ずっと気になっていた児童相談所の一時保護所の問題がやっとマスコミが取り上げるものとなりました。
記事にもありますが、一時保護所がいやで家庭で虐待されても「一時保護所よりはマシ」と思っている子どもも間違いなくいるはず、記事の大学の先生も言っておられるようにそれは「本末転倒」。
とても悲しいことです。
好き嫌いはあるかもしれませんが、ぼくはしみじみよかったです。
今日も反芻して思い出して、なんとなく暖かい気持ちになっていましたよ。
先日来新聞をにぎわしていた道央圏の児童養護施設での性的虐待について、被害当事者が名乗り出て、その内容を語っています。
子供の仮名幸子さんは、その大人の行為をもし他の人に話してしまったら、自分も養護施設を追い出されて、生活の場所がなくなるのではないかとの恐怖から、自分からは誰にも言うことができなかったそうです。
ここでも、性的虐待の、『被害者にもかかわらず、心理的に共犯者と思い込まされる』ということが起こっています。
事件が発覚した後も、誰にも話さない方がいいなどと周りの大人から言われ、苦しい思いをしています。
幸子さんは、同じ思いをする子どもが少しでも減ることを願って北海道新聞に名乗り出て話をしてくれたそうです。
幸子さん、性的虐待を受けてそのことを話してくれる被害者は本当にごくわずかしかいません。
それは仕方のないことなのですが、そのことで加害者が野放しになっているとすれば、それは腹立たしいことだし、あってはならないことですよね。
それに、加害者は、一時の欲望でやったことで幸子さんがそれほどまでに傷ついて、どれだけの長い間精神的な影響を受けるかなんて考えもしないで生活しているのです。
だから、幸子さん、あなたが今回名乗り出て話をしてくれたことは、とっても大切なことなんです。
幸子さん、たくさんのことを教えてくれてありがとう。これからの人生、自分の手に取り戻して、いろいろなすてきなものを見て生きてください。
今日の朝にネットのニュースで知って、蔦屋に買いにきました。
私は思うのだけれど、辛い思いをした人は、その心の中のヘドロを吐く方がよい。
お店で少しだけ読んだけど、買ってよかったって思ったよ。
鳥居さんの思いが、昇華して、多くの人の傷を癒すことができますように。
「恐怖に凍てつく叫び―トラウマが子どもに与える影響」の中で、レノア テアは、ペドフィルと呼ばれる、性的嗜好として子どもに近づく大人が、"意外にも"子どもを対象とする職場、保育所や学校や施設などに多くいることに警鐘を鳴らしている。
昨年も、学校に子どもの安全を守る方法を指導していたNPOの男が強制わいせつで逮捕された。
今回は、児童相談所の非常勤職員が強制わいせつで逮捕されるに至った。
虐待を受けた子どもや児童相談所に関わりを持つ課題を抱えた子どもたちに必要とされている愛情や必要な支援を与えるということとは対極にある事件だが、子どもを餌食にしてやろうと思っている大人にとっては、児童相談所に関わりのある子どもたちは、『非常に好都合』なのだ。それは下記のような理由による。
子どもが、親や保護的な大人から虐待されていたり、半目し合っていたりして、大人にわいせつ行為を言いつける可能性があまりないこと。子ども自身も虐待などにさらされる中で、自分に守られる価値はないのではないかと思っていて、理不尽なわいせつ行為をされても、自分の身を守ったり、抵抗する気持ちになれないこと。
また、家庭などで性的な虐待にあっている場合はさらに性化行動の影響もあり大人がそうした行為に及ぶことは、『仕方のないこと』と捉えて不思議にも思えなかったりする場合もあること。
今回の事件は、もちろん大変残念なことだ。
『しかし』と、思う。
これまでに、明るみに出てこなかった事例が、何百とあったとしたら、今回、事件として明るみになり、大人の側も、そのような子どもを不当に利用しようとする卑劣な大人も子どもたちのそばにいるのだと、自覚されるようになるのだとしたら、今回の事件は大切な一歩となりうる。
子どもたちの安全が守られる社会に、少しでもなるように。
事件被害者へのケアが十分に行われることを祈りつつ。
日本にCAPという子どもの暴力被害防止プログラムを紹介した森田ゆりさんがまとめた、性犯罪の被害にあわれた方の手記集を以前読んだことがある。
60代を過ぎ、初めて手記として自分の外に性被害の事実を表現し、「私の中のとげが融けていく」と書かれていた方がいた。多くの方が異性との交流を拒み、独身を貫き、人目につかぬよう静かに暮らしていた。まるで、自分自身が罪を犯したように。
みな、人に言えず、この人ならと思った人に言ったところ、「犬にかまれたと思って忘れなさい」などと言われ、さらに傷ついた人など多くの人がいた。
性虐待も性暴力も、性被害は、被害者なのに白い目で見られる。「襲われるような恰好をしていたんだろう」などと、好奇の目で見られ、被害者であるにもかかわらず、”共犯”のようにされる。
多くの人が、被害にあったことを隠して、長く生きていく。
私の連れ合いが、実父からの性虐待を初めて私に告白したのは、結婚から10年以上後のこと。私が森田ゆりさんの研修を受けてきて、そのような性虐待は『たましいの殺人』というのだ、ということを知らせたのちのことだった。
先日報道されたレイプ事件も、今や被害者側の方がおもしろおかしく取り上げられている。
そんなことは許されてはいけない。
昔からこのCMが好きでした。栗山千明さんの表情もメッセージにフィットしていると思います。
ふと、思い出し、見てもらいたくなりました。
[AC CM]公共広告機構 命を大切に
性虐待被害は、『魂の殺人』と例えられる。
性虐待は、誰にも言うことができず、自分は被害者なのにも関わらず、「このことが周りに知られたら、家族はバラバラになるのだから、絶対に黙っていなければならないよ。」と性虐待加害者に言われ、いつの間にか、【共犯者】であるかのように思わせられる。そして、そのことを生涯抱えて生きていかざるをえなくさせられる。本人はあくまでも被害者であるのに。
あげく、加害者に妊娠させられ、その赤ん坊まで殺させられたら、そこだけは、正真正銘の殺人犯。
『魂の殺人』は誰にも知られることがなく、知られたとしても被害者が「誘ったから。。」などという逃げ口上を周りもすがる思いで信じ、加害者が罰せられることはあまりないのに。
今回の事件は、新生児の殺人というショッキングなところまでいき、被害者であり殺人犯となった女性が自首したことから明るみに出たが、妊娠させられ堕胎させられているケースはどれほどの数にのぼるだろう。
そして、性虐待被害者の女性は、そのことをずっと背負って生き、性虐待加害者の大人の男性は、そんなことまったく忘れて生きていく。
神様、どうか過ちを正してください。
正義を行ってください。
涙する者に平安が訪れますように。