おかげさまで義母が、集中治療室から一般病棟に移った。はじめ、生死をさまよっているように言われたが、医師はだいたいそのように表現するのだろか?5月に私が入院した時もどうも家内にはそのような表現があったようだ。
しかし、今回は義母には全く意識がなかったし、今でもあまりない。現在、食事を自分でとれないため、特に看護師さんが手薄になる夜は食事補助に出向く必要がある。なにぶんにも我が家から病院までは40km位離れているし、在来交通機関ならば電車バスを乗り継いでの1日仕事だし泊り込みもできない。今からが義母の病院通いの本当のスタートだ。
しかし、今回は義母には全く意識がなかったし、今でもあまりない。現在、食事を自分でとれないため、特に看護師さんが手薄になる夜は食事補助に出向く必要がある。なにぶんにも我が家から病院までは40km位離れているし、在来交通機関ならば電車バスを乗り継いでの1日仕事だし泊り込みもできない。今からが義母の病院通いの本当のスタートだ。
小父さんも、生死の境をさまよっておられたのですか?
その頃のブログからは、そんなこと微塵も感じられなくて
今になって驚いております。
ご家族の皆さんも、どうぞお体にお気をつけください。
でもお義母さんの場合意識がなく、ICUにいたなら、やっぱり生死をさまよっていたんでしょう…
出てこられて良かったです。
病院通いは大変ですので、健康管理には気をつけて下さいね。
有難うございます。
私の入院時は、自覚症状は何もなかったのですが、家族の態度から軽い症状ではないことを想像していました。それで腹をくくってどんな治療でも受けようという知らない強みでのぞんでおりました。
えいみさんへ
入院や加療に関しては、最悪の状態が想定されるようですね。義母の場合は危ない状態でした。私の入院時は、家内がやせてくたくたに参っていました。
病院通いは長い時間を考えて取り組むつもりです。
お気遣いありがとうございます。
ひとつお気持ちは軽くなられたでしょうか?
これからまだまだ看護が続きそうですが、奥様も小父さんもお体 壊さないようになさってくださいね。家族が倒れては大変です。病院側にまかせることもなさってください。
小父さんも生死をさまようほどの病気になられていたんですね。私は病気らしきことをした事もなくこの年齢になっています。先週のフルーがもしかしたら私の1生で一番苦しい病気だったかも、、。
そんな程度なんですよ。
そのせいか病人の苦しみを知りません。
看護の仕事をしていたときも 病気に苦しむ人の辛さが分からなくて なやみました。
お義母さんの手を撫でながら、話をしてあげてください。意識のない患者さんがそれである日、指を動かしたり 話していることに反応をしめしたりした事があります。
お義母さんちゃんと聞いておられますよ。
よくなられること お祈りしていますね。
83歳の義母ですのでどんなことが起っても不思議では
ないのですが、義母が少しでも楽になるようにするの
が子供たちの努めだと思っています。
Ba-Chamaもいろんな体験をお持ちなのですね。私は両親を亡くしていますが、看護の経験がありません。
精々皆がばててしまわないように頑張っていこうと
思っています。
私の場合は、自分の体調がどんどんよくなっていったのでのん気に構えておりました。