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聖書の真実、キリストのメッセージ、1982年

2020年06月06日 | 宗教
先立って、明治の時代に、キリスト教を日本人に広めた、内村鑑三という方のメッセージをご紹介しましたが、そう言えば、まだ、キリストご自身のメッセージをご紹介しておりませんでした。これは、今から40年ほど前に、あるチャネラーに伝えられた、キリストご自身のメッセージです。聖書の内容について、ご自分で、いろいろ訂正されております。元はインタビューですが、編集しております。カッコ()内は補注です。

(ここから)

私が肉体をもってイスラエルの地に生れたことは、旧約聖書にもありますように、早くからイザヤたちによって予言されていたことです。

旧約聖書にあるように、確かに予言はありましたし、私は予言の通りの生涯を終えました。ですから旧約聖書の「予言が成就されんが為に」という言葉は、確かに(言い方としては)おかしいかも知れませんが、既に、私が、あのような生涯を送るということが、この地上に出る前に分っていた、ということは言えます。ですから、成就されんがために、という言葉に、余りとらわれてはいけませんね。

キリスト教の信者の方々が、私が、自分を「神のひとり子」だと言った、というふうに解釈されているようですが、それは間違っております。私は「ひとり子」ではありません。わたしは、(自分を)神の子であると申しました。しかし、ひとり子、であるとは言っておりません。間違いです。

聖書にある事として、神が、私を犠牲(いけにえ)として十字架につけることによって人類の罪を贖(あがな)ったのだと解釈されている場合があるようですが、私は、仔羊や、山羊とは違います。当時、仔羊を神に捧げる、祭壇に捧げて神に供養するという慣習がありましたから、私のことを、そのように解釈されたかも知れませんが、私は生贄(いけにえ)とか、犠牲とかではないのです。

そのことで、人類の罪が赦され贖われるとされている事ですが、そんなに安易に罪が赦されるわけではありません。そういうふうに解釈しているのは、間違っております。

そういうことについて、私の直弟子なり、私の影響下にある人を遣わして指導したことがあります。

ペテロがこの日本に再生したとき、私は直接は指導しておりませんが、ペテロの親しい人達がペテロを指導していたはずです。

地上に肉を持てば、全て(の事の是非まで)は分らないのです。確かにキリスト教の中に生きる人にとっては、私は、神のひとり子かも知れませんが、実際は、そうではありません。しかし、私は、神の、最もそば近くにある人間であることは確かです。

確かに「ひとり子」という考えは間違っているかも知れませんよ。しかしながら、ひとり子ということを信ずることによって私の教えに帰依する人は、いるはずです。私は、死して、既に二千年になりなんとしていますが、しかしながら、私の教えの中にも、まだ真理は残っております。ですから、彼らが、私を、一人子か、二人子か、三つ子か、そのようなことを考えるのではなくて、ただに、私を一人子と信じても、そのことによって、それを通して私の教えに接することがあるのであれば、その方法、その道筋は、問うべきではないのではないでしょうか。

真理に到達することこそが、真に必要なことであって、私を、ひとり子だと信じるかどうかというようなこと、そのようなことは関係がないはずですし、私自身、自分が神だとは言っていないはずです。

当時、民衆が神を問うた時に、私は「われを見よ」と言ったことがあります。「私を通して神を感じ取りなさい」と、常々説きました。神を見せよと言われても、神を眼の前に見せることは出来ません。しかしながら、私は、神のそば近くいるものです。そのことは、私は自覚しておりました。ですから、私を見、私の言葉を聴き、私の行いを見る中に、神の一部分を見ることは出来るはずです。

私の言った「人もし我に従い来たらんと思はば、己れを捨て、日々おのが十字架を負ひて我に従へ。」という言葉の意味ですが、それは、肉体煩悩を断て、という仏教の教えと同じことです。己れを捨て、とは、己れ自身の心を捨て、ということではありません。神の子としての自覚を捨てる、ということではありません。

この世に、生き易く生きたい、というような念いですね、そのような(思いに)囚われている自己を捨てなさい、ということです。しかし十字架というのは、一人ひとりが負っているものです。その十字架というのは、肉体を持つことによって、肉体自身が十字架になっているのです。肉体をよく見なさい、十字架になっているはずです。

肉体を持ち、この世に修行するということ、これは、どのような大指導霊が、この地上に出たところで、この現象界、この自然に、条件づけられているということ、ここから逃れることは出来ないのです。

この肉体を持って、何十年間の人生を生きていかなければならないということ、これが十字架です。

私がゴルゴダの丘で十字架に掛けられ、肉体としての最後に発した言葉ですが、それは、

「エリヤ、エリヤ、ラッファエロ! エリヤ、エリヤ、ラッファエロ、サバイタア!!」

その言葉ですが、その時、エリヤ、およびラッファエロを、私は呼んでおりました。迎えに来なさい、ということです。

「私は今、死ぬ時が来た、この地上を去る時が来た、光の天使達よ、私を迎えに来なさい!」

と、そういうことを、私は言ったのです。

その後の私の復活ということに関してですけれども、私は現象として、彼らの前に現われたのではないのです。彼ら自身が、霊能力を持っていたということです。彼ら自身が、私の姿を見ることが出来たのです。

