校を卒業しまして会社の内定が決まっていましたが

理由があって就職をしないで アルバイトなどを遣っていました

嫌な記憶は何ぼ考えても思い出されません



昭和47年 沖縄 本土返還  横井庄一28年ぶりにグアム島より帰還



やっと念願の家を購入することが出来て

狭いながらも楽しい我が家であればいいけど

これから家族にとって最悪の出来事が始まるのです


仕事が終ると酒を飲んで愚痴愚痴文句を言っちゃ叫んでいる父。。

私も逃げる事をしなくなり 成るべく相手にしないようにしていました

もう誰も相手にしないし近隣の人も成れて相手にしないから

その日は珍しく2階で熟睡していた父なのです



だけど・・

夜中にトイレへ行こうとして階段を降りようとしていた父・・


すると・・ 

ドンドンド~ンドスンと階段から転げるような音がして

2階から下を見ると父が横たわっていて動かない・・

急いで降りてゆき動かない父の身体を兄達が持ち上げて

隣の部屋へ寝かし身体の状態を聞いてみたのです


そうしたら 『首から下の感覚が無い!』と言うので

救急車を呼んで父は救急病院へ搬送されて行きました

病院で精密検査をした結果

右上半身麻痺・右下半身麻痺が起こっていたのです

ここは救急病院だから長くは居られないので

リハビリ専門病院へ転送することを考え

自宅からバスで1時間かかる病院の診察を受診して入院する許可がおりたのです

この当時の病院は今みたいに完全看護でなく

父の様に手間がかかる患者には付き添いが必要なのです

父の付き添いを如何しようか?

家族と話し合い 兄達は仕事があり婆ちゃんも仕事をしていたし

私しか居ないく でもまだ17歳の娘ですよ!  

付き添いなんかねぇ~  遣る事にしました


6人部屋の男ばかりの病室に女が一人。。

回りは病人だから怖い事はないけど反対に可愛がられましたね

しかし・・文句を言っていたのは父であります

思うように動けない右上・下半身だから 

マッサージや手足の運動をすると痛いもんで 私を怒鳴るの・・

私も最後には腹を立てて 婆ちゃんに愚痴を溢していました


それで毎日毎日諦めずに手足の運動したのが ほんと良かったのか?

徐々に手足の感覚が戻って来て動き出したのです

主治医も『娘さんが毎日リハビリしてくれたお陰だね! 感謝しないと!』と言ってくださり

先生のその言葉で父は一生 私に恩を感じていたのでしょうね

動き出したら早く私も付き添いを離れ 入院して8ヵ月後に父は退院しました



でもね!

父は生命保険が嫌いで入っていなく 入院費用はまあまあ多かったと思います・・

家族が頑張って来たから乗り越えられたと思う。。


そして一番嬉しかったのは酒のせいで障害になった父が

その後 酒を飲まなくなり飲んだら『今度は死ぬよ・・』と脅かしましたの



昭和49年 小野田寛郎少佐 リバング島から帰還

昭和50年 山陽新幹線開通




それから私は製造工場で働き 

そこで知り合った同僚と結婚して昭和50年に娘を出産しました

20歳だったから もう少し遊びたかったなぁ~


結婚して親元から離れた私はその後の婆ちゃんの生活が余り分らないので

これからは年月を飛び越えて 実家へ行った時の様子を書いてゆきま~す






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婆ちゃんが歩んだ人生 その後!

2012年05月19日 | 介護日記
こんにちは御座います  マントで~す 



文章を書き込むのが苦手な私

それと昔のことなんて私も忘れ掛けているのに

婆ちゃんに記憶を思い出してというのも無理な話しですよね

でも何かを残してあげたら また後で読み返すことが出来ます 頑張るね





えっ~と私が生まれた頃からですね!

