ご存じのように、文学、映画にたばこは縁が深い。ことに映画は時として役者のせりふやナレーション、ライトの加減以上の表現力を帯びることがある。例えば、イタリアのビスコンティ監督の作品のごときは、紫煙くゆるシーンを全部カットしたら、ほとんど意味を失うどころか、フィルムがどれくらい残るか。ハリウッドも中国、韓国、日本映画もしかりである。人の心のひだ、喜怒哀楽の機微、その陰影を映して、下手な役者よりよほど多情、多感な名優だと私は思う。
三島由紀夫は敗戦の翌年、短編「煙草(たばこ)」で文壇に注目された。<明(あく)る日、学校へ出て見ると、私は今までとちがった目で凡(すべ)てを見ているような気がした。何が齎(もたら)した変化であろう。どうもあの一本の煙草しか私には思い当らない。上級生の仲間入りをして女の話をしている運動家の同級生たちへの私の日頃(ひごろ)の軽蔑(けいべつ)が負け惜しみに過(すぎ)なかったことがわかって来た>(原文旧仮名遣い、新潮社の全集より)。少年から青年へと転じる時期の一本のたばこ。喫煙者にはそれぞれの記憶や風景がある。
私がたばこの香りに引き起こされる記憶は懐かしいものだ。両親共働きで独り留守番していたが、休日は父が家にいてたばこの香りがしたからである。家に家族がいることは幼い子の安らぎだ。貧しく、父は「いこい」であったか、ハサミで切って短くし、黙って片ひざを立て吸っていた。
(記者の目:たばこ1箱1000円が勢いを増す中=玉木研二 毎日新聞 2008年6月25日より抜粋)
嫌煙家の小父さんが愛煙家の肩を持つのもこの玉木氏の考え方に似ている。そしてヘビースモーカーだった1900年生まれの親父のせいかも知れない。親父は写真の「いこい」を吹かしていた。小学生の小父さんは、taspo なんて言わない時代、お使いでたばこ店によく行った。親孝行なんてそれくらいしか、やっていないんじゃないかな。酒をいっさい飲まなかった親父はパイプの先に「いこい」をつけて、本を横に、独り囲碁を打っていた。
戦地から帰り、小父さんを作り180度変わった価値観の中でたばこと囲碁は、親父をどれだけ救ったことだろう。親父に一歳上の仲のいい兄貴がいたが、この伯父貴がまたたばこにずっと火を点けていた。伯父貴は、親父より裕福だったんだろう。灰皿を覗くと、4分の1くらい吹かしていないたばこが、折れ曲がって山になっていた。民間人である伯父貴は、たばこを嗜みながら、本をいくつも書いている。
「百害あって一利なし」なんてものじゃない。たばこの効用って間違いなくあるわけだ。先日、年長のヘビースモーカーに会って、別れ際にあわててたずねた。「たばこが1000円になったらどうしますか?」って。「1000円になっても幾らになっても止めへんわ」との答えが帰ってきた。「さあ、朝倉啓太総理大臣だったら、たばこはいくらにします?」
父はヘビースモーカーでした。
私も 若い頃に吸っていました。すっかりやめて 数年です。
煙草は本人だけでなく 回りの者にも悪いので 今は喫煙者に禁煙を呼びかける事もあります。
ところが、もらって吹かすのは平気です。そんな機会も今はほとんどないですが。
だけど、今の日本でこれだけ急激に愛煙家いじめがすすむと、彼らの居場所も確保してあげたくなるんです。
60年代にTroy Donahue と映画『Lovers Must Learn』で共演した(後、結婚)Suzanne Pleshette って解りませんか。彼女がテレビで煙草をふかしていたシーンを子供心に見とれていたものです。