復活現象というものは、私が生きた人間と同じように、彼処(あそこ)に現われて歩いた、ということではないのです。彼ら自身が、私が何者であったかということを、霊の目を通して見ることが出来たということです。あまり現象的に、肉体的に、復活を考えられては困ります。

処刑をうけた日より三日後に、身内の人々が、香油を持って、仮埋葬された墓地に私を訪ねた時に、もちろん、私は墓にはおりませんでしたが、私の遺体が消えていたことについてですが、私を信ずる者の一人が、肉体としての私を何処かに運び去ったということです。

パウロは、私と語り合うことが出来ました。

今、私が、チャネラーの方に呼ばれて、ここに来て、こうして話しているように、パウロと私とは、当時、話が出来たということですね。常に、こう現われて日常生活の中に一緒にいたわけではない。このような場を持つことによって、私は、彼らに会うことが出来たということです。

パウロが、私たちの教えを弾圧したというのは言い過ぎでしょう。つまり批判ですね、批判を加えていたのは初期の段階です。彼は、私が生きていた時に、既に、もう私の教えを信ずるようになっておりました。

でも、初期の段階では、彼は、私の言っていることを信じられなかったようです。

聖書には、東方から来た占星術の学者たちが、生誕した私のもとへ来て祝福されたが、神の御使いが父ヨセフに霊告され、へロデ王がベトヘレム周辺一帯の二歳以下の男の子供を捕らえて殺すということで、夜の明けぬ間にエジプトの地に避難した、という記述があるようですが、それは、いわば迷信で、後の人達が、そのような物語を作り出したということであって、実際、預言者が、私が生れることを告げたからといって、全ての男の子を殺すようなことがあったわけではありません。

母マリアですが、彼女が生きていた頃は、平凡な大工の妻として、善人としての生涯を終えました。

聖書の、いわゆる処女懐妊ですが、それは間違いです。そのようなことは、後世の人が、私を神格化するために考え出したことです。私自身は、正常な夫婦の営みの中に生れて来ました。私が、本当に神の子であるならば、生れる時に、そのような奇蹟的な生れ方をする必要はないのです。

普通の人間として生れ、やがて悟り、人々に神の道を説けば、それでよいではないですか。

最初から、そのような奇蹟の中に生れる必要はないはずです。私も人間として生れたのです。人間として生れ、様々な苦しみの中に悟っていったのです。

聖書では、生まれてから私が人々に教えを説くまでの間が、空白になっていますが、それは削除されたのです。私の三十歳頃までのことも、当初の聖書の中には書かれていたのです。なぜ削除されたか、それは、私の三十歳位までの生き方が、余りにも人間的だったからです。神の子として神聖化するのには、困るから削除されてしまったのです。

あたかも、私が生れた時に、処女マリアから生れたといわれる為には、私の三十歳までの、人間的な、あまりにも人間的な生き方を書いたならば、後の世の人たちは、このことを、とても信じてはくれない。とても神の子だとは信じてくれない、という思いから、何度かの聖書の書き換えによって削除されてしまったのです。当初の十一弟子たちの、私のことを記したものの中には、私の三十歳位までのことも逐一書かれていたのです。

その間、実生活としては、普通の生活をしていたのです。

私は、大工の子供でした。しかし、勉強しました。私は寸暇を借しんで勉強をしました。預言書を読みました。現に、その当時の宗教家たちの意見も聴きました。しかし、後の世の人たちには、私がそのような勉強をして、初めて法を説いた、ということは、堪えられないことだったのです。

その頃、私は、既に霊道が開かれておりました。七歳です。

ルカ伝にある、その頃、私が両親に連れられて、過越(すぎこし)の祭りにエルサレムに上っていき、十二歳の折りにエルサレムの神殿で、学者、パリサイ人たちと議論を交したということですが、それは言い過ぎです。それは神格化されたものです。ただ、私は、当時、教会などに行っている変わった子供だ、というふうに見られ、そのようなものに興味を示していた子供であったわけです。

私の兄弟の中で、私と同じように神の道を説いた者は一人もおりません。彼らと私は、肉においては兄弟でありますが、精神においては全く他人でありました。その後、私は荒野に出て、そこで、サタン、ベルゼベフ(に遭遇し)、そのベルゼベフの試みを受けました。

その前に、私はバプテスマのヨハネにも会いました。彼は、私が救世主だということを知っておりました。そして、その時、ヨハネが私に、「私が、あなたの洗礼を受けねばならぬ立場にあるものではありませんか」と言ったときに、私は「今は許せ」と言って、ヨハネのバプテスマを受けたということですが、それは、私の謙遜の言葉だと受け取って下さい。

