続きは、モーゼ伝説のもとになっている「竹内文書」。
この「竹内文書」とは、武烈天皇に命じられ、神代文字と呼ばれる奇妙な文字で書かれた文書を竹内宿禰(たけうちすくね)の孫、平群真鳥(へぐのまとり)が漢字とカナ混じりに書き起こして、富山の御皇城山(おみじんやま)の皇祖皇太神宮で守らせた写本群と、文字の書かれた石や骨、刀剣などの「御神宝(ごじんぽう)」の総称。
その平群真鳥の子孫が、富山の婦負郡神明村の竹内家であり、そこに養子に入ったのが、竹内巨麿(たけうちきよまろ)である。
1829年(明治26年) 祖父から譲り受けた文献・宝物を携え上京、御嶽教へ入信。
鞍馬山と、さらに奥にある大非山で千日にわたる修行の後、神代文字を解読。
1919年(明治43年) 茨城県磯原に移り、祖父から譲り受けた文献・宝物を「経典」として皇祖皇太神宮を復興し、天津教を開教、世間に「竹内文書」を公開する。
1936年(昭和11年) 「天津教弾圧事件」が起こり、竹内巨麿は不敬罪で逮捕され、起訴。 文献・宝物も没収される。
1944年(昭和19年) 8年に及ぶ裁判の末、勝訴、無罪。 しかし、文献・宝物は返却されず。
1945年(昭和20年) 東京大空襲により、原本のほとんどを焼失。
それからは現在に至るまで皇祖皇太神宮で祀られている。
皇祖皇太宮の竹内巨麿とは、別の系統の「竹内文書」も存在するらしい。
「正統竹内文書」と呼ばれている。
南朝後醍醐天皇の直系で「武内宿禰(たけうちすくね)」を継承する、南朝小倉宮竹内家。
こちらの竹内家では、「竹内宿禰の墓」があるとされる富山県高岡の二上山を祭祀拠点にしていて、全国の二上山でも祭祀を行う。
う~ん、どちらの「竹内家」も富山ゆかりなのね~。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
「竹内文書」では日本書紀、古事記よりもさらに古い、神代の時代のことが書かれているとされている。
天神七代・上古(皇統)二十五代・不合朝(ふきあえず)七十三代までが、日本の天皇(スメラミコト)が世界を統治しており、神倭朝(かんやまとちょう)からは日本だけの天皇として、神武天皇から現代の天皇に続いているのだという。
天神一代 宇宙に存在する巨大なエネルギー。 宇宙を創った神が現れる。
天神二代 エネルギーに陰と陽が生まれ、物質が誕生。
天神三代 星が形になり、大気が生まれ、地球が出来上がる。
天神四代 夫婦神が生まれ、地球に生命が誕生。
天神五代 スメラミコトが初めて地球に降り立ち、岐阜の舟山あたりに降りたとされる。 富山五箇山の天柱石から、天と地を行き来していた。
天神六代 地球の公転から、1年の長さを360日と定めた。
天神七代 農業の神・医学の神・工学の神などの、あらゆる専門家の神が地球を人類が住める完璧な環境に作り上げた。
岐阜の位山に天神人祖一神宮(あまつかみくにつかみはじめたましいたまや)の大宮を建設、世界統治の拠点とした。
上古時代には、スメラミコトは天空浮舟と呼ばれる1日に1万5000キロ以上飛ぶ、船の形をした飛行機のような乗り物に乗り、主に国々の視察や、王の任命を目的として万国巡幸の旅に出た。
スメラミコトは、世界を16に分け、15人の王子と1人の王女を主要な地域に派遣し守らせた。
世界中の遺跡に点在する「十六菊花紋」の文様が、その名残だという。
天神時代に発達した原生人類にスメラミコトの遺伝子を注入し、青・赤・白・黄・黒の五色に分けた人類を五色人と呼び、世界に散りばめた。
オリンピックの5色は超古代人の祭典を伝えるものだという。
上古十代には天神人祖一神宮を富山の御皇城山に移し、皇祖皇大神宮と改めさせた。
