小父さんが高校時代、理屈をこねていたら親父に説教されて、「華厳の滝に飛び込んだ藤村操を知ってるか?」なんて言われたものだ。前後の話は忘れたけれど、あまり話をしない父の口から出た彼の名はよく覚えている。親父さんは1900年生まれだから事件を直接には知らなかったのか!
今、たくさんの若者が命を絶つね。小中高生だったり、新入社員だったり・・・。小父さん自身の過去の記憶では死のうと思ったことはなかった気がする。めぐまれた人生だったのか?呑気だったのかな?(笑)
高知新聞 2017.05.21 08:05
旧制一高生の藤村操が日光の華厳の滝に身を投じたのは、1903(明治36)年5月22日。〈万有の真相は唯(ただ)一言にして悉(つく)す。曰(いわ)く「不可解」。我この恨みを懐(いだ)いて煩悶終(はんもんつい)に死を決するに至る〉。滝のそばの樹を削り「巌頭之感」として記した。
真理とは何であるか。人生とは何か。すべては不可解と言うに尽きる。「我国に哲学者なし、この少年に於(おい)て始めて哲学者を見る」。安芸市出身の新聞人、 黒岩涙香が「万朝報(よろずちょうほう)」にそう書いたこともあって後を追う者が続出した、と以前の高知新聞にある。
自らの境遇や将来の夢、恋愛。若い人がさまざまな問題にぶつかり、思い悩むことは今に始まったことではないだろう。思い詰めて死を選ぶ。そんな悲劇も少なくなかったかもしれない。それにしても現状は異様に映る。
厚生労働省がまとめたことしの自殺対策白書。15~39歳を五つに分けた各階層で、死因の1位が自殺だった。若年層の自殺死亡率は以前から、先進国の中でも高い。過労自殺、いじめ、広がる格差。多くの言葉が頭をよぎる。
自殺は自由意思による選択であり、個人の問題とする考え方もある。だが「それは誤解だ」と専門家は言う。ほとんどは意思とは関係なく追い詰められた末の死である、と。
だとすれば彼らを追い詰める社会の側の要因を、一つずつ取り除いていくことだ。自殺の原因をいつまでも「不可解」に負わせるわけにはいかない。
哲学者なのですね
私は青年期によく自殺を考えましたが
ここで言われる追い詰められた、、、に近いとおもいますが
この方の場合は それとは違った思いの中での行為なのですね
アメリカでの生活は日本でのそれより
ずっとつらかったですが
私が死にたくない と思い始めたのは
子供を残したくなかったからです
自分の子を他の者に取られたくない、、、とそんな気持ちでした。
波紋を呼んだのですね。。
辞世の句を刻むときの心境
いかばかりか、
恐ろしく感じます。
この方の死は
自殺ではなく、自決だと
言っておられます。
そうくくったほうが
なんとなく
すくわれますよね・・・。
・・はなこころ
ダッピィズ
どうぞよろしくお願いします。
作者は、息子です。
・・はなこころ その2
土佐国安芸郡川北村大字前島出身の小説家、思想家、作家、翻訳家、ジャーナリストの黒岩 涙香(くろいわ るいこう)という人が「この少年こそ哲学者だ!」と言ったわけです。
>私は青年期によく自殺を考えましたが
そうでしたか!
イジーさんは私なんかよりはるかにたくさんの人生を歩まれていますね。
>この方の場合は それとは違った思いの中での行為なのですね
私も深く読み込んでいませんが、リンク先を今斜め読みしたら
夏目漱石の教え子だったらしく、漱石は小説『草枕』に
「余の視るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う」という文も書いているそうです。
wikiには失恋説もあるそうですが、否定的な見方が大半ですね。
>日本でのそれよりずっとつらかったですが
イジーさんは本当にすばらしいです。
笑顔やおどけた仕草の振る舞いにはそのような年輪が刻まれているんですね。
>自分の子を他の者に取られたくない、、、とそんな気持ちでした。
いやいや、今素晴らしい人生をそうやって獲得されたのだと思います。
でも、人生はまだまだ続いていきますよね。
今、wikiで確認して初めてしったのですが17歳だというじゃないですか!
私だったら東京オリンピックに、女子バレーボールや、円谷にアベベを観ていた頃じゃーないですか。
彼のような哲学は全くありませんでしたね(笑)
wikiに出ている、失恋説だといいのに。
また、一高で英語を教えていた漱石が
>「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていた。この事件は漱石が後年、神経衰弱となった一因とも言われる。
なんて載っていますね。
はっはっは、yahoo知恵袋には
自決・・・責任をとって自殺すること。
自殺・・・自ら命を絶つこと。
自害・・・自分で自分のからだを傷つけて死ぬこと。
なんて回答がありました。
三島由紀夫には「自決」という言葉が似合いますね。
さて、藤村操の死を何と呼ぶかは難しいですね。
ただ、彼の家族は父胖は、屯田銀行頭取、弟の藤村朗は建築家で三菱地所社長、朗の妻は櫻井房記(第五高等学校第5代校長)の長女、妹の夫安倍能成は、漱石門下の哲学者で学習院院長や文部大臣を歴任、叔父の那珂通世(胖の弟)は、歴史学者とかで華麗なる一族だから、故に藤村操も賢い人だったのでしょう(笑)
頑張っておられますね。
福岡の連中、その天気予報しっているかも知れませんね。