オリンピックを見ていて思った。 柔道は日本のお家芸、という時代はとうに終わっているように思われる。
日本の柔道家にとっては酷な期待が掛けられることが多いが、そういった期待は既に度が過ぎている。 既に、世界には日本の柔道の真髄を心得ているような選手が多数いるように見える。 それに体格・体力は世界の方が上のようだ。
そこに無邪気に(言い過ぎか)出て行って思わぬ敗退を経験して初めて世界を知るというのが筋書きだ。 オリンピックでそれが顕著である。
昔、姿三四郎や、いがぐり君、などは武者修行に出て、自分より強い相手を求めて自分を磨いたのだった。 これらはマンガの世界のことではあったが、今や日本柔道は世界に強者を求めて武者修行を重ねる必要があるように思われる。 宮本武蔵だってそうだっただろう。 武者修行の果てに名人と言われる存在になれるのだろう。
世界は日本の強者について研究に研究を重ねているが、日本の側は世界の選手をどこまで研究しているのだろう。 完全に追われる存在だ。 これを追う存在に変えないと勝てないだろう。
また、外国勢は同じクラスでも、なしてあんなにでかいんだろう。 ひょっとすると1~2クラス上の体重の者が勝つために減量してクラスを落として出てるんじゃなかろーか、と疑いたくなる。 勝つためにはなんでもする。
それほどオリンピックの金メダルの価値は高いのだ。 国によってはxxx百万円の賞金が待っているし、その後の人生に大きな価値をもたらすのだから、とにかく勝ちたいのだ。
綺麗な一本勝ち、そりゃそれを見られれば見られるに越したことはないが、そんなことはいってはおられないだろう。 これまでの柔道にないような技も研究する必要があるんじゃなかろ~か。
後ろから抱きついて相手の背中を床に付けようが、腕を後ろから体ごと前に巻き込んで相手を下にして仰向けに転がろうが、とにかく相手の背中を床に付ければ1本勝ちだ。 二人とも転んだら相手の背中を床に付ければ勝ちになることがある。
平岡も中矢も掛けられたと思われるのが、袖を体に巻き込んで背中で倒れる横一本背負いみたいな技。 ロシアやグルジアなどの国の選手に多いような気がする。 組手争いの厳しい中では割とやりやすい技だろう。 また、相手に後ろから抱きつかれたときに咄嗟に出しやすい技なんだろう。 二人とも後ろから抱き上げようとしたときにこの技を掛けられている。 どうやら「払い巻き込み」という技らしい。
平岡は、なぜわざわざ倒れている相手を後ろから抱き上げにいったのだろう? だまってブレークしていればなんてことなかったのに。 平岡は抱き上げたところをこの技を掛けられて背中をついて一本負けした。 中矢もこの技で有効を取られて負けている。 この技は研究するに値する。 ロシア人は後ろから抱きついてはいけない!!
こうなるとレスリングに近い。 そうなんだ。 どんな相手にも勝たねばならんのだ。
組手争いが決着つかないのなら相撲のように相手の腰にだきついて相手を転ばせるような技も考えねばならない。 マンガにあった「空気投げ」みたいな投げ技は考えられないだろうか? 上手投げ、下手投げなぞは当然あってしかるべき技ということになる。 そうなると柔道と相撲の差は柔道着を着ているかどうかだけということになる。 ルーマニアの女子が準決勝でこの手を使った。 抱き上げて転ばせて背中を突かせて一本勝ち。 この選手は足をもったということで決勝戦で失格となった。
世界にはいろんな格闘技がある。 そういった技という技を研究して研鑽をつむこともひつようではないか?
ひどいのは、とにかく組手争いで相手に組手を取らせないだけでオリンピックを勝ち上がってきたようなのも混ざっていたように思う。 相手に「指導」をもらわせて判定勝ちしてオリンピック3位なんてこともありえるのだ。 フランスの選手の中にこういうのがいた。 結局は「指導」をもらって負けたけれど、それも今日の技といえば技なのかもしれない。
どんなことをしてでもルール上の勝ちを目指した技というものを身に付けねば世界を相手にする柔道では勝てないだろう。
きれいな一本勝ちは、それはそれでお家芸として国内に密かに残しておくことも必要だろう。 それがなくなってしまっては日本柔道の伝統は失われる。 そうかといって、勝つ柔道が要らないわけではない。 出る以上は勝ってほしい。
これがオリンピックというものだ、なんてコメントは聞きたくない。 はじめからオリンピックというものを前提とした練習・勝負をしてほしい。 きれいな一本勝ちはそれを乗り越えた名人クラスの選手が目指せば良い。
頑張れ! 日本柔道。