kasumi さん関連記事をしばらく非公開にしていました。
理由は、もう目を背けたくなるほどの不審感にさいなまれたから。それと、kasumiさんのことをあれこれあげつらうことに少しの戸惑いを感じたから。
ですが、そんなこととは関係なく、世の中にはやっぱり私たちのような関係性を持って、困っておられる方もまた多くおられるようで、函館 多重人格 などと検索をかけてまで調べておられるご様子。
このカテゴリーを設けた動機もそんな困っておられる方の一助になればと思ったためでもあるので、まあ、うちの事情はちょっとよけておきながらも、やっぱりこのカテゴリーは大切だなあと思い返し、公開を再開することにしました。それに、kasumiさんも、「私は別にいやじゃないよ。それより、みんな困っているんだもの公開していいよ」と言ってくれたので。
くれぐれも、興味本位で見ないでいただきたいし、あなたの周りの、「kasumi さん」、「多重人格では?」と思われる方にも、理解を示して接してもらいたいなあと思っています。
「ある話だわ。偏見がどうのこうの言っている人たちは、そのある話を白日の下に晒したくないだけなんじゃないの?」と。
実の父親から長い間性虐待にあってきたkasumiさん、父親のリコンにあたって、「お母さんのところに行きたい」と訴えたら、「お前は、お父さんといるか、施設に行くかしかないんだ。」と言われ、「じゃあ、シセツに行きたい」と訴えたら、ボコボコに殴られたそう。
そんな家庭も、家庭、と呼ばれる存在だし、児童養護施設や里親家庭にだって、いろいろな問題があります。それを、陰に隠してはいけないのだと、私はおもいます。
みんなで考えたいことです。子どもたちの環境。
私たち夫婦は、『明日、ママがいない』を作ってくれた、野島伸司さん、提供スポンサーの皆様に心から感謝しています。
先日紹介した「大活字本」で、角田光代さんの『対岸の彼女』を読んでいた。その中に、女子高でシカトやいじめにあっている、ナナコという女の子が出てくるのだけれど、その子はいじめなんか気にしないと言うのだ。ナナコは言う。「その中に、私の大切なものはなにもないもの。」と。
会社の人間関係や子どもを連れて行く公園での人間関係に疲れやすい大人の女性、小夜子はある時、はたと思う。
「人と出会うために、生まれてきたんじゃないか」と。
多重人格の連れ合い、kasumiさんは言う。「日本人て、みんな二重人格みたいなものでしょ。表と裏を、上手に使っている。 そんなのに、ショックを受ける必要はないのよ。」と。
角田光代さんとkasumiさんの言葉は、今の私にはとっても貴重でした。笑
角田光代さん、kasumiさん.ありがとう。
ブログでは、いつもいつも、変なところばかりを紹介してきたkasumiさんですが、ここ数ヶ月体調や気持ちが不安定な私を本当に一生懸命支えてくれる。
今日も職場にトボトボと向かう私を追いかけてきて、バスが来るまでいろいろと説いてくれる。
それは、「励ます」というのではなくて、「そばにいてくれる」という意味なんだと思う。
いろいろあった夫婦だけれど、いつもそばにいてくれる連れ合いと出会ったこと、しみじみ感謝しています。
ありがとね、ミーさん。
なんにももっていない自分だけれど、ミーさん、マーさん、なーたん、ayaちゃん、はっちゃん、ジンジン、テンテン…家族にはほんとに恵まれているんだなあと、改めて気づきました。
ありがとう、みんな。
朝、「反原発ライブ!」と起きて居間に行ったら、連れ合いが「…、おめでとう!」と言うので、何か当たったかなあと「なに?」と尋ねると、「今日、何日だ?」と言うので、カレンダーを見ましたが、まったく思い当たるものがなく、「なんだっけ?」と尋ねると、「結婚記念日でしょ。」
そうでした、そうでした。
28回目の結婚記念日でした。
よく我慢したもんです。お互いに。
街づくりセンターのイカール星人もするどい目で、「よくがんばってきたもんだ…」と祝福してくれました。
『大間原発大間違い!』ライブも大成功! サニーサイドアップさんやタッカさんらいろいろな方々の作りあげる音楽の世界にしばし身を浸し、新たなエネルギーをもらうことができました。
