東日本大震災で中央官庁は何ができ、またできなかったのか。道路、救援物資、燃料、仮設住宅、がれき処理。震災直後から被災者の生活に深くかかわる五つの課題を検証する。(肩書はすべて当時)
燃料:
目標到達にに1カ月
「2、3日後にはしっかり動き出す形にしなければいけない」。3月17日の記者会見で被災地へタンクローリー300台を追加投入すると表明した海江田万里経済産業相は、燃料不足解消のめどを問われ答えた。しかしシナリオ通りにはいかなかった。
陸路でのピストン輸送には限界があり、太平洋側の油槽所にタンカーで大量に運び込む必要に迫られていた。最も被害の少ない油槽所が宮城県・塩釜港にあった。
宮城県庁の現地対策本部にいた市村浩一郎・国土交通政務官は村井嘉浩宮城県知事から「塩釜港にタンカーを入れてほしい」との電話を受け、国交省港湾局に「海上保安庁と協力して開けてくれ」と伝えた。国交省は物資輸送の拠点として仙台港などの復旧を急いでおり、塩釜港は復旧作業の優先順位が低いことが分かった。
港湾局は海洋土木建設会社の特殊な船をかき集め、塩釜港でも海底のがれきや浮遊物をできる限り撤去した。だが、座礁の可能性は残る。「沈没でもしたら、油が大量に流出してしまう」。国交省幹部らが見守るなか、海上保安庁の船に先導され名古屋港からタンカーが接岸した。21日午前だった。
それでも供給は滞る。経産省の内部資料によると、16日時点で宮城県で一般の被災者が利用できたスタンドはわずか4カ所。被災していない店もガソリンがないため開店できなかった。県石油商業組合は緊急車両に残りわずかな燃料を回すので精いっぱいだった。
タンクローリー不足は続き、250台から増えない。29日、資源エネルギー庁資源・燃料部の加藤庸之(つねゆき)政策課長は「これ以上出すのは厳しい」という石油連盟に「それでも出してください」と求めた。4月13日、300台を超えた。同庁は近隣にスタンドのない地域にドラム缶と手動ポンプを持ち込んだ「仮設スタンド」も設置した。
燃料不足が解消し物資も届くようになると、被災者が避難所をいつ出られるかが課題となっていく。
◆仮設住宅
◇建設戸数にこだわるべきではなかった 地元任せ、増えぬ候補地
◇「みなし仮設」被災者の訴えで拡大
「分かっていると思うが、ちょっとやそっとじゃ済まない」。3月11日の地震発生からわずか15分後、国土交通省の橋本公博・住宅生産課長は受話器を握っていた。相手はプレハブ建築協会。
協会は都道府県と災害時の協定を結び、市町村ごとの必要戸数を集約した県の発注を受けて加盟各社に割り振る。橋本課長は業界の生産能力を考慮し、2週間で600戸、4週間で4300戸分の資材を出荷するよう協会に伝えた。
災害救助法で、仮設住宅の建設は自治体の業務とされている。市町村が用地を探し、県が了承して建設が始まる。国はサポートする役割だ。同法を所管するのは厚生労働省だが、「資材発注や納期など業界とのシビアなやりとりは、国交省の持つパイプなしには不可能。餅は餅屋だ」と厚労省幹部は言う。特に今回は当初から、大畠章宏国交相が積極的に旗を振った。
橋本課長は95年の阪神大震災で仮設住宅を担当し、04年の新潟県中越地震でも現地に入り用地確保の指示にあたった。霞が関では「仮設のプロ」とも呼ばれる。過去の経験で痛感したのは「霞が関と現場のギャップ」だ。東京にいて頭で考えるように現場は動けない。それを思い出し、翌12日以降に職員4人を被災3県に派遣して建設のノウハウを伝えた。
長く大災害がなく、プレハブ業界の在庫資材は乏しかった。大畠国交相は一般住宅メーカーにも協力を得ようと14日、住宅生産団体連合会の樋口武男会長(大和ハウス工業会長)に「2カ月で少なくとも3万戸程度供給できるように」と要請した。
19日。在庫をかき集め、岩手県陸前高田市の中学校グラウンドで第1号着工に踏み切る。橋本課長には「避難所の人は仮設を見ると希望が持てる」との思いがあった。
