連れ合いの多重人格には、今まで泣かされてきた部分、腹立たしい思いをしてきた部分が多く、単身赴任中に立てたカテゴリーだが、函館に戻ってからはそばにいてあまりに生々しいので、多重人格のことは触れずにきた。
けれど、最近よく見ていたら、彼女にプラスに働いていることもあるように思えてきた。それにほかにも多重人格の人と付き合って、クルクル目まぐるしく変わる態度に困っている人の一助になるかもしれないと思い、差し障りない程度に書こうと思い直した。
最近NPO(取得予定)の活動に忙しいカスミさん、昨日も夜遅くに息絶え絶え半分モウロウ状態でどんより暗く戻ってきて、翌日も朝早く出るというから、(これは明日も朝からご機嫌が悪いのだろうなあ)と思っていたら、翌朝はいつもに増してハイテンション饒舌なので、(あ!これは昨夜とは違う人だな!)と思い、「昨日は死にそうなくらい疲れていて、今日は大丈夫かなあと思っていたら、今日は昨日とは違う人でお出ましだね。カスミさんの多重人格は、まるでアンパンマンの顔を変えるのみたいだね~。」と感心して言うと、本人大笑いで、「どうりで体だけ疲れるわけだ!」だって。
そのあと二人で「アンパンマン!新しい顔よ!」タタララリララ~とアンパンマンの真似に興じたのでありました。
先日のNHK Eテレの『性暴力被害第3段-家族からの性暴力』を見ていて思ったのだけれど、性被害を受けた人の多くが、うつ病になったり、被害を誰にも打ち明けられずに、生きづらさを かかえて生きている。
番組を見て、改めてわが連れ合いカスミさんのことを考えてみると、うつ病だし、多重人格で約束したことも「知らないよ。」なんて言って、まわりをあわてさせたりするけれど、もしカスミさんが多重人格でなかったら、いつも性虐待の幻影に怯えていなければいなかっただろうし、「多重人格」は、一つの「生き方」として、彼女を守ってきたのじゃないかと、思えた。
様々な虐待を受けてきたけれど、いつも人のために自分の損得を勘定に入れずに生きてきたカスミさん。
よくもここまで快復の階段をのぼってきたよね。
これからも、自分を勘定に入れず、活躍してください。
私も娘ほどではないけれど、だいぶ慣れてきたよ、多重人格。
誕生日おめでとう。カスミさん。
お引っ越しの片付けもそこそこに、かすみさん、今日は「わ・た・げ」のライブ。
ミュージックサインのオッチ~も付き、ボーカルのタッカさんを支えてすてきな調べをこしらえていた。
実は、タッカさんとかすみさん、盲目の写真家大平さんが立ち上げた「ふらっとほーむ」という事務所を二人で切り盛りしていて、昨日までの金土に開かれていた「中島廉売横丁」にもお店を出店。土曜日には事務所開きもあり、大忙しなのにまたまたあえてのライブで、今朝は久々にかすみさんの多重人格さんフルメンバー総出演して「着る服がない!」「さっき使ったファンデーションがない!」と泣くやら叫ぶやら怒るやらですごかった。
けど、私もだいぶやり過ごし方を会得してきて、テキトーにチャチャを入れつつ、やり過ごし、夜もちゃんと"保護者"としてライブに足を運んだ。
タッカさんの透き通った歌声は、シバレル函館の夜空に愛と切なさを染み込ませていくようだった。
みなさんお疲れ様でした。
きのう連れ合いのkasumiさんが出演するわたげ出演のライブがあった。
だいぶ前に「来てね。」と連れ合いからチケットを渡されていたのだが、すっかり忘れていたし、前日もミュージックサインわたげのお手伝いもしたし、たまにのんびりしたいしで、あまり行く気がしなかった。
それで、連れ合いに「行きたくない」と伝えるとまるでパニックみたいになって、「来て!」、「いや、行かない!!」の押し問答が始まった。
娘も間に入ってくれて、1時間以上も押し問答した挙げ句、連れ合いは大泣きし始めた。家族には「まるでアスペルガー障がいの人みたい」と言われるほど、いつも冷静沈着、理路整然、情に流されないたちのワタクシとしては、冷静な議論をハカイする”大泣き”なんて行為でますます頑なになり、「行くもんか!」と思った。
しかし、そのあとのkasumiの叫びを聞いて、やっと理解した。
「いっつもそうだ! 私がピアノを習ってた時の発表会だって、ママは来てくれなかった。『苫小牧まで列車で行くから』ってママが言うから私はずっと駅でママを待っていたのに、ママは来なかった。駅で泣いていたら、近所の人が見とがめて、苫小牧に向かうトラックを停めてくれて、乗せてもらって行ったこともあった。いつも、いつも、いじわるされた。いつも私の”発表会”には誰も来てくれないんだあ!!」
そこまで聞いて、にぶい私もやっと理解した。
私には、ただの「live」だったが、kasumiには52歳にして訪れたやっと家族に聴いてもらえる”発表会”だったのだ。
