南武線では平成元年2月~2年9月にかけて、205系16本が新製配置され、101系の非冷房車を置き換えるとともに、のちに冷房車も置き換えられました。南武線本線上の101系最後の営業は、平成3年1月20日であり、編成はMc208 M'262 T'c77 Mc206 M'260 T'c80の3+3の編成で、川崎~武蔵中原を1往復、川崎~立川を2往復しました。先頭車の前面には川崎方、立川方に異なるヘッドマークが取り付けられ、南武線の利用者やファンに最後の別れの姿をお披露目しました。また、同時にさよなら101系のオレンジカードも発売され、南武線にとってこの101系が南武線の歴史上、輝かしい功績であったか物語っているようです。
南武線の新性能化は全て101系によって昭和53年に達成され、同年に線内用の車両を使って冷房改造を実施し冷房車が初登場。(2本目の冷改車も線内の車両を使用) その後は総武・中央緩行線や中央線の冷改車が転入し、片町線の2本を除けば冷改車が全て集められました。もちろん中央線(豊田区)からの転入車はオレンジ色の車両が多く、1編成がオレンジ色のままであったり、カナリアとの混色編成も多く見られました。昭和57年の豊田区から103系の転入に際しても、オレンジ色のままの車両が多く、南武線はいかに冷たく扱われてきたかということを否めませんでした。まあーそれはそれで、古い車両や101系が好きな者にとっては、南武線は天国なような線区でもあるのですが、電車区の方々は寄せ集めの車両のせいで、相当苦労もあったかと思います。例えば101系の冷房車のMGは103系とは違い、160KVAと210KVAとMGのないものがあり、国鉄時代は編成を組む上で悩まされたと思います。
とにもかくにも、101系の思い出も103系と同様にいろいろと思い出がありますので、今後思い出の1コマを少しづつ紹介していきたいと思います。
南武線の新性能化は全て101系によって昭和53年に達成され、同年に線内用の車両を使って冷房改造を実施し冷房車が初登場。(2本目の冷改車も線内の車両を使用) その後は総武・中央緩行線や中央線の冷改車が転入し、片町線の2本を除けば冷改車が全て集められました。もちろん中央線(豊田区)からの転入車はオレンジ色の車両が多く、1編成がオレンジ色のままであったり、カナリアとの混色編成も多く見られました。昭和57年の豊田区から103系の転入に際しても、オレンジ色のままの車両が多く、南武線はいかに冷たく扱われてきたかということを否めませんでした。まあーそれはそれで、古い車両や101系が好きな者にとっては、南武線は天国なような線区でもあるのですが、電車区の方々は寄せ集めの車両のせいで、相当苦労もあったかと思います。例えば101系の冷房車のMGは103系とは違い、160KVAと210KVAとMGのないものがあり、国鉄時代は編成を組む上で悩まされたと思います。
とにもかくにも、101系の思い出も103系と同様にいろいろと思い出がありますので、今後思い出の1コマを少しづつ紹介していきたいと思います。
高校生になって、通学で南武線を使う頃、支線も101系になって、ちょっとさびしかったですが。
それでも、ED16は健在でしたし、見るもの楽しかったですね。
鹿島田にあった引込み線は、日立の体育館あたりまで伸びていたような気がするのですが、いかがでしたか。
鹿島田の引込線ですが、たしか下り線ホームの西側にあり、スイッチバックするような形で鹿島田商店街を横切り、工場内に線路が延びていたかと思います。(かすかな記憶ですが)
それを裏付ける資料としては、鉄道ピクトリアルNo.568(1992.12)特集南武・青梅・五日市線において国電の大御所である沢柳健一氏のレールマップや和光大学の教授で今も鉄道史のことを研究されている原田勝正氏が著者となって多摩川新聞社で出版された「南武線いまむかし」の中の配線図でもそのような配線となっております。
時々、国土地理院のHPで昔の空中写真を見るのですが、線路まではっきり見えないものの、懐かしくて見ていて飽きがきません。写真は少ないですが昔の南武線の話題もできるだけ多く提供していきたいと思っております。