特に興味のありそうなことを述べられるわけでもありませんが、ちょっとフィリピンの話題に火がついてしまったようですので、続けてフィリピン国鉄(PNR)の話題を述べていきたいと思います。
本日はPNRの北線の話題ですが、私が初めてルソン島北部地域を訪問したのは1994年11月から12月でした。バスやフィリピンの大衆の公共交通機関であるジープニーを乗り継ぎ、私は意地でも海岸線をなぞるように北上していったのですが、PNRのほうは古い地図を見ていただければわかるようにManila~Dagupan間は平野部が多く、海岸線とは関係なくほぼ一直線に結んでいることから、線路を見かけることはあまりありませんでした。しかし、おおよそDagupan~SanFernando(La Union州)間においては南シナ海の海岸線に平行する形でPNRが敷設されていますので、ところどころで線路や鉄橋を見かけたかと思います。
ManilaのTutubanから266kmに位置する北線の終点San Fernando駅周辺だけでもじっくり観察しておこうと思い、94年11月16日に立ち寄ってみましたが、たしか町の中心部から近いところに駅が位置し、下の写真のように駅舎とプラットホームが取り残されておりました。
さらにManila方面に行ってみると三角線のレールが取り残され、その先の本線はレールと枕木が見事に取り残されておりました。ちなみに下の写真はさらに5kmほど南下した地点で撮影したものですが、フィリピンの田舎であればどこでも見れるように水牛(Kalabaw)が草を喰んでいました。
鉄道紀行文の作家で有名な宮脇さんは、この北線に乗車し、たしか面白くないというようなことを申していたかと思います。いつしかこの北線も復活し、食堂車の付いた列車が走ることを夢見ていますが、ここSan Fernandoまで早期に整備されることを願っております。
本日はPNRの北線の話題ですが、私が初めてルソン島北部地域を訪問したのは1994年11月から12月でした。バスやフィリピンの大衆の公共交通機関であるジープニーを乗り継ぎ、私は意地でも海岸線をなぞるように北上していったのですが、PNRのほうは古い地図を見ていただければわかるようにManila~Dagupan間は平野部が多く、海岸線とは関係なくほぼ一直線に結んでいることから、線路を見かけることはあまりありませんでした。しかし、おおよそDagupan~SanFernando(La Union州)間においては南シナ海の海岸線に平行する形でPNRが敷設されていますので、ところどころで線路や鉄橋を見かけたかと思います。
ManilaのTutubanから266kmに位置する北線の終点San Fernando駅周辺だけでもじっくり観察しておこうと思い、94年11月16日に立ち寄ってみましたが、たしか町の中心部から近いところに駅が位置し、下の写真のように駅舎とプラットホームが取り残されておりました。
さらにManila方面に行ってみると三角線のレールが取り残され、その先の本線はレールと枕木が見事に取り残されておりました。ちなみに下の写真はさらに5kmほど南下した地点で撮影したものですが、フィリピンの田舎であればどこでも見れるように水牛(Kalabaw)が草を喰んでいました。
鉄道紀行文の作家で有名な宮脇さんは、この北線に乗車し、たしか面白くないというようなことを申していたかと思います。いつしかこの北線も復活し、食堂車の付いた列車が走ることを夢見ていますが、ここSan Fernandoまで早期に整備されることを願っております。