我がジャックモウズさんは、今日も「桜」を、難聴のIさんのミュージックサインで披露し、観衆を感動のうずに巻き込みました。
私は、ひと月頭の中に残っていたサニーサイドアップさんの歌をリハーサルで聞き、思わず感動で涙しました。
今更ながら歌というものの深さを知り、それを表現者としてどれだけつたえられているだろうかと自問していました。
とっても疲れたけれど、とってもよい結婚記念日の一日になりました。
最近落ち込みが続くワタクシ。
いつもは破天荒でハチャメチャな連れ合いだが、ワタクシがこんな状態になると、不思議なくらいハッキリしゃっきりしてきてワタクシを励ましてくれる。
「とーちゃんが間違っているはずないでしょ」とか「とーちゃんのいいとこは、子どもたちを大切にするとこでしょ」とか言って、ワタクシの原点を気づがせてくれる。
しみじみうれしい。
世の中には、連れ合いにまでボロクソ言われたり、家族から陰口を叩かれたりする男性が大勢いるというのに。
それらがなく、なおかつ励ましてもらえるなんて夫はめったにいない。
しみじみうれしい。
ありがとね。
きのう、娘のまー☆さんに、米と食材を買い、ゆうぱっくで発送。
食材を買っていたら、なんだかわくわくして「なんか親になったみたいだねえ。」、「いや、18年親だから。」とか連れ合いと話していた。
その後、ひさしぶりに外食。
食べていたら、連れ合いが突然、「あんた、ひどい人だねえ。」と言う。「ん?」と言うと、
「ブログ、今も私がまーさんの首を絞めているみたいじゃない。『昔のことだけれど』って書いてくれなきゃ。」と言う。「そうか~、すまんすまん。」
「だけど、にいちゃんは泣いていたよ。」と連れ合い。
にいちゃんとは、前回話題にした「べらんめえ口調の中学生の男の子」人格で、家族内では連れ合いの名前をもじって”二千恵”さんと呼んでいる人だ。
私「へぇ、二ちゃん泣いてたんだ。『よくぞわかってくれた!』って思ったのかな?」
連れ合い「いや、そこまでいかない。」
私「じゃあ、存在を認められてうれしかったんだ。」
連れ合い「そんな感じかな。。。」
しばらくして、ちょっと恥ずかしそうに「だけど、本当に『ワシがなぜ夜出てくるのかわかるのか!』って言ったの?」とおっしゃる。
「おぉ、記憶にないんだぁ。さすが多重さんだねえ。」
連れ合い曰く、部分的に記憶がある時と記憶がない時があるらしい。
どっちにしても連れ合いに言わせると「みんな含めて、『私』なんだから!」と言うことらしいので、そうしておこう。
いろいろやってくれる我が連れ合い。
先日も、夜娘と長電話していたら、違う人が出てきて、「なにが『おばさん』じゃあ、こら!」とか言い始める。
夜、私と娘が楽しく話している時に限って、人格が替わって出てくる乱暴な口調のやつ。私のことを嫌っていて私が単身赴任中に家に戻ると、私のパンツ類がほとんど捨てられていた。
「夜に限って出てくるなあ。出てこないでよ。」と私が言うと、「おまえ、ワシがなんで夜に出てくるかわかるのか!」と怒鳴られた。
「わかるよ。」とは言わなかった。
そんなに軽々しく「わかる」ようなことではないからね。でもなんとなくわかるよ。夜な夜な性虐待に怯えていた連れ合いを守ってくれていたんだろう。そして、「いつか、いつか、みていろ!」と仕返しを狙っていたに違いない。だから、夜が嫌いだし、男(それも中年以上の年齢の)が嫌いだし、自由奔放にしていられる娘に切れて首をしめようとしたりするのだろう。【現在は落ち着いています。-連れ合いの抗議により追記(笑)】
連れ合いが先日、その「夜になると出てくるべらんめぇ口調の人」は、男子中学生なのだと教えてくれた。娘に、「かあさんの多重人格の中に男の子がいるらしいね。」と言ったら、「あんたが、網走に逃げる前から知っていたよ。」と言われてしまった。
そんな連れ合いだけれど、最近いろいろがんばっているし、私もいろいろな苦労をする中で彼女の長所も見つけた。
特にすごいなあ、と思ったのは、世の多くの女性と違い、陰口やひそひそ話をしないこと。
それだけで、被害妄想気味の私にとっては、たいへん楽でありがたい人である。
世の中の多くの人が、連れ合いみたいに陰口をしない人になったら、世の中もっと過ごしやすくなるんだけれどね。