鳥居や神殿は永久にさびないとされる、幻の金属ヒヒイロカネで建てられたとされる。
世界の五色人が大勢参拝に詣で、年に一度の大祭は盛大に執り行われた。
この時代、神代文字と呼ばれる文字のようなものが生まれ、その形と音に神のエネルギーが宿る、といわれ、スメラミコトは平和と幸福を祈り、天地和合のお守りを作り人々に分け与えた。
スメラミコトの祈りもむなしく、人々の心が荒廃してくるようになると、神の怒りが天変地異という形で現れた。
そのたび、五色人は、ほぼ全滅し、スメラミコトの一族は他の星へと避難した。
そして時を経て地上に戻り、新しい文明を築く、ということを繰り返した。
宇宙の神との交信が終わり、神から直接の神勅を賜ることが出来なくなった。
以後、神託を統治の指針とするようになる。
不合朝の時代には、モーゼや釈迦、キリストなど、世界の聖人たちが、スメラミコトに会うために日本を訪れたという。
日本は地震で壊滅状態となり、国力も弱まり、スメラミコトの力も及ばなくなっていた。
不合朝末期、スメラミコトの世界統治に終わりを告げ、世界はスメラミコトを忘れ始めていた。
世界の聖人たちは、それを憂い、スメラミコトに学んだ宇宙の真理を人々に伝えることを使命とした。
最後には一つだった世界はバラバラに、それぞれの自己主張をするようになり、スメラミコトは日本だけの天皇となった。
神代の時代に終わりをつげ、超古代文明の記憶は、歴史の闇に埋もれることとなった…。
不合朝の73代は、神武天皇で、神倭朝の1代でもあるわけですね。
「竹内文書」が、ここまでスケールの大きい壮大な物語だとは…。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
竹内文書 ウィキペディア
謎の「竹内文献」
南朝と竹内文書
この「竹内文書」とは、武烈天皇に命じられ、神代文字と呼ばれる奇妙な文字で書かれた文書を竹内宿禰(たけうちすくね)の孫、平群真鳥(へぐのまとり)が漢字とカナ混じりに書き起こして、富山の御皇城山(おみじんやま)の皇祖皇太神宮で守らせた写本群と、文字の書かれた石や骨、刀剣などの「御神宝(ごじんぽう)」の総称。
その平群真鳥の子孫が、富山の婦負郡神明村の竹内家であり、そこに養子に入ったのが、竹内巨麿(たけうちきよまろ)である。
1829年(明治26年) 祖父から譲り受けた文献・宝物を携え上京、御嶽教へ入信。
鞍馬山と、さらに奥にある大非山で千日にわたる修行の後、神代文字を解読。
1919年(明治43年) 茨城県磯原に移り、祖父から譲り受けた文献・宝物を「経典」として皇祖皇太神宮を復興し、天津教を開教、世間に「竹内文書」を公開する。
1936年(昭和11年) 「天津教弾圧事件」が起こり、竹内巨麿は不敬罪で逮捕され、起訴。 文献・宝物も没収される。
1944年(昭和19年) 8年に及ぶ裁判の末、勝訴、無罪。 しかし、文献・宝物は返却されず。
1945年(昭和20年) 東京大空襲により、原本のほとんどを焼失。
それからは現在に至るまで皇祖皇太神宮で祀られている。
皇祖皇太宮の竹内巨麿とは、別の系統の「竹内文書」も存在するらしい。
「正統竹内文書」と呼ばれている。
南朝後醍醐天皇の直系で「武内宿禰(たけうちすくね)」を継承する、南朝小倉宮竹内家。
こちらの竹内家では、「竹内宿禰の墓」があるとされる富山県高岡の二上山を祭祀拠点にしていて、全国の二上山でも祭祀を行う。
う~ん、どちらの「竹内家」も富山ゆかりなのね~。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
