濁川時代、私の父親はここの営林署の代表みたいな地位で、地域の名士だった。
小学4年だった私もずいぶん調子にのっていたのかもしれない。
ある時、学校で盗難事件があり、Yくんが疑われた。
Yくんは父子家庭で、貧乏で、一度家に遊びに行ったことがあったが、土間のようなところに住んでいた時期もあった。なぜかYくんは私を好いてくれ、ナキウサギを飼ったからと、見せに家に呼んでくれたこともあった。Yくんは、ナキウサギをカゴから出してくれて、じゃれて遊んだ。Yくんが、私に飲み物かなにかを用意しようと立ち上がったとき、ナキウサギがYくんの足にじゃれ、Yくんの足ともつれた。 一瞬、ナキウサギがゼンマイ仕掛けのようにクルクルと回ったかと思うと、動かなくなった。Yくんが、「あぁ、kenに見せたら死んじゃった。」と言った。ナキウサギは私がたのんで、カゴから出してもらったのだった。私も、自分が悪いことをしたように思い、Yくんにすまなく思った。
そんなナキウサギの出来事からだいぶあとに起こった盗難事件のあと、なにかの行事でグループ分けをすることになり、いつもの仲良しが集まった。一人が言った。「Yは呼ばなくていいのかい。」
私は言った。「人の物を盗むようなやつは、入れられない。」
幼い正義感からの言葉であったのかもしれないが、42年前の私の吐いたひどい発言は、いまだ私の心の中に一片のガラス片となってささっていて、時折、自分をチクチクと刺激し、私を糾してくれる。
濁川で暮らした1年と少しの生活は、私にいろいろな思い出を残してくれていて、私の人生に確かな刻印を刻んでいる。