kasumiの叫びを聞きながら、私も娘のまーさんも大笑いして泣いていた。「わかった、わかった。それは行かなきゃ! だって”発表会”なんだから!」
そうして、あうん堂に出かけた。函館の老舗音楽スタジオ。函館にはかれこれ37年暮らしている私だが、初めて入った、あうん堂。中央にはベージュのピアノとマイク。
kasumiさんの詞に相棒のタッカさんが曲をつけてくれた歌が数曲。心ゆくまで堪能した。
ほかのアーティストさんの歌声はもちろんステキだったが、私はkasumiさんの歌声を聞いて、幼き日の彼女に想いを馳せていた。
「小さいころのことをまだ根に持って。。。」と思う方もいるだろう。
しかし、私は思うのだ。
kasumiの場合は、インナーチャイルドを大切に生活していたり、多重人格だったりするから、小さい頃のことにこだわりがあるとわかるが、意外と自分でも原因がわからずにイライラしたり人に当たったりしている人も実は多いのではないかと。
いくつになろうが、小さいころの傷つきを癒し続けるkasumiさん、実はすごいことをしているのかもしれない。
身体的虐待・ネグレクト・性虐待・精神的虐待。
kasumiさんのすごいとこは、それだけひどいことをされて生きてきたのに、
まわりに毒をはかないとこ
毒を薬に変えて 配っているところ
やはり、不適切に育てられてきた人は、まわりをコントロールしたいという欲求が極端に強かったり、嫉妬やねたみも強かったりと、たいへんなことが多いのだけれど、kasumiさんはいろいろありつつも、他人のことを第一に考えて行動しておられる。
そこがすてきなところです。
家族には いろいろあるけど。。。ねっ
父親からは身体的虐待・性虐待、母親からはネグレクト
両方から心理的虐待
と
様々な虐待を受けて育って
多重人格やうつ病やらをかかえて
家族にも「ゲロゲロ~~」と言われるようなことを時々しでかしつつも
ミュージックサインや障がい者と共に生きる地域づくりにがんばる
kasumiさん
今日は、誕生日。
51?
まあ、これからもマイペースに生きてね。
右がkasumiさん。
左は作家のかっこちゃんこと、山元加津子さん。
山元加津子さんは、『本当のことだから』、『魔女モナの物語』、『好き好き大好きの魔法』
などの著書がある方です。障がい者と共に生きるいい本です。
写真は山元加津子さんを追ったドキュメント映画『1/4の奇跡~本当のことだから~』
の静岡での上映にミュージックサインをつけたときのもの。
kasumiさん、「細い!」とか「やせてる!」と言われるのが
とってもいやなんだって。
まあ、いい顔してんじゃない。

新聞はとっていないので、外出したとき買ってくる。
何気なくテレビ欄を見ていたら、
フジテレビ系(北海道はUHB)で21時より
『サイエンスミステリー2011
~人体の秘密SP 見えざる禁断の世界』
という番組があり、その中の話題のひとつに、
上記のタイトルを見つけた。
娘にもさっそく連絡、「どんなんだろうね。」と
話し合った。
興味本位とか、お涙ちょうだいとかではなく
我が家やkasumiのように
本当に困っている人たちと家族のちからになる
すてきな番組だと
いいのだけれど。。。。
とりあえず、見てみよう。
だけど
『禁断の。。。』っていうタイトルが
すでに『興味本位です!』って
名乗っているねえ。
『禁断の』
いやな響き。
正月休み、痴呆になりかけの親戚を見舞い、家に帰ってストーブの前で呆然としているkasumiさんを見たら、(この人はこれでいいんだなあ)と思った。
いろいろな虐待をくぐりぬけ、それでも外へ出てはボランティアだなんだと大活躍。一方家ではなにもせず、経済観念はなく、娘の学校からの返金も黙って使ってしまい、娘とオットには「穴のあいたサイフに金を入れているみたいだ」と揶揄され、娘の進路の話をしていたら、副人格まで出てきて、(自分はこんなに言うことを聴いてもらえなかったから。)と、主、人格に混じって娘に手を挙げ。ほんと、どうしようもないヤツでどうしようもない母だけれど、それでいいんだと思った。
ごはんをつくれ、つくれと言っていたけれど、うつ病で食欲もわかない人間はごはんなんかあまり食べたいとも思わないだろうし、作れなくても仕方ないことなのかもしれない。
そして半分、もうボケているのかもしれないけれど、それも含めて、まあいいかと思う。
岡本太郎とか水木しげる大先生とか、その道一筋、他はなにもしない人はほかにもいっぱいいるかもしれない。kasumiよ、したいことだけやって生きろ。ただし金はほどほどに。
kasumiさん、娘にだけはくれぐれも手加減を。それでなければ、娘は母に殺意をいだいてしまうよ。娘を殺人犯にはしないようにね。
ケアテイカープラス世話人の娘さんには、お世話になりっぱなしです。。。
年末のある日、kasumiの老父の住む街まででかけた。
kasumiと父は、6年ほど会っていなかった。
