函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

絶望を見つめること-『明日の喜多善男』

2008-03-12 | ”自殺”・虐待・ヒトの育ちを考える
喜多善男の心の中で、喜多善男をさげすみ罵倒するもう一人の自分、『ネガティブ善男』、実はミナミの暗示催眠の産物ではなく、喜多善男が現実から逃げ出すためにつくったものだった。
 これはまったくのつくりごとではない。我が家に来た里子『ミナナとミカカ』のところにも書いたように、子どもたちは誰でもつらい日々が続くと、そこから抜け出すために自分を見つめるもう一人の自分をつくりだしたり、あるいは自分自身の心が自分の身体から離れるということをする。自分を守るためにそのすべをつくるのだが、生きていく中でそのことが逆に作用し始め、自分を苦しめる。多重人格ともいえるが、私にはインナーチャイルドの叫びにも聞こえる。特別なことではなく、弱い強いは別として誰の中にもネガティブ人格がいて、自分をやっつける。

暗示催眠で喜多善男を殺そうとしたミナミが、ネガティブ善男を見つめひとつになるよう、喜多善男に勧め、喜多善男は初めて現実の絶望と向き合う。絶望と向き合うことからしか解決は始まらない。

絶望の中にいるあなたに私はかける言葉を知らない。
「一人だ」と思うのだろうし、「いいことはなにもなかった」と思うのだろう。
それは、あなたが思うのだから、止められない。
ただ、それを聞かせてほしいと思うし、誰かに知らせてほしいと思う。
もう少し生きてみてほしい。
喜多善男の『明日』は、あと1日になった。


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