私は昭和29年に生まれました

婆ちゃんの田舎は海と山・畑があるので食糧難の時代でも

食べ物に事欠くことは無かったそうです

相変わらず口煩い父 結婚して分ったことは酒癖も悪かった


そうしているうちに私が1歳過ぎても歩かないから心配した婆ちゃん

今みたいに赤ちゃん検診がない時代

私を籠に入れて畑仕事をしていたから そこまで気付かなかったと思う!

可笑しいと思って病院へ連れて行き診察したら股関節脱臼と判明。。

骨も成長している状態になっていて治療は長くなるみたい・・

子供ながらギブスをつけた私 重いのに良く歩いていたと

何ヶ月間は入院した記憶があって 

そのあと婆ちゃんは私をおんぶして病院通いしていた



昭和34年 皇太子殿下ご成婚


それから 小学校低学年頃に父の実家から離れ隣町に引越しました

そこで豆腐屋をしていたけど何故かお店をたたんでしまったのです(父の影響かも?)



それで家族は関西へ行く事になりました

大阪へ行っても これといった仕事が無いから

誰でも雇って貰えた建築の仕事をしだしたと思います?

家族の半場生活(プレハブの建物)が始まります

母は職人さん達の食事を作る炊事婦として働き私達はそこから学校へ行くのです

一つの現場が終ると次の現場へと行く生活で

学校も その度に転校したりして ほんと嫌でしたね



昭和38年 ケネディ米大統領暗殺

昭和39年 東京オリンピック開催



兄達も父と同じ仕事をしだし大阪・名古屋・京都と各地を転々としていました

この時に弟が生まれ 私も転校する辛さを味わい良い思い出なんかなく
 
弟だけは嫌な思いをさせたくないので家を買う思いを両親に伝えました



それと関西に行ってからも父の酒癖は悪く

飲むと人が変わって近隣に迷惑をかけちゃ口煩くてシツコイのです

酒を飲みだすと怖いし相手にすると口喧しくなるので

婆ちゃんと一緒に公園に逃げて 父が寝静まったころ帰宅するのです

警察のご厄介もあったりして 一時 離婚を考えていた婆ちゃんなのです


父との楽しい思い出なんか一つもあれへん

“早死にしてくれ”と心でぼやくほど父を憎んでいた

家族にとって あまり思い出したくない時代・・



『婆ちゃんが歩んだ人生』を書く事で認知症になった原因が分るかも






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婆ちゃんが歩んだ人生!

2012年05月18日 | 介護日記
おはよう御座います  マントで~す 



昨日に更新した記事タイトルがブログ村の方で

間違って投稿してしまい申し訳ございません

公開しない方にしていたつもりなのに私気が付きませんでした

タイトルの『父ちゃんおめでとう!』とは

16日が父ちゃん69歳の誕生日だったのです

それを書こうと思っていたのに婆ちゃんの記事に変更してしまいました

父ちゃんの事を書くような出来事はそんなにありませんので

ただ・・毎日 家庭を守って頂き『ありがとう!』の感謝の言葉です





さて・・何を書いていこうか毎日考えている私

現在の記憶が薄れて行く婆ちゃん

だったら過去の記憶でしたら一部鮮明に覚えているので

婆ちゃんの人生を聞いて書き留めることにしました





婆ちゃんが生まれたのは大正14年○月○日 

愛媛県愛南町(旧南宇和郡)で次女として産声をあげました


大正時代といえば 大正12年9月に関東大震災が突発していて

婆ちゃんが生まれた その2年後には大正天皇が崩御し

昭和元年12月に昭和と改元したのです





その後 前方の景色は海・後ろは段々畑という環境で

婆ちゃんはスクスク育ったのでしょうね!

尋常小学校に入学し 女学校を卒業した婆ちゃん

働く為に岡山の紡績工場で働いたり 缶詰工場で働いたりしていました


昭和16年12月に太平洋戦争・大東亜戦争が開戦され


昭和18年4月連合艦隊司令長官 山本五十六がブーゲンビル島上空で戦死・・


多分その頃に父と結婚する為に愛媛へ戻ったのでしょう?