5年前、kasumiが父に電話で、「なぜ、私にあんなことをしたの?」と性虐待のことを切り出して以来、kasumiはまったく父の所に行こうとせず、義父もまた「あいつは、あんなことを言って、あたまがどうかしてしまったんだろう」などとうそぶいていた。
性虐待を受けた方のセラピーを多く手がける、エンパワメントセンター主宰の森田ゆりさんに何度か話をうかがったが、性虐待の加害者に、性虐待の事実を突きつけたとき、ほとんどの加害者が強く否定するそうだ。kasumiの件でも、森田ゆりさんは、「相手はたぶんしらを切ると思う。なにかを期待してはダメよ。」と言っていた。
確かに、義父はその通りの反応を示した。
【自分の知り合いの女性に、”尻軽”な人がいて、その人は若いころに性の被害にあったからそうなったんだという話を聞いたことがある。だけど、その人の加害者が父親なのか、先生なのか、本人の精神的な問題もあるし、記憶が確かかどうかわからないだろう。】義父は、kasumiから性虐待を切り出されたあとで、私が訪れた際、そんな知識まで持ち出して無実論を展開していた。
その後、義父はガンになったが、様々な療法を試み、今でも一人で暮らしている。
kasumiは、その後インナーチャイルドが人格に強く出てきたこともあり、ずっと父親を恨み、「早く死ねばいい。二度と会わない。死んでも葬式には行かない。」と言っていた。
よく、「そんなふうに親を恨んではダメ。親からもらった命でしょ。」などと言う人がいるが、私もkasumiもそんな考えは、くそくらえ と思っている。
性虐待や虐待を受けてきた人間には恨む権利があるはずだ。それまで、”良識”でとりあげるべきではないだろう。恨むか、恨まないか、それは本人が決めることだ。
kasumiは、ずっと恨んできた。
けれど、「もう、いい。」って、思ったのだそうだ。「これ以上引きずられたくない」と思ったのだと言った。
娘がボランティアの大きな賞をもらったのを機に、父親に会いにでかけることにした。「大勢いてもらったほうがいい」ということで、妹ayakoにも札幌から来てもらうことにした。
当日は、大荒れの天候で、私は、運命の中のだれかも、今日のkasumiと父との再会をおもしろく思っていないのだなあと感じながら、大雪で閉鎖中の高速を下りて一般道をひたすら走っていた。
義父は、年配者がえてしてそうであるように、到着時間が過ぎるとイライラしながら待つ人だったので、ちょうど1時間30分遅れて到着したので、さぞイライラしているかと思い恐る恐る家に入ったが、家の前の道路を車を駐車しやすいように除雪して、笑顔で待っていてくれた。
娘のボランティアの賞状やメダルを目を細めてながめ、「たいしたもんだ。」「えらいねえ。」と何度も大きな声で言っていた。その言葉は、kasumiの娘に向けられたものではあったが、若き日におのが性格のゆえにほめることをしてこなかったkasumiに対しても、たしかに向けられた言葉だった。
kasumiは、以前幼い孫である娘を見せに来ていたときのように、老父にやさしく接していた。
老父は、kasumiが娘の活動を見せるために持参したポータブルDVDプレイヤーに興味を示し、「家にもDVDがあるが、見れない。これがほしい。」と言った。私が近くの電気屋で購入してきた。
kasumiは、また半分痴呆にもなりかかっている老父に、何度も丁寧に使い方を教えた。
まわりでは、妹ayakoとその子どもたちがにぎやかに走り回っていた。こういうときの子どもたちの存在はどんなにか雰囲気を和らげてくれるものだろう。
小1時間滞在し、別れを告げ、老父の家をあとにした。それは、静かでおごそかな対面だった。
車に乗ってから、kasumiは、「『おとうさん、いままでありがとう。』って言ってきたよ。」と私に告げた。
私は驚いた。
老父から万に一つも「すまなかった。」の言葉を期待しないことはなかったはずなのに、kasumiの方から、「おとうさん、ありがとう。」と告げたというのだ。
私には、まさにkasumiが聖女にうつった。彼女は、すべての恨みを飲み込み、大人として行動していた。堂々としていた。立派だった。
けれど、彼女の中のインナーチャイルドの性虐待を耐えてきた多くの人格たちは、つらかっただろうなと思った。
老父の家を出て、kasumiはもよりの駅からハコダテへ帰っていった。
私と娘は、札幌のayakoの家に向かったが、その日は本当はkasumiと一緒にいてあげたかった。
翌日、ハコダテに着くと、kasumiがもぬけの殻のようになって、ストーブの前に座り込んでいた。なぜ「ありがとう」って言ったんだろうって辛くなったと言った。確かにそうだろうと思った。
でも、kasumiさん、立派だったよ。
お疲れさま。
kasumiは、あとは父親とは会わないと決めているそうだ。