さて、農業での収入特に米穀ではどうでしょうか、前に投稿したように散々たるものです。これは国の農業政策の誤りと、食文化の変化のためではないでしょうか。国は農業を大切に思い農業の振興を真剣にやってきたでしょうか。どんどんお金に物を言わせて世界中のありとあらゆる食料を輸入しています。このことが日本の農業を脆弱なものにしてしまったと思っています。農家が百姓で食っていけなくなってしまったのです。考えてもみてください、戦後から今までサラリーマンの給料は概ね右肩上がりで増えてきたのです。それに伴い、物価も上昇を続け世界で有数の物価の高い国になりました。なのに物価の上昇に反し米価は値下がりの一途をたどりました。国の農業政策がよくなっかたのです。政府はそんな状況を見ていて、十分かつ有効な農業支援をしてくれたでしょうか?それに対して半期を翻さなっかた百姓も良くなかったのではあります。るるの状況で収入も無く生活も出来なくなってしまったので農地を処分しようとすると前回のように農地法が眼前に立ちはだかり、阻止するのです。江戸の昔から「百姓は、生かさず殺さず」なんだな~と!日本政府は、農業大切を口では言いますが、本心は農業は日本にはいらないと思っているのです。
小生に農地の賃貸を依頼した人物は、年齢も60位になりますがひどいリュウマチで歩く事もママならない状況です。そんな様態ですので仕事も出来ず、何とか小生の依頼を受けた土地を貸して生活費の足しにしたいのです前回投稿したように、農地としてしか賃貸できないとすると、皆さん300坪で賃貸料は幾らになると思いますか?・・・・・・・・なんと年間約1万円です。これで生活の足しになりますか?農地でなく賃貸すると場所にも寄りますが小生が依頼された土地で300坪で月額6万円、年額72万円です。これならなんとかなると思えるでしょう!でも農進地域なので農地以外には使用できないのだそうです。こんなに困っていてもダメなんだそうです。そこで、本人は体の状況が先に述べたようでしかも、農地のあるところから60kmも離れたところに住み、子供たちももうこの地には帰ってこないし、百姓もしないと言っているので、もう百姓は辞めるといっているので、農地ではなく他の地目に変更して農地では無いものにしたいと申し出ましたが、農進地区なのでそれは出来無い、誰か農業をする人を探して、あくまで農地として貸してくださいとの返答でしたすると結局上記のような事になってしまいます。自分の土地なのに可笑しいでしょう!自分が困っていて生活もママならないのだから自分に有益になるようにしたいと思うのが当たり前です。でも農地法の縛りがあり出来ません。自分の土地なのに都会の人たちには到底考えられない事ではないでしょうか!続く・・
小生、百姓をしております。百姓の他に不動産業もしています。そんな関係である人に土地の賃貸の(それも農地の)斡旋を依頼されました。そこでいろいろ調査を致しましたが、自分で百姓をしていて知らないのが可笑しいのかも知れませんが、ビックリした事があり投稿しました。農地とはいえ自分の土地です!ある程度の制約は有るにせよ、自分の自由になると思うでしょう?市街化区域の土地は現にそうですから。でもそうではないのです!特に農進地域(農業を積極的に進める地域)では、農業以外に売る事も貸す事も出来ないのです。皆さん、農業を積極的に進める地域なんだから当たり前なんじゃないと思うでしょう。でも農地を売買する場合、農業で土地を必要だから買うとなると幾ら位だと思いますか?300坪で50万円から100万円くらいだと思います。方や都会では坪80万だ50万だでしょう。不公平だと思いませんか?そこに持ってきて面積を測るので測量をす
ると、費用が50万円掛かります。どう思います!可笑しいでしょう!測量費用を払いために大切な先祖伝来の土地を売るのではないのです?生活のために大切な土地を処分するのに続く・・・
ると、費用が50万円掛かります。どう思います!可笑しいでしょう!測量費用を払いために大切な先祖伝来の土地を売るのではないのです?生活のために大切な土地を処分するのに続く・・・
夕方になりふと夕焼け空を見上げると、変な飛び方をしている生き物の姿を見かけます。鳥とも違うし、まして昆虫とは全く違います。なんだろうとよくよく考えてみるにコウモリではないかと思うのです。気が付かなかったのかも知れませんが、小生の子供の頃には、つゆぞ見かけた記憶がありません。小生が東京に下宿していた学生の頃、赤羽根にはコウモリがいるらしいという噂が立ちビックリしたことがあります。何せ田舎物ですから、コウモリという生き物山奥のそれも洞窟にしか居ないものと思っていたのに、大都会の東京に生息していると聞いたのですから、今にして思えば驚くのも致し方ないかな~。そんなビックリした生き物が小生の生まれ故郷でも見られる事となりました。これも都市化の一端でしょうか?