父も同じ村で生まれ育っているので どんな男性かは知っていたそうです

その頃 婆ちゃんには想いを寄せた人が居ましたが病弱な方だったので

両親から反対されたみたいです

父の家は網元であり 姉妹ばかりの中ひとり息子で育ったもんだから

我がままやし口が煩い人だったみたい・・

そんな人と何故 結婚したのか? 私には理解出来ません

しかし昔の人は一度も合ったことのない人や

写真だけの人などと結婚したと聞いています

婆ちゃんも両親の言う事には逆らえなかったのでしょうね



それから結婚して義父・義母そして父の姉妹との生活が始まりました

ただ婆ちゃんに嫌な記憶を聞くのも酷なので それ以上の話しは聞けなかったです

でも義母は優しい人だったけど 義父は口が煩かったと・・(似た者の親子)





そして昭和20年8月15日 日本無条件降伏のラジオを聞いた婆ちゃん

愛媛上空をB21の飛行機が通る度に防空壕へ非難していたから

戦争が終って喜んだかはその当時に生きて経験した人の気持を聞かないと分りません?

婆ちゃんは如何だったんだろうね


そして戦争が終った後 長男が産まれ次男(後に病気で死去)も生まれ

昭和25年三男・27年に四男 そのあと私が生まれます

生めよ増やせよの時代だったから大家族の家庭が多かったそうです

現在みたいに豊かじゃない時代を生きて来た婆ちゃん生活が大変だったろうね・・


そして・・

これからが婆ちゃんの波乱万丈の人生が始まってくるのです


この続きはまた

 




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紙おむつも良し悪し!

2012年05月17日 | 介護日記
こんばんはで御座ります  マントで~す 



今日は27℃ぐらいの気温になって めちゃ暑~かったです

朝デイケアへ行った婆ちゃん

段々暑くなると夏服に衣替えしようか悩んでいます

婆ちゃんは服を自分で選んで着ないから

私がタンスから服やズボンを選んで婆ちゃんに渡しそれを着ているのです

現在着ている物は半袖下着・長袖ポロシャツ・上着・薄てのパッチとズボン

私から見ると とても暑い感じがするんですけど

婆ちゃんに聞くと『丁度いい~』と言っていますのよ!

でも今日なんかデイケアで入浴していたり

気温が上昇していたもんだから戻って来たときには上着を脱いでいましたね


この頃の天候が めちゃ不安定でもし薄着にしてしまうと風邪を引いてしまいます

お年寄り(婆ちゃん)の服装に ほんま気を使っちゃう私なので~す





それから○○ちは健康のバロメーターと云いますが?

前なんか毎日下剤を飲ましても5日はウンともなかったのに

この頃なんかは下剤を飲んだら2日後に出たりしています

食生活はそんなに変化していないけど

私意といえば朝食に野菜サラダと牛乳を毎日出していることぐらいかなぁ~?

溜めるより出す方が身体にとっていい事であるし

これからも持続していこうと思っています


それと・・紙おむつの方も毎朝確認しております

尿が滲みこんでいたり汚れていたりすると婆ちゃん素直に穿き替えさせてくれるけど


その前に婆ちゃん『パンツ汚れていない・・』と言って少しごてています

やはり婆ちゃんも女性ですので恥ずかしさが出ちゃうのでしょうね



でも・・

昼間トイレへ行ったりするし

夜中もトイレへ行ったりしているのに いつ尿失禁しているのでしょう

多分 夜中にトイレへ行くけど間に合わず失禁していると思うけど・・


しかし 紙おむつは尿が出ても濡れた感触が無いから

出ているか?出ていないか? の判別が分ってない婆ちゃんだと思います

紙おむつをしだすと ほんと家族は手間が掛からないから助かる!

赤ちゃんは1歳過ぎると紙おむつを外す訓練をしているが

婆ちゃん自身は ズ~と紙おむつから卒業出来なくなる

婆ちゃんの気持を考えると チョッピリ落ち込んでしまう私なのです






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