2nd Stageトラバース

50代で転職し、第二の人生スタート。
もがいて、笑って頑張るおやじをお届けします。

災害時に大事なのは横の繋がり

2019-12-27 19:36:42 | 防災
どんな防災イベントに出席しても、
「一番大事なことはお隣さんとの横の繋がり」と締めくくられる。
その通りだ。

生きるか死ぬかの問題に、今の防災訓練はあまりに陳腐でいざという時役に立つ
気がまったくしない。何十年も前の学校でやった避難訓練を今だに続け
やっつけ仕事そのものだ。これだけ大きな災害があったのに・・・。

(「防災やぐら」外で炊飯やるときに衛生面で必須だ)

「防災やぐら」が一番のお気に入り。


災害と言えば外で炊飯を思い浮かべるが、食事を地面で直に
作れば衛生面で大問題だ。
そのためにこいう「やぐら」が必須なのだが、竹を組み合わせればすぐ
出来るのに、その結び方がわからない。

大人が座っても大丈夫。
「やぐら」かよー。というなかれ、実はこの「やぐら」を作るにはもう一つの
意味がある。



「お祭り」用のやぐらにする。


先人の知恵には恐れ入る。
防災訓練は祭りで十分事足りる。
冒頭書いたように、災害時に一番大事なことは、被災した人たちが必ず言う
「地域社会の横の繋がり」


「あのおっさんが太鼓叩いてる!」
「あのおばちゃんが踊ってる!」
「みんなも一緒に踊ろうよ!」

皆が一緒に笑っていれば必ず災害時に声もかけられる。
一緒に踊った人たちは、一緒に助け合うことができる。


防災やぐらはこの結び方さえ教えてもらえれば
絶対作れる。

誰かこの結び方を教えてください。 ↓



このやぐらを大きくして、夏祭りに太鼓を乗せて
皆で踊る!
皆で笑って、声掛け合って、災害時には皆で助け合おう。
このやぐらで同じ釜のご飯を食べよう。



これが地域社会の防災訓練のあるべき姿と信じている。


マグロの目利きの信念

2019-12-26 21:52:21 | 日記
年末の風物詩、大間のマグロ漁師のテレビ番組は今年もやるのか。
いい企画の番組で、マグロの迫力と人間ドラマをサブちゃんの歌が盛り上げる
もんだから、思わず熱いものががこみ上げる、自分の中では3本指に入る
テレビ番組だった。

人気番組は亜流も生み出し、マグロに関わる美味しいお店や料理なんかを紹介
する「マグロ漁師とその仲間」みたいな見出しを躍らせて、
「おっ、マグロ漁師の番組か!」と視聴者を釣ったりするが
結局「くいしん坊バンザイ」の廉価版みたいなので幕引きする番組もある。
それはそれで一興か。


その日もマグロに関わる人間模様の番組だった。

築地市場の超凄腕「マグロの目利き」の番組だった。

黒光りするマグロの行列の中から絶品を競り落とす。
これと見極めたマグロを高値で落とし、取引業者に自信をもって売り切って
ゆく。
中の身を見ていないが「間違いない」と決めた獲物は間違いなく逸品。
ブランド物の「大間のマグロ」も選りすぐり、高値のマグロは値引きもしない。
いいものはいい。


そんな彼の業のある日、一匹のマグロが競りに出された。
大間、津軽海峡に入る前のマグロ。



「あれは絶品だね。絶対落とす」


大間のマグロじゃないけれど、凄腕のマグロの目利きは断言し
大間のマグロと同じ高値で競り落とした。


インタビュアーが不思議そうに質問する。
「大間のマグロじゃなければ、競合もないから安くで競り落とせたのになぜ
大間と同じ値段で競り落としたのか」



「あのマグロを釣った漁師の事を考えないと。
大間じゃないからいくらでも安くで叩けるよ。
だけどね、釣った漁師の生活が懸かっているんだ。
そんなことはできないね。 絶品だよ、あのマグロは」


何が大事か、信念がある。


米の生産者も同じだ。
農家の生活が懸かっている。
真摯に取り組み作った米が言われなき理由で叩かれたら
その人はどう思うだろう。


凡そ生産に関わっていない者が無責任なことをしては
いけないのだ。


農家のお米と出会うきっかけ

2019-12-25 21:22:40 | お米語り
大量販売のお米でなく、農家自前のお米を食する人が増えている。
知り合いの女性が農家をお米を食べている、という話をたまたま耳にした。


「ネットで探して買いに行ったのか」
「人の伝手で買うようになったのか」
「買わされた、という感じはないのか」
「その農家と交わした最初の会話はどんなものだったのか」
面白そうなのでそのきっかけ話を聞きたくなった。