彼は、私に対し、(自分は、あなたの)靴の紐も解く値打ちもない、と言いましたが、そのことをそのままに受けて私が人々に言って歩いたとしたら、私は不遜で傲慢な人間になってしまいます。

私は、私の教えを説き、やがて評価されるとしても、最初から、そのような、特に優れた人間のような始め方は、したくなかったのです。なぜなら、私も、当初、教えを説き始めた頃には、様々なサタンの試みを受けており、増長慢の心を持ったら私自身が危険であったからです。

私が、荒野でいろんなサタンの試みを受けたというのは事実です。この荒野というのは一つの象徴です。荒野という地域があったわけではないのです。色んな所でサタンの試みを受けました。それを弟子達が象徴的に語っているのです。

その試練を乗り越えた時に、神の子として悟りを開いたと言われていますが、それは、完全なものではありません。完全はありません。完全というものはありません。

イエス・キリストは、神の一人子であって一点の罪もなくこの世に生れ、この世を去った、とキリスト教を信ずる方々は言っているかも知れません。

けれども、悲しいことではありますが、私も様々な罪を犯しました。私は、例えば、親孝行をしませんでした。これは私の罪でありましょう。私は兄弟たちを捨てました。これも罪であったでしょう。

とり方によっては、私の声は、ある時は不遜に聞こえ、傲慢に聞こえたでしょう。ある時は、かつての宗教、モーゼの教えを信じていた人たちを傷つけたかも知れません。これも、ある意味では罪でありましょう。

しかしながら、そうしてでも実現しなければならないことがあったのです。そうです。大きな道があったのです。私は、その過程で様々な罪を犯しております。私は一つの罪もなく殺されたものではありません。

私の言葉とされるものに「もし右の目、汝をつまずかせば、抉(えぐ)り出して棄てよ。五体の一つ亡びて全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり。もし右の手、汝をつまずかせば切りて捨てよ」というものがあるようですが、それは言い過ぎです。

それは、後の人々が、かなり誇張した形で、言い過ぎております。目を棄てよ、とまでは、私は言っておりません。ただ、私は、そのような眼を持つなら、眼を持たない盲目(めしい)の方が、ましだ、ということを言ったのです。目を抉りて棄てよ、などとは、私は言っておりません。

そういう誡(いましめ)を守り、自らの腕を切った僧侶もいたとすれば、(その僧侶は)愚かです。そういう話を聞くことは、非常に悲しいことです。

私たちにとって、自分の教えが、その通り伝わらず、間違ったふうに伝わり、間違ったようにとられ、様々な不幸を生み出すということは一番つらいことです。私は目を抉りとれ、とまでは言っていないのです。そのような眼は持たぬ方がましだ、と言ったのです。

今世で、あなたが最初に神縁を授けられたのがキリスト教であったような場合にも、過去世において、必ずしも私の弟子であったわけではなくて、私たちの弟子だったというべきです。私たちとは、光の大指導霊たちです。

私たちは一人だけで生きているのではありません。グループとなっているのです。仲間たちがいるのです。仲間たちの教え、如来界の人たちの考えは、やがて菩薩界の人たちに届いているのです。私たちは菩薩界の人たちを指導しております。そういう意味において、あなたは、私の教えにもふれているかも知れません。

しかしながら、私、イエス・キリストの教えも、釈迦の教えも、モーゼの教えも、マホメットの教えも、全て一つだということなのですから、私の弟子だったということではなくて、私の天なる父の弟子だったというべきでしょう。

私の言う、天なる父、という方は、エル・ランティーのことです。私が、わが主、わが父と言ったのは、エル・ランティーです。そして、エホバも、エル・ランティーのことです。

旧約聖書に出てくるエホバ神は、イスラエル民族の擁護者といいますか、この民族にのみ肩入れしていたような感じがあるかも知れませんが、当時は、一つの民族という域を越えた認識が出来なかったのです。ですから、後世から見れば、様々な民族があり、だから神が一つの民族を庇護するということは、不合理だと思えるかも知れませんが、当時としては、やはりそういう世界観だったということなのです。

旧約聖書、第一章の創世記に出てくるアラーも、私の主、父、アルラー・エル・ランティー、アラー・エル・ランティー、こうなったのです。

今後、日本に現われてくる多くの光の指導者達の指導については、私が、既に、こうして指導霊をつとめているのではないでしょうか。

その霊?は、私に代わって現代に現われてきた指導霊で、私と同じ力を持っています。私の分身、魂の兄弟とは違います。ただ、私と古くから交互に法を説いて来た仲間の霊だということです。

私は、既に七歳の時から雲現象は現われておりましたけれども、布教が始まったのが遅かったわけです。

神の子としての自覚をもってから、その教えを人々に説くまでの間は、その人自身の魂の修養をする時期があるのです。すぐに説くことは出来ないのです。あなた方も、「正法」を説いて世の人々を教えるまでには、今後さらに、何年かの修行が必要となりましょう。

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