人にどう見られているかを意識して生きること。
どこで誰に見られているか分からない。
まして、見ている人は自分と同じ価値観とは限らないから、些末なことでも
あらぬ批判を買うものだ。
社会のためになることならいくらでも馬鹿やってよし。
皆が腹を抱えて笑うことなら誰も批判はしないけれど、普通のことを
普通にやってもいざ、看板を背負ったり、組織の一員として振る舞う際は十分
お気をつけあれ。
熊本勤務時代、天草で営業をしたことがある。
天草下島は有明海の熊本とは正反対の姿を見せる美しい島だ。
熊本から車で1時間強。
ここでも営業数字を上げねばならぬが、頼れるのは地元の販社さんのみ。
その販社さんと営業だ。
(天草3号橋 熊本からやっと半分だ)
「あのお米屋さん大きいですよ。この天草ですごいと思います。
取引できないかあのお米屋さん行ってみましょう。」
「うーん。あまり気が乗らないな」
「勿体ない。何か都合の悪いことでもあるんですか」
「あそこの従業員、昼飯に車の中であんパン食ってた」
「えっ、別にいいじゃないですか」
「車のドアに〇〇米穀店、と書いてある車の中だ。米屋の従業員が昼飯に
あんパン食うな、とは言っていない。〇〇米穀店と書いてある車の中で
昼休みにあんパン食うからダメなのよ。 米食えよ! 節操ないね。 ダメ!」
「・・・・。 そんなもんですか。 そんなに気になりますか」
「営業行くのはいいけれど、内側が見えるな」
笑いながら話を聞いていたが、真剣に耳を傾ける自分もいた。
天草の人は人情味が厚いが、人を見る目も厳しい。
米とあんパン。冗談交じりで言ってはいても、気になったからこそ覚えて
いて、その価値観を共有して欲しかったのだ。
聞き逃してはならない。
熊本に媚びない気高き天草。
美しい自然とプライドが共存する、思い出深い勤務地だ。
(天草下島 有明海とは様相が一変する)