自分が五郎兵衛米に出会ったのはたまたま実家が近かっただけだが、
その農家さんと知り合ったのは偶然の賜物だ。


人はどうやってそのお米に巡り合うのだろう。
何十年も、ほぼ毎日向かい合うお米とどうやって知り合うのだろう。

そのお米を知ったきっかけは人それぞれにドラマがあるはずだ。



「その農家さんのお米にどうやって巡りあったんですか」
その女性に聞いてみた。
「その方が会社で新人の時に、たまたま私が研修で教えたことがあったの。
その人は代々の農家さんで、以来、毎年新米を送ってくれる。食べきれないほどね。
おいしいのかどうか専門家じゃないから判らない。でもおいしいよ。
近江米っていうの」


その新人さん、自分の食い扶持となる仕事の知識を教わったことが、
余程ありがたかったのだろう。
数時間の食い扶持が、何十年の食い扶持に化けてしまった。

この女性、忙しい時間を割いて研修をしたのだろうけど、無心で教えていた
のだろうな。
そういう姿勢は言葉や行動の端々に出るものだ。


出合いの一瞬のきっかけが、何十年の人の繋がりになってゆく。
ドラマだなぁ。


節操のない米屋

2019-12-23 20:54:21 | お米語り
人にどう見られているかを意識して生きること。

どこで誰に見られているか分からない。
まして、見ている人は自分と同じ価値観とは限らないから、些末なことでも
あらぬ批判を買うものだ。


社会のためになることならいくらでも馬鹿やってよし。
皆が腹を抱えて笑うことなら誰も批判はしないけれど、普通のことを
普通にやってもいざ、看板を背負ったり、組織の一員として振る舞う際は十分
お気をつけあれ。



熊本勤務時代、天草で営業をしたことがある。
天草下島は有明海の熊本とは正反対の姿を見せる美しい島だ。
熊本から車で1時間強。
ここでも営業数字を上げねばならぬが、頼れるのは地元の販社さんのみ。
その販社さんと営業だ。

(天草3号橋 熊本からやっと半分だ)



「あのお米屋さん大きいですよ。この天草ですごいと思います。
取引できないかあのお米屋さん行ってみましょう。」
「うーん。あまり気が乗らないな」
「勿体ない。何か都合の悪いことでもあるんですか」




「あそこの従業員、昼飯に車の中であんパン食ってた」
「えっ、別にいいじゃないですか」
「車のドアに〇〇米穀店、と書いてある車の中だ。米屋の従業員が昼飯に
あんパン食うな、とは言っていない。〇〇米穀店と書いてある車の中で
昼休みにあんパン食うからダメなのよ。 米食えよ! 節操ないね。 ダメ!」



「・・・・。 そんなもんですか。 そんなに気になりますか」
「営業行くのはいいけれど、内側が見えるな」



笑いながら話を聞いていたが、真剣に耳を傾ける自分もいた。



天草の人は人情味が厚いが、人を見る目も厳しい。
米とあんパン。冗談交じりで言ってはいても、気になったからこそ覚えて
いて、その価値観を共有して欲しかったのだ。
聞き逃してはならない。



熊本に媚びない気高き天草。
美しい自然とプライドが共存する、思い出深い勤務地だ。

(天草下島 有明海とは様相が一変する)

一目で内部か判ってしまう

2019-12-22 19:41:53 | お米語り
スーパーで買った有名ブランド米。
有名ブランド米だからやっぱり口にしておかなければ、ブログでお米を
どうのこうの言えたものではない。

値段も高くて、店頭でも上の棚に積まれていれば、見た目からも貫禄十分です。
「やっぱり美味しいんだろうな。」
包装紙もカッコいいね。こういうお米は小口売りが主流です。




自分が農家から買っている米とやっぱり違うものなのか。



黒い折り紙の上に米粒を散らしてよく見てみた。
それがこの写真です。


味は食べれば違いが分かるだろうが、その原因は米粒にあるのか
確認してみたかった。



写真の右と左、どちらがスーパーで売っている有名ブランド米か。
写真が下手だから分かりにくいか。
実際に見たら、米粒の違いは一目で判るほどのものだった。



左がスーパーで売っているブランド米で右が農家から取り寄せる直売米。
スーパーの米はブランド名が付いているが、色の白い未成熟米や実が欠けて粒が不揃いなものが多い。

収穫された地域は同じでも、色んな米が混じっている。
農家の想いも欠き消されるな。





米粒の違いもさることながら、その味はブランド名にはほど遠い代物だった。