私一週間ほど前になるでしょうか、とあるところで招き猫を購入しました。妻と何気なく神社でお払いしてもらおうか?と話をしました。それで結局地元の須賀神社で御祓いをしてもらう事となったのです。いそいそと須賀神社に向かい、社務所の受付で「招き猫のお払いをしたいのですが」と発すると、受付の巫女、神主からなんともいえない含み笑いがこぼれました。同時に家内安全・商売繁盛も祈願してもらい事となりました。暫く待ち本殿に通され早速御霊入れの祝詞が高らかに発せられました。その神主の前には私の買った招き猫が厳かに置いて有ります。確かに招き猫の前で神妙に儀式をする神主の姿はなんとなく滑稽にも映ります。そして私と妻が招く猫の前に進み、榊を供え「二礼二拍手一礼」の作法に則り、家内安全・商売繁盛の祈願致しました。これにて「招き猫」の御霊入れは無事終了いたしました。自分でやっていてもなんだか笑みがこぼれて来てしまいました。受付でのあの笑が実感として伝わってきた瞬間でした。今は然るべきところににお飾りしていますが、何かに付けて招き猫の前で合掌している次第です。何しろ御霊入れした特別な「招き猫」ですから!
いや~今日は朝から西風が吹いて寒かったな~!「ぶるぶもん」でしたよ。今もゴーゴー吹いてます!こんな寒い夜は、きゅ~と熱燗をやるか、焼酎のお湯割でしょう!やっぱり体の中から暖めないと。特に小生のような酒好きはネ!そんなご同輩も沢山いるでしょいや~嬉しいなみんなと一緒に一杯やってると思うと。因みにお湯割には小生の梅干最高ですよ!私は当然そう言いますが、梅干しを買ってくれた友人が皆声を揃えてそう言うんです!みんな小生と同様酒好きなんだな~!ではまた
昨日何日か前にお知らせいたしました、RADIO BERRYの収録をいたしました。事前に話すことをある程度用意しておきましたが、いざ本番となると思ったように話せず難しいな~とおもいました。何でだろうと後で考えたところ、ど~も話す相手の顔や表情が見えないからじゃないかな~と思います。話が一段落するまで相槌も入れてくれませんし、その間相手の表情を伺う事も出来ないので、自分で話していてだんだん不安になってくるのです。こんなしゃべり方でいいのかな~?とか、この内容はど~かなとか。この体験から、ラジオ局のDJの人たちはすごいな~と感心しました。ま~何はともあれ終わりました。後はオンエアーを待つのみです。
7日に中学校の文化祭の慰労会がありました。ちょうど文科省に有る学校の生徒から自殺予告の手紙が届いて大騒ぎになっている頃に行われました。そんな事があり学校関係者の出席はかんばしくありませんでした。それはそれとして会合自体は大変な盛り上がりようでした。そんな中、校長先生と話をする機会があり、「尊敬があってはじめて人は人から何かを学ぼうとするんです。今の子供たちは先生を尊敬していないじゃないかな~」というと「ここに出席している先生たちもダメなのがいっいる」と校長の返事、だから「先生が子供たちから尊敬される様に、周りの人たちが盛り上げていってやらなくちゃだねなんじゃ~ないの?今は親たちもそうだけど粗を見つけては攻め立てて引きずる下ろすことにねっしんだからな~、それじゃ~子供たちが先生を尊敬することなんか出来ないでしょう」すると校長に手を握られました。先生だって人間です「人は無くて七癖」といいます。誰だって叩けば一つや二つホコリは出るでしょう。出たホコリがあんまりデカイんじゃしょうがないけど、小さいものならふっ~と息でも吹きかけて吹き飛ばしちゃえばいいんじゃないかな~。皆して尊敬できる先生を作りましょう
今日は実にめで鯛!娘が受験した大学から合格通知が来たのです。いや~めでたい!自分は女子大の事は解らないのですが、女房の話によれば歴史のあるいい大学とのことでした。高校は全くの受験校ではないので、大学はどうなる事かと思いましたが、本人ががんばったのでしょう学校推薦を貰う事が出来、めでたく合格の運びとなったのです。今日は正に鯛でお祝いです!
小生の子供は二人です。来春上は大学生、下は高校生となります。下の子は早上がりなので、どうしても周りのクラスメイトより成長がワンテンポからツーテンポ遅れます。小学校のときはまだ小さいのでしょうがないかなと思っていましたが、中学校になっても同じでした。なかなか皆においつけないな~と思っていました。中学三年になってやっと思春期を迎えたようです。ついこの間、小生の母が息子の母親と(小生の妻)との会話を漏らしてくれました。息子「あれ居る!?」、妻「家にあれなんて居ない、あれって誰だ?」息子「ジャ~、四十歳後半の男」妻「お父さんか?」息子「そう」という一連の会話を聞いて、やっと息子も思春期真っ只中にいるな~と、何とは無く嬉しくなってつい笑ってしまいました。男の子供は誰でも同じだと思いますが、この時期になると「お父さん」がなんとなく気恥ずかしくていえないものです。小生自信のことを思い返してもそうだったな~!