今日は、43年前、私たちが19歳の時に友人が自殺した日でした。
毎年、この日の前から、暗く沈んだり、いろいろ考え込んだり、自分の責任を思い出したりと、低空飛行になるのですが、今年は、目覚めた時に日が差していたのもあって、なんとなく明るい気持ちで起きられました。会社で日報を書く時に、「ああ、妙木(仮名)の命日だったんだ」と思い出しましたが、今年は沈まず。
それでも一日、なにかにつけては思い出し、考えていました。
コロナ禍の今みたいに、誰も経験したことがないと言われる状況の中を生きていると、若くして亡くなった友人達は、こんな不思議な体験もできなかったのだなぁと少し気の毒に思えてくる。「コロナ禍も知らず、悩みも知らず、あいつらはいいよな」なんて言うつもりは全くない。むしろ、彼らにもいろんな経験をしてほしかったと思う。
その機会を奪ってしまったなと思う。
翻って、自分の身を考えると、今が一番幸せ。
仕事が充実している。
出会う人たちに恵まれている。
たまに出くわすイヤな人も気にならない。
悩みも二つしか無い。
お金のことと、家族の中にいる変な人のこと。
でも、それもあまり気にならない。
今の仕事は、配達。
いろんなところに行けて、気に入っている。
今まで生きていて知らなかった道を見つけて通るのが最高に気分がよい。
朝、軽トラックの荷台いっぱいに積んでいた荷物が、配達していくと、一つ減り二つ減り、最後には荷台が空っぽになるのも気持ちがいい。
配達して、「ありがとう!」と言われると、「ああ、お役に立てたんだな」と嬉しくなる。
いろんなことで満たされている。
きっと、私が死んだ時には、「ああ、いろんな道を見つけて楽しかったなぁ!」って確実に言えると思う。
いろんな経験を私にさせてくれたことを、神様に感謝したい。
友人の命日に、人生を考えてみました。
お願い
このカテゴリーの一番古い記事に、友人たちの自殺とその後の私の人生のことを記しています。
もし興味、関心がありましたら、お読み頂けたら嬉しいです。