「竹内文書」では日本書紀、古事記よりもさらに古い、神代の時代のことが書かれているとされている。
天神七代・上古(皇統)二十五代・不合朝(ふきあえず)七十三代までが、日本の天皇(スメラミコト)が世界を統治しており、神倭朝(かんやまとちょう)からは日本だけの天皇として、神武天皇から現代の天皇に続いているのだという。
天神一代 宇宙に存在する巨大なエネルギー。 宇宙を創った神が現れる。
天神二代 エネルギーに陰と陽が生まれ、物質が誕生。
天神三代 星が形になり、大気が生まれ、地球が出来上がる。
天神四代 夫婦神が生まれ、地球に生命が誕生。
天神五代 スメラミコトが初めて地球に降り立ち、岐阜の舟山あたりに降りたとされる。 富山五箇山の天柱石から、天と地を行き来していた。
天神六代 地球の公転から、1年の長さを360日と定めた。
天神七代 農業の神・医学の神・工学の神などの、あらゆる専門家の神が地球を人類が住める完璧な環境に作り上げた。
岐阜の位山に天神人祖一神宮(あまつかみくにつかみはじめたましいたまや)の大宮を建設、世界統治の拠点とした。
上古時代には、スメラミコトは天空浮舟と呼ばれる1日に1万5000キロ以上飛ぶ、船の形をした飛行機のような乗り物に乗り、主に国々の視察や、王の任命を目的として万国巡幸の旅に出た。
スメラミコトは、世界を16に分け、15人の王子と1人の王女を主要な地域に派遣し守らせた。
世界中の遺跡に点在する「十六菊花紋」の文様が、その名残だという。
天神時代に発達した原生人類にスメラミコトの遺伝子を注入し、青・赤・白・黄・黒の五色に分けた人類を五色人と呼び、世界に散りばめた。
オリンピックの5色は超古代人の祭典を伝えるものだという。
上古十代には天神人祖一神宮を富山の御皇城山に移し、皇祖皇大神宮と改めさせた。
鳥居や神殿は永久にさびないとされる、幻の金属ヒヒイロカネで建てられたとされる。
世界の五色人が大勢参拝に詣で、年に一度の大祭は盛大に執り行われた。
この時代、神代文字と呼ばれる文字のようなものが生まれ、その形と音に神のエネルギーが宿る、といわれ、スメラミコトは平和と幸福を祈り、天地和合のお守りを作り人々に分け与えた。
スメラミコトの祈りもむなしく、人々の心が荒廃してくるようになると、神の怒りが天変地異という形で現れた。
そのたび、五色人は、ほぼ全滅し、スメラミコトの一族は他の星へと避難した。
そして時を経て地上に戻り、新しい文明を築く、ということを繰り返した。
宇宙の神との交信が終わり、神から直接の神勅を賜ることが出来なくなった。
以後、神託を統治の指針とするようになる。
不合朝の時代には、モーゼや釈迦、キリストなど、世界の聖人たちが、スメラミコトに会うために日本を訪れたという。
日本は地震で壊滅状態となり、国力も弱まり、スメラミコトの力も及ばなくなっていた。
不合朝末期、スメラミコトの世界統治に終わりを告げ、世界はスメラミコトを忘れ始めていた。
世界の聖人たちは、それを憂い、スメラミコトに学んだ宇宙の真理を人々に伝えることを使命とした。
最後には一つだった世界はバラバラに、それぞれの自己主張をするようになり、スメラミコトは日本だけの天皇となった。
神代の時代に終わりをつげ、超古代文明の記憶は、歴史の闇に埋もれることとなった…。
不合朝の73代は、神武天皇で、神倭朝の1代でもあるわけですね。
「竹内文書」が、ここまでスケールの大きい壮大な物語だとは…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
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南朝と竹内文書