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「ドラコニアン法」について

2020年01月11日 | 宇宙の法
先日のモンタギューキーンさんのメッセージは、いかがだったでしょうか。

まあ、1月の始めということで、メッセージの日付けと近かったので、いい機会だと思って、ご紹介したということもあります。

最近、新年とか、お正月に対する私の認識は、単に日付けとか、そんな程度のものになってしまいました。

何故って、あまりにも暦というものが、人間の支配に利用され過ぎて来たように思うからです。正月だからと言って、あれしなくちゃいけない、これしなくちゃいけない、みたいな事が、昔から結構ありました。それを楽しんでやっているならば、まだ良いんですが、内心、やはり義務になってしまっている、そういう面があったのではないでしょうか。私は、最近、特に、それを一度、全部、取り払って解放されたいと思うんです。

さて、ドラコニアン法について、もう少し考えてみます。

今の日本の法律は、明治の文明開化(?)によって、ヨーロッパから導入されたと言われていますが、まあ、法律というものは、文明国家の一つの基本的な要件、必要条件の様に、私たちも思い込み、受け容れている面があります。何もルールのない社会、それは野蛮な原始社会か(蔑)、みたいに思ったりしていないでしょうか?

ですから、今の様な法律が、ズラッと揃っていてこその文明国だと思い、それを信じ込んでいるわけですよね。まあ、立派な大工さんが、良さげな道具をズラッと持っていると、いい職人なのかも、と思ったりするのと、ちょっと似ていなくもありません。

ですが、少し考えてみれば分かることでしょうけれども、皆んなが、心が清浄で、あらゆる事に善意をもって取り組み、お互いを思いやって暮らしていれば、それほど細かくあれこれと決め事をしなくても、世の中は何事も、それなりにスムーズにやっていけるのではないでしょうか。

要するに、ああいう法律というものは、もう、人間というものが、どうしようもないガリガリ亡者、つまり自分勝手なエゴイスト、自己中心主義者、・・・等々、なんて言ったらいいか分かりませんが、とにかく他人のものは、あわよくば自分のものにする式の人間性である事を前提に決められているように思えてなりません。あるいは、人から指図されないと自分では何も正しく出来ないのが人間、だとかですね。ですから、ルールでがんじがらめ、とか、にしとかないと、もめごとがあった時に困るだろうということでしょうね。

で、実際に、日常生活で、私達には、そうしたエゴに駈られたトラブルが全くないかというと、それは、あるにはある、大いにある、と言えるでしょう。

で、そうしたエゴがどこから来るのか、と言えば、逆に、お金を始め、法律が決めているところのルールというものが、私たち一人ひとりの人間に対する思いやりというものを前提にしていない、という所にあるのではないでしょうか。つまり、私たちにとっての最大の重要事項であるところの、肝心の、生命の存続に関して、法律が提供すべき要件、物事が決められていない、ということなんです。

例えば、交通違反をしたら、いくら罰金、というような事は、細々と決まりがありますが、子供が一人生まれたら、その国民一人のために、国は、費用をいくら提供するか、というような事は充分には決められていませんね。国民がその生存の為にお金が幾らかかろうが、そのお金は、自分で何とかしろ、とでもいうわけでしょう。逆に税金を始め、お金を取る方はやかましく細かく決められており、その決まりは、どんどん細かく厳しくなる一方です。

例えばですが、もし法律で、国民が一人生まれたら、その国民には、生活費用♡♡億円を、生存期間のあいだ中、保証して与える、という決まりがあったら、どうでしょうか。国民が窃盗をする事を前提に、細々と刑法を取り決める必要があるでしょうか。これは、憲法に定める国民の生存権ということからすれば、当然、各論の法律に、そうした規定が盛り込まれていいはずのものではないでしょうか。

もし、国民が、家族を離れて一人暮らしをしたいと望めば、望む場所に望む家屋を提供する、という法律があったらどうでしょうか。それは、現行の憲法にも記述がある様に、国民の福祉という観点から各論の法規が作られて行けば、当然、そうした規定が出来ていいはずのものではないでしょうか。

もし各論の法律に、そうした記述がされていれば、住む家を得る為に、仕事という金銭を得る手段を国民同士が奪い合ったり、親が亡くなって、残された子供たちが、残された家や財産をめぐって争う事があるでしょうか。その争いを解決する為に、民法を細々と決める必要があるでしょうか?

もう、そのあたりのことで、現在の、他の殆んどの法律が必要なくなるのではないでしょうか。

(以前、法律についての記事で少し触れましたが、いまの憲法は、その起草の段階では、霊界からの指導によって、そうした宇宙の法に適った内容が盛り込まれたということでしたね。ところが、その後の各論で、それらは骨抜きにされてしまったのでした)

あるいは、別の例で言えば、お金があり余るほどあるのに、どこかに急いで仕事にでも出掛ける必要もなくなれば、スピード違反をしてまで、車で街中を急いで走る必要もなくなり、道路交通法などというものは、単なる原則程度のことになるのではないでしょうか。

つまり、今の法律というものは、人間の生存、存在自体を肯定し、その自由を尊重し、その存在自体を享受させ、人類の生命を存続させ維持するということ、それを前提にし、それが目的で作られた、というようなものではない、ということにはならないでしょうか。

では、それは何が目的なのでしょうか?

それは、人類の管理、支配、抑圧が、目的だということなんです。

それが、すなわち、ドラコニアン法だということではないでしょうか。

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