だが、そこからが進まない。住宅業界全体は長引く景気低迷で受注実績が阪神大震災時の半分程度になり、供給能力は大幅にダウン。しかも一般住宅メーカーが生産ラインを切り替え資材生産に乗り出すまでには4週間が必要だった。
国交省4階の大臣室に大畠国交相が張り出した仮設住宅建設戸数の棒グラフは、4月1日から2週間「36」で止まった。見るたびに橋本課長は胃が痛んだ。各市町村からの建設要請は増え続け、4月14日には7万2000戸まで膨れ上がる。省内には「仮設は厚労省に任せておけばよかった」とのぼやきも聞かれたが、「やらないで怒られるより、やって怒られたほうがましだ」と漏らす幹部もいた。
4月26日の衆院予算委員会。菅直人首相が「遅くともお盆のころまでには希望者全員に入っていただけるよう全力で努力したい」と表明する。省内には寝耳に水の発言。テレビ中継を見ていた橋本課長は思わず天井を仰いだ。
建設戸数がなぜ伸び悩んでいるのか。橋本課長は市町村ごとに精査するうちに、石巻市など宮城県の2市2町で用地確保の遅れが突出していることが分かった。
土地のある内陸で戸数を増やしたい県と、「海沿いから離れたくない」住民の意向を尊重する市町との間で調整がつかない。国交省は自治体任せの方針を転換する。
首相の「お盆発言」があった26日、国交省の意を受けて独立行政法人・都市再生機構(UR)から急きょ、用地選定の専門部隊が2市2町に送り込まれた。「水につかった所はだめだ」と一律に却下していても、候補地は増えない。専門部隊は浸水が軽い場所であれば建設を検討するよう県と調整し、基準を緩和していった。
◇
仮設住宅建設とは別の動きもあった。災害救助法を所管する厚労省は震災発生翌日の3月12日、法に基づき「(自治体が)民間賃貸住宅を借り上げて仮設住宅とすることもできる」と県に通知した。ところが被災地の行政はパンクしていて、借り上げは進まない。
被災者は避難所を出るめどが立たず、自分でアパートを探し始める。その動きに呼応し、自治体から国費負担を求める声が高まった。だが、自ら入居した部屋を後から仮設とみなすのは前例がない。省内では「自力で借りられる人まで救助法の対象とする必要があるのか」との慎重論も色濃かった。
そのころ、宮城県選出の愛知治郎参院議員(自民)の元に、南三陸町の被災者からファクスが届く。「急いでアパートを見つけましたが、津波ですべて失い収入がありません」。愛知議員は4月18日の参院予算委員会で取り上げ、事態は動く。4日後、厚労省は一転して「みなし仮設」と認める方針を固め、30日に都道府県に通知した。宮城県が厚労省に要望書を提出してから3週間が過ぎていた。
厚労省災害救助・救援対策室の吾郷俊樹室長は「自治体自体が被災し、借り上げまで手が回らないことが、いろいろ聞いているうちに分かってきた」と振り返る。
国に認められたことで民間賃貸への入居は進み、当初7万2000戸だった建設必要戸数は下方修正され、5月19日時点で約5万2000戸まで減った。
みなし仮設は入居期間が原則2年で月額6万円が目安。プレハブ仮設の建設費と比べ1戸当たりにかかる費用は格段に安い。しかし厚労省は今回の対応をあくまで「例外」としている。同省災害対策本部の金谷裕弘審議官は「被災地域が広く、仮設の用地探しが困難だった。次にこれほど大きくない災害があった時、同じように認めるとは限らない」という。
首相が期限とした8月15日。9割にあたる約4万7000戸が完成したものの、宮城と福島は全戸完成が9月以降にずれ込んだ。結局、みなし仮設の入居者は建設した仮設の戸数を上回った。
増産を続けた住宅業界は大量の在庫を抱えることになった。国交省は「大臣からの要請で準備したのに、どうしてくれるのか」と抗議を受け、わびるしかなかった。
国交省の橋本課長は教訓を胸に刻む。「被災者の気持ちを考えれば、建設戸数ばかりにこだわるべきではなかった。もっと前のめりになって、早くから自治体に協力しなければいけなかった」
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