空っぽの部屋(虚静恬淡に生きる)

荘周菩薩品(抄)、老子、中庸、大学の仏教的解釈を掲載しています。荘周菩薩品、続、補は電子書籍(シナノブック)に。

ジャム。

2020年10月06日 | ジャム
ジャムが脳炎になり、なんとか治って欲しい飼い主心は皆さん同じだと思います。うちも、ハーブチンキがてんかん発作に効くと見れば、ハーブチンキを取り寄せました。ビタミンB-12やビタミンB-6が効くと見れば薬局に買い求めました。
納豆が薬の副作用が肝臓に出るのを、少なくすると見て、納豆も1日に小分けにして一パック食べさせていました。
脳炎といってもステロイドが効く犬は2~3年生き延びる場合も珍しくないようです。
ジャムも、9月10日頃は発作の後にしては麻痺が出ていないので、3ヶ月の間発作がなければステロイドを減らしていけると言われていました。
残念ながら9月中旬、下旬と発作が出てしまいました。

発作の度に病院で脳圧力を下げてもらい、ステロイド薬の増量や抗てんかん薬レベチラセタムの追加、増量をすることになりましたが、脳炎が進んでいたのでしょうね、結局虹の橋を渡りました。

発作が起きると病院で脳圧を下げる注射を打ってもらわなければいけないため、いかに発作が出ないようにするか。
苦しむジャムの姿も辛いですし、だんだんと飼い主の金銭的負担も大変です。治る病ではない為、結局は薬の増量になってしまいました。

ジャムが頭の中が辛くて、歩き回る様子は、麻酔のように眠る薬があれば良いのにと悲しいものがありました。MRIは受けていないため、正式ではありませんが、30日には、壊死性髄膜脳炎ではないかという話をされました。パグ脳炎で瞬く間に、虹の橋を渡ったジャムちゃん。
引っ越しをしてから、3ヶ月半で逝ってしまいました。
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三匹の犬。

2020年10月04日 | ジャム

我が家の犬は、これまで三匹。
一匹目の犬は、雑種の雄犬のボビー。いまから40年近くになるでしょうか、当時あまりいなかったボビーという名前を父が当時好きだった歌手から付けました。私が小学生の頃、塾の近くの家で産まれた子犬を可愛がるうちに、飼いたがり引き取ることに。
引き取り手がなければ保健所に行くと聞き、飼いたがった覚えがあります。
本当はメスの子犬を気に入っていたのですが、近所の方のアドバイスにより、雄犬の方が飼いやすいと言われ、雄犬だったらと許してもらいました。
子犬の時にすぐいなくなり、一年後に大きくなって帰ってきました。洗いたてだったのでしょう、庭で待っていたボビーの毛色はフサフサでした。
引っ越してからは、庭の片隅に繋がれ、世話は母任せになり、6、7歳で亡くなりました。
今ほど、ペット事情は良くなくて、フィラリアで亡くなる犬は珍しくありませんでした。
二匹目の犬は、今から30年近く前になります。ゴールデンレトリバーのシェリー。妹が誕生日に犬を飼いたいと言い、ちょうど父のへそくりが発覚して、へそくりが犬の代金になりました。
千葉の茂原のペットショップで父が17万で購入したシェリーの血統書は祖父母の代までアメリカンチャンピオンが代々書いてあり、後から驚きました。
シェリーの母犬は飛行機で日本に来るときも、27時間の間トイレの粗相がなかったと言う話を聞かされましたが、外犬のシェリーは玄関内で夜休む時もトイレの粗相はありませんでした。
野菜が大好きな犬で、裏口から母に茹で野菜を貰うのを楽しみにしていました。山登りや川で泳ぐのが大好きで、また、時々脱走癖があり、外を馬のように走っていたとの目撃談があります。

お参りが大好きな犬で、四国のお遍路にも一緒に行きました。
おっぱいに腫瘍が出来、かなり大きくなって、四国でお参りの時には、おじいさんから雄かと思ったとからかわれました。

今だから言える話ですが、父が家でシェリーの腫瘍を取りました。腫瘍に栄養をとられて、お尻がだいぶ痩せていたシェリー、手術の翌日には鳥居をくぐりたいと車に乗り込み、家族で驚かされました。手術から栄養が行き渡るようになり、毛並みも肉付きも回復しました。

本当に信心深い犬で、鳥居をくぐりたがり、晩年は神々しかったシェリー。神様の光を見た犬でした。
11歳の狂犬病注射時に、獣医の先生から心臓の雑音が凄いですが、年齢が年齢なので仕方がないという話をされた翌日に、近所で毒物を食べたみたいで、亡くなりました。

三匹目のこぶた、いえいえ、繁殖引退犬のジャム。シェリーから10年後の犬になります。
シェリーの頃は、ドッグフードより人間のご飯の方が長生きすると新聞に統計がのるような時代でした。ノミダニ避けのフロントラインが途中で発売され、喜んでいた記憶があります。それから10年あまり、犬を取り巻く環境は随分と変わっていました。犬猫の洋服が沢山売られ、犬猫が保険に入ったり、バギーにのったり。犬の美容室も沢山できました。

珍しい犬猫を扱う、トリマースクールや犬の幼稚園をあるペットショップ育ちのジャムちゃん。躾が売りのペットショップ育ちのジャムちゃん。

トリミングして貰うのが大好き、ホームセンターが大好き、バギーが大好き、耳を治してくれたルピナス動物病院の紫村先生が大好きな犬でした。

物凄く寒がりさんのジャムちゃん。バギーやカートの外出は好きだけど散歩に全く興味なしの不思議な犬でした。
日本語を良く理解し、日本語を話すごとく思いを伝えてくる。
ジャムが言うには、同じペットショップで育ったもう一匹のフレブルの繁殖犬も特殊な能力があるとか。
欲の少ないジャムでしたが、お隣の猫が美味しいご飯を食べていると、壁を突き抜けてわかるそうで、美味しいご飯を自分にもと、求めてくる犬でした。

ペロペロ嘗めて甘えることは全く無いけれど、母が何か買ってくれると、きちんとお礼を言いに行く。
お尻を見せて座って服従心を表すのが、ジャムの敬意の表し方でした。

我が家は人間もめったに病院に行かないので、ボビーもシェリーもめったに病院に行かなかったのですが、ジャムはルピナス動物病院があってのジャムでした。人見知りのジャムが獣医の先生をはじめ、看護師さん、トリマーさんにもなついて、我が家の犬になって行きました。

引き取ってから2年8ヶ月で脳炎になり、2ヶ月後には亡くなってしまい本当に残念です。

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