NOSTALGIA/郷愁

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インドネシア雑感

2014年07月18日 | 旅行/海外

<mixiより転記、加筆>

旅行先:インドネシア(バリ島、ジャワ島)

インドネシアには、実は15年前に一度来たことがあった。ただ、シンガポールから船で1時間ほどのところで、1万数千の島のうちの小さな島(バタム)だった。今回はインドネシアでもメインの都市を回った。

1.車は左側通行

  
インドネシアの車は左側通行。これは日本の影響だったらしい。
インドネシアは、戦前長い間オランダの支配下だったが、オランダの右側通行ではなく、戦時中の日本の統治とその後の独立時の日本の影響で、左側通行になったそうだ。

2.車の運転は穏やか

中国やインドのように、警笛をやたら鳴らしたり、ちょっとでも遅い車がいると追い抜いたりすることはない。車の車体も傷がなくきれいだった。インドとは大違い。日本人の運転に似ていると思った。

3.車は99%日本車

  自動車は、トヨタ(多い)、ホンダ、スズキ、トラックは三菱
  二輪車は、ホンダ(多数)、スズキ、ヤマハ、カワサキ(少ない)
バリ島では、日本車以外見かけなかった。
二輪車は以前、安い中国製が入ってきたが、故障が続出して、使わなくなったそうだ。
  

4.コンビニは、mini mart、Alfa mart、circle K だけ

バリ島では、この3店しか見かけなかった。コンビニは、どこの国も買い物がしやすく便利だ。
  

5.選挙中

ちょうど、インドネシアの大統領の選挙中で、町のところどころに大きな顔写真のポスターがあったが、大騒ぎをしている様子はなかった。選挙当日、添乗員の左手の小指が青く染まっていた。朝、投票してきたそうで、一週間は 消えないとか。TVではお昼から、候補者の得票率が放映され接戦だった。投票締め切り前から放送されていて、日本では考えられなかった。

6.イスラム教

バリ島では見かけなかった、女性の頭の髪の毛を覆うスカーフ姿は、ジャワ島に来ると、多くの女性がやっていた。島によって文化が違った。話によると、最近このスカーフ姿が流行になったそうで、イスラム教徒以外の人もしているとか。

断食:旅行中ちょうど断食の期間で、日の出から日が沈むまで、
 水も含めて何も口にしてはいけない。もっとも、子供老人や病人
 は許されるとか。添乗員もイスラム教徒で一切食べなかったよう
 です。

お祈り:いろいろな所に、お祈りの場所が用意されていて、スー
 パーマーケットでも、トイレの脇にあった。男女の表示板があっ
 たので、危うく入りそうになった。

モスク:ジャワ島に来ると、ところどころにモスクがあり、スピー
 カー塔からお祈りの声が大音響とともに流れていた。ただモスク
 は、マレーシアなどでよく見る丸いとんがった屋根のものは見当
 たらなかった。

7.T字路が目立つ

   ジョグジャカルタにて
T字路がヤにめだった。意図的にそのような道路にしているのかと思った。

8.ガソリンはボトルで販売

  
バイク用のガソリンは、ボトルに入れて、店先で売っている。日本では禁止されている。

9.バス停

   ジョグジャカルタにて
バス停は、電車のようにプラットホームがあって、切符もその中で売られていた。

10.キンタマーニはやはり困る

   店頭で
バリ島にある景色のいいキンタマーニというところ。やはり添乗員が案内するときに、ニヤニヤしていた。女性だったら、なお困るだろう。

11.親日

東南アジアは、親日が多いが、ここもそうだった。
オランダ統治の時は、住民に教育もさせないでいたらしいが、戦時下、日本が開放した3年間で住民に教育をさせ喜ばれたとか。オランダからの独立戦争でも、日本人が協力した。ベトナムのフランスからの独立と似ている。

12.オーストラリア人の観光客

  
バリ島では、地理的に近い、オーストラリアからとみられる観光客が、場所によっては半数以上来ていた。

13.カレーはおいしくなかった

「ジャワカレー」で、日本ではカレールーが売られている。バリ島で食べたカレーは、黄色の水カレーで、甘ったるくてさほど辛くなく、私の口には合わなかった。

  
以上

インドネシア(バリ島・ジャワ島)



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